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#世界史がすき

世界史がすきだと感じたエピソード、学習の記録、勉強法など、世界史にまつわる投稿を募集します!

急上昇の記事一覧

世界を変えた戦争: 紀元前338年 カイロネイアの戦い

ユダヤ人によるホロコースト産業の告発。つまりタカリ・ビジネス。1976年にイスラエル軍が周辺国に対し圧倒的勝利を収め米国の代理となり得るとはっきりしてからザ・ホロコーストが神聖化した。慰安婦問題に酷似か?『許す』という概念がない。 https://amzn.to/3ZguDWL

歴史分野の難しさについて

主に世界史では、ギリシャ、スペイン、アメリカ、ドイツ、トルコ、中国、ロシア、韓国、北欧、フランス、イギリス、イタリア、ブラジル、インド、東欧、タイ、オーストリア、オランダ、エジプト、カナダ、スイス、ベトナムなどを学習してきた。 そしてどれも容易ではなかった。どれも難しかった。そもそもすべての国や地域は独自に発展してきたわけではない。 エスノセントリズム的な勉強方法では学習機能が停滞してしまう。 前提の素養がなければその分野の情報だけ仕入れても理解は困難である。ゆえにフロ

再生

紀元前338年 カイロネイアの戦い:マケドニアVSギリシア都市国家

【歴史22】ベトナム史備忘録19(莫朝・莫登庸・阮淦・荘宗・鄭検)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①1497年に聖宗が亡くなり武人勢力と文人官僚の対立が激化した。皇族同士が帝位を争い皇帝権力は衰退した。 ②1522年に平野の武人で海上生活民の子孫と云われる莫登庸(マクダンズン)が第12代皇帝である恭皇(クンホアン)を擁立した。 1527年に莫登庸は皇帝に帝位を譲らせて自分は皇帝となった。これが莫朝である。③清化出身の武人たちのリーダーだった阮淦(グエンキム)はラーンサーン王国に支援を求めた。1532年に黎朝の皇族を荘宗(チャン

世の中には「人に任せられない人」が一定数いる。任せた、譲ったと言いながら、いつまでも口を出し、報告を求める。その割に支援をせず、一時的な結果だけで甲乙つける。これは「老害」の一つ。 「潮時」という言葉があるように、任せたり譲ったりしたら、手を引く。これが後輩を育てる一番の道

歳差運動による “2000年続く”水瓶座の時代 木星土星グレートコンジャンクションによる “200年続く”風の時代 そして冥王星による “20年続く”冥王星水瓶座時代 水瓶座は風の星座ゆえ 3つあるロングカウントのぜんぶが “風の時代の初期”に該当する 風が強すぎる今このとき💥

シュルッパクの教え:世界最古の哲学書が語る知恵

大洪水前の知恵、現代に響く言葉皆さんは「シュルッパクの教え」という言葉を聞いたことがありますか?紀元前2000年頃に書かれたこの作品は、世界最古の哲学書の一つとして知られています。シュメール文明という、メソポタミア文明を築いた古代文明の知恵が凝縮されたこの書物は、現代においても多くの示唆を与えてくれるのです。 物語の舞台は、大洪水前のシュルッパク物語の舞台は、大洪水前のシュルッパクという都市です。シュルッパクの王が、息子であるジウドゥスラに様々な教えを授けるという形で物語は

世界史全国1位が国の擬人化漫画:「ヘタリア」について熱弁する。

高校3年生の受験シーズンまっさかり。 勉強漬けの日々の中、 わたしはある漫画に沼った。 漫画のみならず、声優にもハマり、 アニメ非課金勢であったのに、キャラソンまで買ってしまった。 その漫画とは、 「ヘタリア AXIS POWERS」だ。 「ヘタリア AXIS POWERS」とは?国を擬人化したキャラクターたちによる、 世界史や国際問題をテーマにした漫画。 アニメ化も映画化もしている。 ▼World⭐︎Starsがジャンプ+アプリで無料でも読める。 この新シリ

本雑綱目 66 サンディリャーナ ガリレオ裁判

今回はサンディリャーナ著『ガリレオ裁判』です。一瀬幸雄訳。 岩波書店、ASIN ‏ : ‎ B000J9ZYDU。 NDC分類では440、自然科学>天文学. 宇宙科学に分類しています。 これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。 ★図書分類順索引 1.読前印象  最近チ。がアニメ化したと聞きました。チ。はこの地球ではない話(にして全方位から安全をえた著者は凄いと思う)だけれど

