宗教にまったく縛られないことは難しいかもしれない
時代の流れとともに,宗教は曖昧なものに見えてきた。しかしながら,生活の中で根強く残っているものも多い。文化的な対象として扱うこともあるが,確かに切り離しがたい存在ではある。
私は宗教的なイメージのものがとにかく大嫌いだ。自分でも理由はわからないが,見たり聞いたりするだけでなぜか気分が悪くなる。宗教そのものに嫌悪感はないのだが,それを象徴するものには拒否反応を起こす。もちろん,程度にはよる。
科学が発達したことにより,昔に比べると宗教への依存は弱くなっているが,それでも現代では違和感のあるものがある。そういったものを除外していくことで,宗教は現代のものへと変化していくのではないか。
現代的な宗教は,例えば無神論などがある。少し語弊のある表現になるが,神の存在はおおよその宗教で認められている。しかし,なぜわざわざその存在を仮定しておく必要があるのだろうか。存在しないとも言えないが,存在させる意義が私にはよくわからない。正直宗教なんて時代に合わせて変化させたほうが良いのではと思う。
いちおう断っておくが,私は神の存在を認めていない。ただ,気休めに"目に見えない存在"とだけ信じている。
無神論というのも,神が存在しないことを主張するものだ。私はそれも違和感があると思う。神の存在の否定を主張するなら私は納得できる。
どちらにしても,現代では違和感を覚えるのは当然のことだと思う。
神の存在についてもそうだが,議論するだけ別の宗教が生まれるといえる。それが,この社会に宗教がまとわりつく大きな要因だろう。いくら科学が発達したからといって,未定義の宗教はたくさん生まれ続ける。そして,知らぬ間に支配されていくのも当然だと思う。
例えば,私が自身の価値観を信じ抜いたとしても,その価値観の中には何かしら制限がかかっている。宗教を象徴するものが嫌いな私でも,無意識のうちに宗教が入り込んでいるという。
なにかとよく問われる「何のために生まれたのか」「何のために生きるのか」という問題も,宗教と解釈できてしまう。
正直こんな解釈ができてしまうということにはショックでしかない。自分で導き出した納得できる答えにもかかわらず,それが自分を縛るものだと思うと,宗教は本当に恐ろしいものだ。だから,私はなるべく宗教について言及したくはない。
とはいえ,宗教といって身構える必要もないとは思っている。その代わり,もう少しイメージの優しい宗教があればいいなと思う。
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