吉野ヶ里と土団子
吉野ヶ里の邪馬台国時代の石棺からは、何も出てこなかった。
そこにはただ土があるだけだった。
石棺墓の中に人骨や副葬品なく 顔料などから有力者の墓と裏付け 吉野ヶ里遺跡(佐賀テレビ、6月14日)
有力者と思われる人物の骨も、副葬品も、すべて分解されて土の中に溶け込んだのだろうという。
なんとなくガッカリの雰囲気だが、「エコ」の手本を見せてくれたとも言える。
「土だらけ」の石棺を見せながら、佐賀県知事が説明する昨日の映像を見ながら、
「あの土で土団子を作りたい」
という幼稚園以来の欲望がよみがえった。
いい感じに骨が溶け込んだ、あの土で団子を作れば、かなーり硬い団子ができる気がする。
同時に、
「今の子は、土団子なんか作らないのだろうな」
とも思った。
しかし、ネットで土団子を検索してみると、思いのほかたくさんの記事やサイトが引っかかる。
今でも現役の遊びであることを知って、すっかり嬉しくなった。
子どもの頃、土や砂で泥団子を作ったことはありますか? 手の中で大切に、丁寧に磨くことで光沢が出て、ピカピカと輝きます。泥団子と聞けば、茶色をイメージしがちですが、最近の泥団子はカラフルで、まるでジュエリーのよう。観賞用としても人気が高まっています。(リビング和歌山)
「土団子」「泥団子」の両方の言い方があって、「泥団子」が多数派のようだ。
私が子供のころ、どう言っていたか思い出そうとしたが、たぶん単に「団子」と言っていた気がする。
最近は、顔料を塗ってカラフルな団子を作るらしい。
硬さだけでなく、表面を極限までピカピカに光らせようと追求する。その情熱も技術も健在らしい。
吉野ヶ里の石棺の土には、赤い顔料が混じっているから、そのままカラフルな団子になるだろう。
顔料が濃い部分の土を、団子用に譲ってもらえないか、と思ったのは私だけではないかもしれない。
幼稚園時代を通じ、私は土団子作りの腕を磨いた。老いたりとはいえ、まだいい団子を作る自信はある。
邪馬台国時代の人たちも、土団子を作って遊んでいたと思う。もしかしたら、ピカピカに磨き上げられた土団子が副葬品だったかもしれないではないか。そんな想像をして久しぶりに土に触りたくなった。