宝台院別院照久寺〜家康公に最も信頼された側近のお寺〜
今回は徳川家菩提寺宝台院の別院となってる照久寺について書きたいと思います。
照久寺は静岡市南部海沿いの久能という地域にございます。
久能は家康公の墓所として知られる久能山東照宮があることで有名な地です。
その久能山の麓に照久寺はございます。
照久寺は徳川家康の最側近として知られた榊原家の菩提寺です。
徳川四天王の兄榊原清政公
榊原家は徳川家家臣として長らく務めており徳川四天王にまでなった名家です。
徳川四天王には榊原康政という武将が選ばれましたが、実は康政は榊原家の跡取りではありませんでした。
跡取りは康政の兄であった榊原清政であり、清政は久能にかつて存在した久能山城の城主をまかされておりました。
家康公は久能山城を駿府防衛の要と考え優秀な清政を配置したと考えられております。
お寺の名前になった榊原照久公
1607年に榊原清政が亡くなるとその子であった榊原照久が家督を継ぎました。
家康公は清政に続き照久を久能山城の城主としました。
照久は家康公の最側近として仕えており、こんなエピソードがあります。
家康公は自身の死を悟ると照久を呼びよせ遺言を残します。
「自分が死んだら久能山に葬り永遠に守れ」
そして照久の腕の中で息を引き取ったとされています。
これを受けて照久は家康公を久能山に葬った後、自身の墓を久能山近くに建立します。
この時に照久が自身の名前を冠したお寺を建立しました。
そのお寺こそ照久寺です。
榊原家菩提寺として
その後、照久は徳川秀忠公によって建立された久能山東照宮の初代宮司となり祭祀を司りました。
以降、照久は現在に至るまで榊原家本家の菩提寺として歴代当主の菩提を弔ってきました。
また、照久寺のご本尊並びに歴代のお位牌は貴重な文化財でもあり丁重に安置してきました。
宝台院別院として
その後、照久寺は一時衰退し存続が危ぶまれるまでに荒廃しましたが関係の深かった宝台院と合併し寺域の拡張整備を行い宝台院別院として復興されました。
宝台院別院は海が見える自然豊かなお寺として地域の人々に親しまれております。
また、貴重なブラジルのお花イッペーの群生地として知られており春は観光客で賑わいます。
執筆者
宝台院副住職 野上崇光