【歴史22】ベトナム史備忘録18(公田・洪徳律・聖宗遠征・ヴィジャヤ占領)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①黎朝は陳朝の終わりから増えていた荒れた土地や持ち主のいない土地を国有地として難民や兵士に与えて耕させた。これが公田(コンディエン)である。既存耕作地は税を払う必要のない私田(トゥーディエン)とされた。 ②公田が私有地となり新豪族が生まれないように名簿に登録された耕作者に定期的に耕作地を分け与える均田制が整備された。 ③公田を受給した農民は納税や労役と兵役を義務づけられて国家を直接サポートする存在となった。公田や耕作者を管理するた

隠蔽される17世紀の大洪水

 破局的な大洪水は、世界的に見れば過去に何度も起きている。ノアの洪水として記録された滅亡レベルの洪水はただ一度だけかもしれないが、局所的に準滅亡レベルならば何度か起きていたようだ。  シュメール時代には高潮なのか海面が上昇したのか、広い範囲が海水につかる被害が発生したようだ。  紀元前2千年紀には、ギリシャ世界で有名なデウカリオンの洪水が起きている。  その後もエーゲ海で大津波が起きた記録があり、ギリシャでは多数の死者を出している。    その後も高潮や嵐による洪水はあちら

シュメール神話の織りの女神、ウットゥ:生命と創造の物語

シュメール神話に登場する女神、ウットゥ。彼女の名前を聞いたことがあるでしょうか?ウットゥは、単なる女神ではなく、古代メソポタミアの人々の生活と信仰に深く根ざした、重要な存在なのです。 機織りの女神、ウットゥウットゥは、機織りの技術を司る女神として知られています。古代メソポタミアにおいて、織物は単なる生活必需品ではなく、人々の美意識や社会的な地位を反映するものでした。ウットゥの存在は、そのように人々に深く愛された織物の技術と美しさを象徴しているのです。 エンキとの関係と生命

【歴史22】ベトナム史備忘録17(黎朝体制・仁宗・黎宣民・聖宗・進士・六部・官庁設置・監察制度)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①黎朝は清化の山地出身の武人たちが平野を支配した王朝だった。軍事を担う清化の武人と平野の文人官僚たちが対立するようになった。黎朝初期には阮廌が宰相となって儒教に基づく官僚国家を目指した。②科挙を整備して朱子学を正統な学問とした。黎利の創業を助けた武将とその子弟たちが権力を握ると阮廌を失脚させた武人たちが宰相職を独占した。 ③第3皇帝の仁宗(ニャントン)の治世時の1459年に 文人官僚の支持を得ていた黎宣民(レイギーザン)がクーデタ

心に響く偉人の言葉30

今日は、「心に響く偉人の言葉」を、お届けしたいと思います! こちらはすべて、私が毎朝Xで発信している内容の総集編になります。 Xでは、毎朝、偉人の言葉+心構えのポストを投稿しています♪ Xでの発信はこちら!まだの方、ぜひフォローよろしくお願い致します!↓↓ 仲川光🌸(@nakagawa1510)さん / X (twitter.com) 朝の挨拶ポストとして始めたこの企画ですが、ステキな名言が沢山ご紹介できそうなので、まとめてご紹介する回を作ってみました! 皆さんの

【歴史22】ベトナム史備忘録16(明の侵攻・胡朝滅亡・黎利・ラーンサーン王国・阮廌・後黎朝)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①胡朝は何度もチャンパを攻撃した。チャンパ王は明に朝貢をした際に大越への攻撃を求めた。 ②明の永楽帝は胡氏が陳朝を乗っ取った事と朝貢しているチャンパを攻めた事の懲罰を口実に胡朝を攻撃する事を決定した。 ③1406年に100万人あまりの兵を大越に送った。明と歩調をとってチャンパは大越を攻撃した。 胡朝は人々からの信用を得られていなかった。④明軍が来ると将軍は次々に降伏した。モンゴル軍と戦った際のゲリラ戦ができなかった。1407年に

本雑綱目 65 陳舜臣 巷談 中国近代英傑列伝

今回は陳舜臣著『巷談 中国近代英傑列伝』です。 集英社新書、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4087203684。 NDC分類では282、歴史>アジア(伝記)に分類しています。 これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。 ★図書分類順索引 1.読前印象  陳舜臣は中国の歴史の本をたくさん書いている大家だけど、巷談、つまり世間話とか噂話というとライトな感じの話だろうと思う。

アルリム – 伝説の王、シュメール文明の夜明けを照らす

シュメール文明という言葉を聞くと、古代メソポタミアの壮大な都市国家や楔形文字、そして神々を連想する方も多いでしょう。その文明の黎明期を彩る伝説的な王が、アルリムです。 28,800年の長き、理想の時代シュメール王名表によれば、アルリムはエリドゥの最初の王として、実に28,800年間も君臨したとされています。この途方もない数字は、もちろん歴史的な事実というよりは、神話的な長寿を象徴するものでしょう。しかし、この長い治世は、アルリムがいかに理想的な王として人々に慕われていたかを

