033吉野ヶ里北墳丘墓西側の王墓は卑弥呼?甕棺墓から前漢鏡と銅剣鋳型が出土。ここに日吉神社が置かれていた。祭神は大山咋命。祖父:スサノオ、父:大歳(ニギハヤヒ)だから、神社的視点からすれば物部系の大邑(国)と推測できる。同族相応の銅剣鋳型同時出土からも「祭祀者」卑弥呼墓は疑問。
吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」の石棺の蓋が開けられましたね。 ただ肝心の女王である痕跡の、ピアス、腕輪、首飾りなどの副葬品、そして呪術で使った鏡が出るかどうか。 今の所「吉野ヶ里の大王の墓」ではあるが、ここは邪馬台国ではなく、当時の有力国のひとつという結論になっていく気がします。
刊行後少し時は経ちましたが、拙著がAmazonランキング2位まで上がりました。(マイナーな考古学ジャンルですが(汗&笑))ありがとうございます!興味があればぜひ!
石棺が開けられましたね。その狭さとフタの陰刻から女性(少女・巫女か)であろうと思われます。元々ここが卑弥呼の墓では無いと思ってましたが、北の隣には伊都国。女王がいます。となると吉野ヶ里も巫女の権威者がいても不思議はない。邪馬台国連合は巫女のネットワークの存在があったのではと妄想中
私は、佐賀県に関しては吉野ヶ里歴史公園・佐賀城公園・肥後堀などに行ったことがある。神埼市と吉野ヶ里町にある吉野ヶ里歴史公園は広かった。遺跡の住居は独特だった。佐賀市にある佐賀城公園は、設備が残り歴史を認識した。唐津市にある肥後堀は街中にあり驚いた。唐津城の堀を復元したものである。
仕事もひと段落し、明日から佐賀の吉野ヶ里遺跡へ。そこで「よみがえる邪馬台国〜邪馬台国と宇佐」というフォーラムを聴講してきます。私も宇佐説なので、学者の先生方がどんな論説を展開してくれるか、楽しみです。コロナに最大の注意を払って行ってきます〜
民度最低の人狩り 長年毎日、酷い目に遭ってる 清~満洲国🗾に現存か 人尿洗顔狩猟民族の国が、清? (清前身)勿吉、吉野ヶ里、南朝吉野 吉=橘(人原料不老不死食品) 清アゲ映画ラストエンペラー➡️清宮殿に人スープ 元近衛兵が仲介 新嘗祭当日に両親結婚式 南朝の大嘗祭の本質も、疑う