見出し画像

ラマナ・マハルシの『私は誰か?』解説その6【インターミッション】

※タイトル写真はアルナーチャラ(大嘘)の神社。


前回の問13までで実践方法を含めて大方言いたいことは言い尽くしたので、ここであらためてまとめておきます。
こんなの書いても意味がないのかもしれませんが、一応書いておきます。

やること

まずやることですが、散々書いているように

  1. 思考、感情、知覚、行為が起きた際、「その思考、感情、知覚、行為は誰に起きているのか?」と自問してみる。それが「良い」ものだろうが「悪い」ものだろうが。

  2. 回答は「私にだ」となる。

  3. では、「その『私』は誰か?」と思考で自問する。外側に起きた思考、感情、知覚、行為といった対象ではなく、それらの主体である「私」は誰かと問う。

  4. 回答は不要。どっちみち思考では回答など出ない。出ようが出まいがただ神(真我、静寂、意識etc.呼び方色々)に委ね、恩寵に任せる。

やっぱりこれだけです。

本当は、忘れて(何を忘れるのかは↓に書く)いつものパターンに戻った際、「一体私は何をしているんだろう、何を考えているのだろう」と気付くなんてこともあるのですが、忘れるのも気付くのも恩寵なのでまあいいでしょう。

※「物語を語るのをやめる」「感情の直接体験」等もあるけど、名前が異なるだけでやることは自己探求と同じ。「止まれ止まれ」といっても止まらないのは皆さん体験済みだろう。思考でもって思考を制御しようとしてるのだからそら止まらんわ。

早い話何が言いたいのか

それでは↑のようなことやったり色んな本読んだりこんな記事書いたりして、何が言いたいのかということなのですが、

  • あなたや私の本質は、銀河系を包み込む大宇宙からクォークまで、いやそんな概念を超越した「全体」であり、その存在および活動を司る「普遍かつ不変の何か」である。

  • ただし、肉体として誕生してからずっと「私は身体だ私は思考だ」なんて思い込んでいる(エゴに囚われている)からそうは思えない。

  • エゴに囚われている人間は身体、知覚、思考&感情、モノ、カネ、人間関係、状況や出来事etc.といった移ろいゆくものばかりに関心を寄せて囚われている。

  • そのため、自分の本質である「全体」「たった今ここにある不変の何か」を忘れ、肉体が滅びるまでその本質に触れることすら無い。

  • 「何か」が示している「今そうであるもの」に抵抗して苦しみ続けるのもいいけど、思考を停止させ、マインドを「何か」に返し、その「何か」に触れてみてはいかが。

という、文字にするとチープそのもの、『ニュー・アース』のみならず引き寄せやキラキラ☆ハッピー系にも書かれていたでこんな薄っぺらいこと、となってしまうのであります。

そもそも、この文章を読んでいるのはどうせ99.9999%皆さんのエゴだろうから、読んだ途端、
「何それ!?」
「へぇっ!?」
「真我ってそうなのー?」
「その何かに触れたら絶対幸せになれますかぁー!?」
「実証も示したいんで現金を一本だけっ!くださいっ!」
「もう嬉しくて感動で…」
なんていう思考が次から次へと湧いてきて、あーもうめちゃくちゃだよ(杉田智和)となるので、正直こういう所でこういうことを文字にして書きたくないのですアホらしい。

実際どうなる?

じゃあその「不変の何か」に触れたらどうなるのかという話ですが、パパジが言ってた1秒、いや0.5秒か0.25秒くらい触れた(思考が全く停止したことに気付ける)感想としては、「ふうん そういうことか」くらいのもの。

ずっと安らかで「いい気分」になったり光を放つようになったり、ましてや「良いこと」ばかり起きたり願いが何でも叶うようになったりと、エゴの欲望や条件付けに当てはまるようなことは起きません。
そもそもが「新たに何かを得る」という話ではないし。

まあ、そういったエゴの欲望や条件付けについて「そういうものなんだ」と気付くようになる、その欲望や条件付けを抱いているのは「一体誰か」ということくらいは気付くようにはなりますわな。

言い換えると、身体、知覚、思考、感情、モノ、カネ、人間関係、状況や出来事といった「移ろいゆくもの」について、それは単に変化する無常なものでそれ以上でもそれ以下でもないことが分かり、それらに絶対的な価値観を見出さなくなっている私に気付いちゃう、というようなことです。

これじゃあ『ニュー・アース』に書かれていることと同じですヮ。方向は同じなので当然かと思うけど、ここに至るまで随分遠回りしてきたなという感じです。

そんなわけで、エゴに囚われていること自体に気付いてすらいない皆様におかれましては、インチキスピリチュアルや引き寄せやキラキラ☆ハッピー系といったエゴの欲望を満たしてくれることをやった方がいいと散々申し上げているのであります。

エゴの欲望に操られ振り回されてキリがなくなり憔悴してお手上げになる、前回書いた通り「これはな誰でもそうなるんや」と実感するのもいいもんですぜ。

以上、夢を壊すようなことを書いて申し訳ないけど、エゴの見ている夢なんてさっさと壊れて、どうぞということで今回はここまで。

<参考文献>