映像を見なければ確認できない、ではいけない。自分の感覚を養いながら調整できないと、実際の場面では頼るものがないから。だけど、その感覚そのものが歪んでいることもある。そんな時には頼ってみるのもいい。正解をトレースしよう、ではなく、試行錯誤のための大事なツール。
これは、工学理論に基づく可能な限りの客観的評価ですが、偕楽園迎賓館別邸の出来は、総合的に考え(名称、デザイン、向き(月池の地形に合わせた南北に長いため、日当たり良くなく、暗く陰気な感じ)、構造、建設費など)、良くなく、受注者の合同会社H&H設計の設計技術に疑問を感じています。
(続き)私の著書『世界百峰巡礼登頂』には、ひとつの章を設け、日本の代表的な登山家に対する客観的評価が、記してあり、栗城史多さんについては、亡くなる前に記したものであり、結果を見ての後付けでは、ありません。
「もうダメだ」と思っちゃうとそれ以上良くはならないから、少なくともダメだと自分で思わない方がよい。 いつまでもそれで居られるのは恵まれている。 他人が見て「ダメ」はあるけど、それは客観的な評価であって、自分の在り方とは別物。 常に可能性を見つけることでしか未来は拓けない。