雑記:本多忠勝の像

徳川四天王の一人に数えられ、徳川家康の覇業を支えた猛将として知られる本多忠勝は、関ヶ原の戦いの後に伊勢の桑名に封ぜられた。

桑名城の跡(九華公園)には、本多忠勝の銅像が建っている。

現存する本多忠勝所用と言う鹿の角をあしらった兜を着けた姿をモチーフにしており(この構図で描かれた忠勝の肖像画も存在する)、数ある武将の銅像の中でも屈指の迫力である。

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忠勝の墓(下の写真)は桑名城にほど近い浄土寺にあるが、おそらく後代に造立されたものであろう。

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忠勝の墓は、家康が関東に入部した際に彼が封ぜられた千葉県夷隅郡大多喜町の良玄寺にもあり、こちらの墓は浄土寺から分骨されたものと伝わる(ちなみに、前述の忠勝の肖像画も同寺の所蔵である)。

三基並ぶ五輪塔のうち、中央塔(下の写真二枚目)が忠勝の墓であり、向かって右側の塔が忠勝夫人、左側の塔が忠勝が桑名に移った後で大多喜城主となった次子・本多忠朝の墓であるが、三期ともずっと後代(おそらく近代以降)に造立された供養塔的な石塔である。

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町内の行徳橋には、やはり甲冑を身につけた忠勝の銅像が二体あり、欄干の親柱の両側に建っている(ただしかなり小ぶりな像である)。

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