誰かを、何かを、変えられるなんて不遜なんだと、違うのだと、何度も何度も思う。 変えられるのは自分だけなのだと、だいぶわかってきた今でも、どこかで薄暗く期待している時があると、認めざるをえない。 認める度に、ガツンと殴られた後の頭を抱え、「具体的な薄暗さ」の言語化を試みるのだ。
病気になると謝る人が多い。何故?病気になったのは、その人が悪いのか?日本人に多い思考回路、村八分の体質の表れだというが、カミュのペストで神父が「善良な貴方たちは恐れなくていい」と話す場面が出てくる。謙虚と不遜の思い違いを思う。