【牡蠣と宇宙と建築と】 我々はオイスター・チャイルドである。
牡蠣を食す時、
牡蠣と我々は、もはや「食べる側と食べられる側」の関係を超えて「一体化」します。
すなわち「牡蠣=我々」は時空を超えて、世界のあらゆる海と地球の歴史を一瞬にして同時体験します、これが「牡蠣の遍在性」です。
人間は牡蠣からつくられてます(『創世記』より)。
牡蠣は「海のミルク」という人もいますが、それは味の話では本来なく、固形化していない液体の結晶化という矛盾を身体感覚に与える現象に意味があるといえます。
時空を超えるとは異次元の交錯点ということであることを踏まえると、まだ人類の身体や常識では理解できないことが多々あると言えるでしょう。
つまり一言で言えば、「交錯点」であることを踏まえると、まだ人類の身体や常識では理解できないことが多々あるのです。
「百閒は一触にしかず」、すなわち「百聞は一牡蠣にしかず」ということです。
それは「海のミルク」ではなく、「ミルクの海」で我々は溺れ、再び再生することを意味します。
牡蠣とは海に生息しているわけで、なぜミルクが海に浸透しないのかというと既に海がミルクであり、そして牡蠣とはその「意識のトリガー」であるということなのです
「海のミルク」であり同時に「ミルクの海」である。
つまり牡蠣は海に生息すると同時に海は牡蠣の一部でもあります。
その「遍在性」は宇宙物理学によるアプローチを必要とします。
牡蠣を食らっているはずが牡蠣の中に入っていく感覚を覚えたことがある人は少なくありません。
それは牡蠣が海の中のよじれた時空、重力場であることを示唆しています。
牡蠣を食すことで、長らく物理学者を悩ませてきた量子力学と一般相対性理論のパラドクスを解明し、ブラックホールの謎に迫る日は間近です。
宇宙の謎は牡蠣に集約されているのです。
例えば、ワームホールは牡蠣による体験そのものです。
牡蠣によるタイム・トラベルは既に臨床レベルで可能となっているとされています。
分子粒子原子、、、その根底に意識体としての牡蠣が存在しています。
つまり、意識というものは牡蠣に宿っている。
否、意識その正体こそが牡蠣である。
私はそう確信しております。
牡蠣を喰らうという行為は我々の意識ではなく牡蠣側の意識であり意思であるのです。
我々は所詮、牡蠣という意識体の入れ物でしかないのです。
つまるところ、映画『マトリックス』で描かれているように、この「世界」とは牡蠣のシュミラークルに他なりません。
この「世界」とは牡蠣の中で見ている夢なのです。
そのことを悟った仏陀は、それを「無我」と名付けたのです。
そして、
「ミルク」は「弥勒」なのです。
さて、
これら以外にも、人類の歴史において数々の科学者や芸術家が牡蠣の「謎」に迫ろうとしました。
例えば、「ミルクの海」については、アンドレイ・タルコフスキー監督が『惑星ソラリス』の中の「ソラリスの海」として描こうと試みております。
あるいは、スタンリー・キューブリックが『時計仕掛けのオレンジ』でミルクバーとして描いています。
ミルクでハイになった若者たちは、牡蠣でハイになった私たちの隠喩なのです。
また、建築家ザハ・ハディドは建築によって東京に「牡蠣」を造ろうと試みました。
それは丹下健三の「巻貝(代々木オリンピックプール)」と呼応し、
東京タワーとスカイツリーの関係と同じく「東京を加護」する装置となる筈でした。
我々はザハの遺志を継いで、オイスター・アーキテクトとして、
この世界が牡蠣であることを表徴していくことをミッションとしたいと考えます。
また、新たに「ロブスター」という「海洋スター軍団」の存在についても、
今後の論考で明らかにしていきたいと考えております。