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ホームレスか否かを決めるもの。
最近不思議だなーと思うことがあって。
例えば、何年も前に社長を退いて、客観的にみれば
「一般の人」である人が、本人は社長気質が抜けない。
そして仕事を探すときには「社長」レベルを探す。
もちろん、それだけの経験やスキルを積み重ねてきた人はそれで全然OKなんだけど、単にまっすぐレールを進んできて、順調に出世して、、って良い会社や良い職について辞めたあと、それを自己認識では、まだ継続させている人が多いな、ってこと。
例えば、自分のタイプは、翻訳やってました、日本語教師やってました、って言って、3か月くらい空いたら「やってます」って言っていいのかな、って迷う。任せられれば対応できる自信はあっても。スキルとかの問題じゃなくて、認識として現在進行形でやっているものしかアピールしてはいけない気になってしまう。
これって転職のときに、自分に限らず、問題になる点じゃないかと常々思っていて。
例えば翻訳歴が5年くらいあっても、1年くらい空いてたら自分なら書かない。
でも、たぶん〇〇商事、みたいなとこに勤めていた人とか職歴に書くのが普通だとは思う。失業保険とかもらっている時期だったとしても(1年くらい間が空いてても)
それって、履歴書だけ見れば書いてあることしか受け取る側は見ないから、実際のスキルがどうかより、後者のほうが優良人材に見えるわけで。
実績とかスキルよりも、自己認識が高いほうが得をするんでは、と思っている。
そういう意味でいうと他もそうなんだよね。
自分が美人と思ったら、「自分は選ばれる側にいる」と卑下しない生き方・選択ができるのだろうし、試験に合格できるレベルだと思うから挑戦をするのだろうし。
それがよいとか悪いとかの話ではなくて、自分が認識してカテゴライズ、ラベリングしてるんだな、ってはなし。
もちろん、外からの偏見・カテゴライズもあるんだけど、それ以上に自分が名前つけてんだな、って。
で、なんでタイトルがホームレスなのかっていうと、よく人生に大変なことエッセイみたいのあったりするとタイトルに「ホームレス」ってあったりして、道で段ボールで寝てることかなと思ったりすると、全然実家も一応ある「家がない」というケースをそう呼んでたりして、あ、それでもホームレスって認識したらそうなんだ、と思ったことがあって。
人生エッセイを書いたら結構な枚数かけそうなんだけど、絶対書いている最中にメンタル病む(フラッシュバック的な)ので、途中でいっつも続かなくなるんだけど、そういうエッセイ的なスタンスでいったら、まさしく
「子連れホームレス、旦那に不倫を推めるの巻」
みたいなの書けそうなシチュエーションだったなあと思って。
でも自分がホームレスって意識なかったわ。
ただの行くとこなくて困っている人、だと思ってた(笑)(たぶんそれもホームレス)
子連れで、おむつとかベビーカーに引っ掛けながら都内のホテルやウィークリーを渡り歩いてた(乳児がいるとシェアハウスとか無理なので)のってまさしくホームレス。
キッチンも付いてないと困るし、夜泣きすると困るからあまり安いところにはいられないし、怪しい安いウィークリーは乳幼児抱えては危険だし。
って渡り歩いてたけど、手持ちが10万しかなくて、東京ならすぐなくなってしまうレベル。体調崩さないか不安のなか、会社にも行ってた。
いま思うとホームレスだわ。
シェルターに行けたから、どうにかできたけど。
いま思うと海外の映画とかに出てきそうなまさしくホームレス状態だわ。
ウィルスミスと、息子が出てた映画の状態だわ。
ほんと、ひとりでホームレスと違ってしんどいんだわ、ほんとに。。
これ、ホームレスって認識が自分のなかについ最近までなくて、自分の認識でいろんなものができてくんなら、良い方向にだけいつも考えてたほういいよね、って思ったきょうこのごろでした。