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文語の記事

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正確には「口語の記事」以外の記事。不健全な内容が多いような......
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記事一覧

ペシミストでもいいと思った

生きることは罪深いことだと私は思っていた。自分が何かに失敗したときに,それがどんなに些細なことでもすべてを深刻に受け止めしまう性分で,私は生きずらさのようなものをずっと抱えてきた。

誤ちを犯しては誰かを傷つける,私が生まれて来なければそんな大問題は解決されるのではないかと何度も思った。しかし,人類が犯した大きな間違いを無視できるほど単純なことではなかった。

人は考えることを優先し,社会を形成し

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無集中になることの利点

日頃から,私は無意識に何事も行ってしまう。人は脳の90%以上は無意識に働いているとかよく言われるが,私が言いたいのは意識可能なことのみだ。意識可能なこと,もしくは意識すべきことの中で,それを意識しようとしない癖が私にはある。

意識可能なことといえば,典型的には意思決定などがある。自身の判断をもとに選択したりすることは,通常は意識すべきことだろう。だが私はそれを意識せず,脳の100%を無意識に働か

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自己分析中毒

内省と言ってもいいが,自己分析に関する記事はブログとかでよく見かける。しかもnoteでもそんな記事がたびたび目に入る。私のnoteのおすすめに表示されている記事には,MBTIやらエニアグラムやらの自己分析ツールに関連した記事が山ほどある。

そもそも,そんな記事ばかり私に推薦しているのは私がMBTI系の記事を見すぎていることが原因だろう。ということは,今私は自己分析をやりすぎているということだ。

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脳内で生活していたい

脳内で生活していたい

私の日頃の脳内には「自分」のことばかりあって,隙あらばとメタ認知している。自分自身の理解は他人の理解につながると聞いたこともあるが,まだ私には疑わしい。確かに,自分は人であり,人は人々なのだからそうなのかもしれないが信じがたい。

1人で黙って自己分析とかもするので,もちろん考えること自体好きだ。周りから見ればただぼーっとしているようにしか見えないようだが,脳内は絶え間なく回り続けている。一度思考

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飽き性の詩。?

私の中にある飽き性が
より強くなりつつある
自分に飽きたくない
そんな思いが私を焦らせる

真の姿はああでもこうでもないと
自らを玩具のように扱った

内省の中
メタ認知の果てに
「飽きたなあ」とつぶやいた
新しさを求め
飽きないように
旅行ではなく旅へと

いくつか本を手に取り
思索の世界へと飛び込む私
でもそれぞれのページは未だ踏み込めず
深く味わうには至らない

変わらなくていいんだよ
周り

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宗教にまったく縛られないことは難しいかもしれない

宗教にまったく縛られないことは難しいかもしれない

時代の流れとともに,宗教は曖昧なものに見えてきた。しかしながら,生活の中で根強く残っているものも多い。文化的な対象として扱うこともあるが,確かに切り離しがたい存在ではある。

私は宗教的なイメージのものがとにかく大嫌いだ。自分でも理由はわからないが,見たり聞いたりするだけでなぜか気分が悪くなる。宗教そのものに嫌悪感はないのだが,それを象徴するものには拒否反応を起こす。もちろん,程度にはよる。

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論理的な正しさは屁理屈?

論理的な正しさは屁理屈?

風が吹けば桶屋が儲かると思う人に対して,私は尊敬している。なぜかというと,極わずかな可能性をその人たちは信じているからだ。もちろん,私は風が吹けば桶屋が儲かると思わない。だが,可能性を否定しているわけではない。

これは誤謬だと言われるが,可能性は信じていいだろと言いたくなる。

他にもいろんな誤謬とか詭弁とか,いわゆる非論理な推論がたくさんある。これを私の周りには何とも思わないと感じる人が多いよ

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なかなか自分自身はわからない

なかなか自分自身はわからない

今までずっと自己分析とかを含めた内省をし続けてきたが,まったく自分という存在が何者であるかすらわかる気配がない。いつまでもこんなことを考えているわけにはいかないが,たえず無限ループに陥ってしまうことになる。

しかたのないことだろうが,この無限ループに陥ってしまったときには情緒不安定としか言えないような気分になる。傍から見ればさほど不安定さはないというが,内部の混乱は抑えきれない。それでも,なんと

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あえて出来事を書かない日記

あえて出来事を書かない日記

あけましておめでとうございます。今年最初の投稿です。

最近,私は日記を書かなくなってきた。毎日書くということが私には難しく感じるからだ。久々に日記帳を開いてみたが,見返しても書いていない日が多かった。

その中には,「楽しかった」「寂しかった」とだけ書かれた日のほか,「いろいろ書きたいが,あえて省略する」と書かれた日がいくつもあった。今見ると,この謎めいた書き方が何を意味していたのかまったく検討

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哲学より表現が好き

哲学より表現が好き

『生の短さについて』という本を試し読みした。特にこれといった理由もなく,ただ哲学に触れたいという気持ちで読んだだけだ。さわりだけ読んだが,文の難解さはさることながら,ネガティブなこともあった。とはいえ,私がネガティブに受け取った可能性もある。

あまり気分は満たされなかった。私は哲学がとても好きなので,面白い本だろうと思って開いたが,なぜか性に合わない。「死」について触れられているからだろうと思っ

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心の支えとなる音楽

心の支えとなる音楽

音楽についてなんとなく書きたくなったので,何も取り留めずにゆるくまとめます。

中学時代に私はギター・マンドリン部(通称ギタマン)に所属していた。当時は学校生活の中で最も大事にしてきた活動であった。部員との関係が疎遠になった今,音楽を誰かとともに楽しむということがかなり少なくなった。

現在,リアルでは忙しくなって音楽を楽しむ余裕がなくなってきた。音楽は楽しむことから始まるとか誰かが言っていたよう

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"知る"行為と意味の使用説

"知る"行為と意味の使用説

"知る"という行為は,脳内に情報を知識として取り入れるというように単純に捉えられる。これはわかりやすい捉え方ではあるが,当たり前すぎる気もする。本当はこの捉え方は曖昧で,もう少し面白く捉えられるのではないか,というどうでもいいことを考えてみた。

言語学や脳科学,心理学など学際領域も含め認知科学といわれる分野では,それぞれ"知る"ということをユニークに解釈している。その中で,私は哲学(特に認識論)

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いろいろ知りたい人と深く知りたい人

いろいろ知りたい人と深く知りたい人

私はとにかく社交が苦手だ。人と会話すること自体はさほどでもないが,社交辞令というものには理解に困るものがある。その中でも,冗談をあえて言って場を和ませることは私には到底できない。

その大きな要因としては,1人で興味のあることを学ぶなどといったことが好きすぎるということがある。その一方で,深い話が嫌いだという人もいるようである。シリアスな話や重い話は笑える要素が少なくて,嫌いな人は嫌いだろうと思う

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自己分析が好きなのは否めない!

自己分析が好きなのは否めない!

私のnoteの記事を見返してみると,自分のことばかり書いていて,あまりにも個人的すぎる内容が多くある。私自身,自分という存在が一番謎めいているように思うので,つい意識が自分へ向かってしまう。実際にこの記事も自分のnoteに意識が向かっている。これは性格によるものだか好みによるものだか曖昧だが,無意識に自己分析しているということだ。

しかし,自己分析ばかりしていると,周りへの意識がおろそかになり,

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