「邪馬台国時代の石棺墓」報道の始末をどうつけるか
歴史雑記141
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ヘッダ画像は読売新聞記事より
(2023年6月29日最終閲覧)
はじめに
先月のマガジンでも書いたが、吉野ヶ里遺跡の「謎のエリア」で、弥生時代終わり頃の石棺墓が発見された。
地元の関係者としては吉野ヶ里こそ「邪馬台国」でないと困る事情が色々とあるようで、県の担当者のコメントがそのまま多くのニュースで垂れ流しになり、蓋を開ける前から(前だけ)盛り上がったのは周知の通りである。
結局、この石棺墓から検出されたのは顔料だけで、副葬品は何も出なかった。
土が石棺内に流入していたのはわかっていたから、人骨は出ないだろうという観測だったが(土砂が流入していても人骨が残る場合もある)、副葬品ゼロはニュースバリューがなかったのか、あまり大きく報じられなかった。
結局、盛り上げるだけ盛り上げて、きちんと幕を引かないままになっていると言える。
今日はこの問題について記してみようと思う。
参考:先月の記事
報道の問題点
報道の問題点はいくつかある。まずは列挙してみよう。
①発表を鵜呑みにして「邪馬台国時代」という曖昧な表現を使った
②石棺の中が開いていない状態で大きく報じすぎた
③副葬品が出なかったことも含め、その後の検証が不十分
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