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仲間

なかま
ある物事を一緒になってする者。または同じ種類に属するもの。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「何をやるかより誰とやるか」
これは僕の人生において、とても重要な観点で。

今まで続けてこれたことや楽しかった思い出には、必ず「誰か」がいました。
思い返すと僕はその「誰か」に恵まれ続けてきました。

ところがここ最近続けることできないのです。
楽しいと思えることが少ないのです。

なぜだろうか。

好きな思想に
「面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけり」
があります。

どんな環境でも自分の考え方・捉え方ひとつで面白くできる。
その考えは今でも間違っているとは思いませんが、どうやら僕は大きな勘違いをしていたのかもしれません。

単純に周りの人に恵まれていただけなのに、さも自分の心によって(自分の力によって)面白く楽しい人生を歩んでいたのだと。
(なんと傲慢なのでしょう。アホすぎる。。かっこ悪すぎる。。。)

実際はそうではなく、これまで「面白い・楽しい」と思えたのは、自分の周りにいてくれた人たちのおかげだったんだと。
(そうだよ。いまさらかよ。)

それなのにも関わらず、正直に言うと、最近は周囲の人に対し不遜な態度を取ることが多かったように思います。
反省。。

なぜそうなったのか。原因はよくわかりません。
思い当たる節もありますが、明確にコレだ!とも言えない気がします。

さらに言うと、こんな状態は最近だけでなくここ2-3年続いているのです。

いかんいかん。
自分の不遜な態度を改め、敬意と感謝心をもって・・・

もって・・・

・・・

・・

あのー・・・

「自分の不遜な態度を改め、敬意と感謝心をもって・・・」

これちょっと置いておいていいですか。

いや確かに大事なんですよ。
間違いなく。

でもね。やったのよ。
この反省と改善は。何度も。
適切にできていたかはわからないけど。

ただちょっと飽きた。
もうこの反省には。

だから違う方法を取りたいと思います。

自分で人を掴まえにいきます。
環境を変えます。

自分の置かれた環境に不満があった際、今まではその中で面白さ・楽しさを見出してきたつもりだったけれど、そうじゃないんだと。
面白い・楽しいと思わせてくれる人がいただけなんだと。
まずそう考えることにします。

それで今面白くない・楽しくないと思っているんだったら、それは自分の心ではなくシンプルにその環境が、周りにいる人が面白い・楽しいと思わせてくれないんだと。
だったら環境変えればいいじゃないかと。
面白い人に自分から関わりにいけば、一緒にいられるように行動すればいいじゃないかと。
そう思うことにしました。

いやー実に不遜。
でも、それでいいのかもしれない。
少なくとも今はそう思ってみよう。
後ではげしく後悔するかもしれない。
ハゲるかもしれない。(もうハゲている。)
でも、そうしてみたいと思ったんです。

だからやってみよう。

自分で考えて
自分で選んで
自分で歩いた道の途中でこれから出会う人たち。

その人たちが自分にとって心の底から「仲間」と呼べそうな気がするから。

因みに今まで自分と関わってくれた人たちが仲間ではないと言いたいわけではないです。
「ある物事を一緒になって」ここがポイントなんだと思います。

サッカー、受験、(過去の)仕事、子育て
これまでの人生の中で、情熱をもって取り組めた物事。
ここに関わってくれて一緒になって取り組んでくれた人たちは「仲間」だと思っています。

でも今ではサッカーや受験はしていない。
子育てはいろいろあって悪戦苦闘、七転八倒、暗中模索、・・・etc.みたいな状況なのでちょっとここでは割愛。
今の仕事は・・・残念ながら情熱をもって取り組めてはいない。
といった状況のため、「仲間」を感じることが少ないのかもしれないなと。

「仲間」を感じるためにはまずは「(情熱をもって取り組む)物事」が必要で、それを求めにいくために環境を変える、という方が表現としては近いのかもしれない。

よくある「探すものではなく気づくものだよ」的なフレーズも浮かぶけれども、今は気づけないし無理やり見出すものでもないだろうと思うので、とりあえず環境を変えるため、この場所から外に出てみようと思います。

なんとかきれいにまとめたかったけど、この状態でまとめようとすればまた自分の心に嘘ついて飾ってしまいそうなので、この記事はこれでおしまい。
(もうすでに飾っている気もする。。)

数か月後なのか数年後なのかわからないけど。
答え合わせが楽しみですわね。

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ダンベルがわり
あんびりーばぼー