御相伴衆~Escorts 第一章 第115話番外編⑤「俺は『柚葉』になった」柚葉編「初恋」より

 スメラギ皇国への訪問の日がやってきた。  紫統様の側で立場を隠し、随行者として、伴うこととなった。見聞を拡げる目的と、王族としての学びの為という事で、親には、伝えられた。  専用機に乗り込み、素国の国内の領土上空を、初めて、見下ろした。 「まだまだ、この領土は続きます。素国の広大さが、実感できるに違いありません」  紫統様は誇らしげに、俺に話してくれた。今、まさに、飛んでいる地方の特徴など伝えられた。その内に、空気が、黄色い靄がかかってきたように、変化してきた。

【歴史22】ベトナム史備忘録15(陳朝体制・制蓬峩・胡季犛・少帝・漢蒼・胡朝台頭)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①14世紀前半に陳朝は陳朝の王女をチャンパ王に嫁入りさせる事と引き換えにクアンチ南部からフエにかけて 地方をチャンパから割譲させた。 西北地方のタイ人のムオンに遠征軍を送って勝った。 ②14世紀半ばになるとチャンパ軍が大越に侵攻し割譲領土が再度奪われた。制蓬峩(チェーボンガー)王の時代にチャンパ軍が昇竜を何度も攻撃して陳朝の皇帝は戦死した。 ③大越は1389年の戦いで火器を使って制蓬峩を倒した。滅亡は防いだ。制蓬峩は大越側の史

ダムガルヌンナ:メソポタミア神話における母なる女神

メソポタミア神話という壮大な物語の中に登場する、魅力的な女神がいます。その名はダムガルヌンナ。シュメール時代には神エンリルの妻として、アッカド時代には神エアの妻、そして神マルドゥクの母として、様々な顔を見せてくれる女神です。 エンリルとダムガルヌンナ:風と嵐の神の妻シュメール神話において、ダムガルヌンナは風と嵐の神であるエンリルの妻として登場します。エンリルはシュメール神話の主要な神の一人で、天地創造に関わる重要な役割を担っていました。ダムガルヌンナは、そんなエンリルの配偶

エデンの園はどこにある?

 アダムとエバが暮らしていたという、エデンの園はどこにあるのでしょう。今に伝わる書物でエデンの園の記述があるのは聖書だけですが、実はシュメールの粘土板からもその痕跡をうかがい知ることができます。  エデンは架空の土地ではなく、天国でもありません。かつては名の知れた実在する土地でした。  パラダイスのもとの言葉はペルシア語のパイリ・ダエーザですが、主に手入れの行き届いた庭園、または果樹園や耕作地を指して使われ、とりわけペルシアの王様が近しい人々と過ごす美しい庭園が有名でした。

【歴史22】ベトナム史備忘録14(国家意識・粤甸幽集霊・大越史記・大越史記全書・字喃)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①モンゴル侵略によって文化面に変化をもたらした。大越では巨大な敵を倒した「我ら」の国柄が意識されるようになりモンゴル撃退に功績があった各地の神々を称える『粤甸幽集霊』(ベトディエンウーリンタップ)が作られた。 ②陳朝の官僚である黎文休(レーヴァンフウ)によりベトナム最初の歴史書である『大越史記』(ダイベトスーキー)が書かれた。『大越史記全書』(ダイベトスーキートアントゥー)では自分たちの国は中国に対峙する南国であるという自意識が見ら

【歴史22】ベトナム史備忘録13(モンゴル帝国・元寇・チャンパ・大越の抵抗・交易拡大)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①13世紀にユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国は日本や東南アジア諸国へ大軍を送り込んだ。元寇である。 ②南宋への包囲網をつくろうとして雲南の大理王国を降伏させた。1257年に大越に侵攻したが撤退した。1274年の文永の役は南宋に対する包囲網をつくるために行われたと云われている。 ③1279年に南宋を滅亡させたモンゴル帝国は海上支配に乗り出していった。1281年には弘安の役が行われた。南海の玄関口であるチャンパを攻略して南海

強姦の西洋軍事史

不可解な犯罪 僕は強姦に絶対反対だ。 窃盗も殺人も、情状酌量の余地があるケースは、あるかもしれないと思う。 例えばお腹が減ってパンを盗んだとか、自分を騙して裏切った愛人を殺したとか、「思慮が浅いとはいえ、わからないではない」とも思う。 しかし強姦には断固反対だ。 いかなるケースも許せない。 そもそも弱い者いじめは悪いことだ。 嫌だと言っているひとに、自分の欲望を強制するのは良くないことだ。 性行為は当事者が合意したうえでおこなう楽しみである。合意があればこその快楽であって

【歴史22】ベトナム史備忘録12(陳朝・陳守度・李恵宗・昭恵・陳煚・上皇制・近親婚・堤防建設)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①李朝で13世紀に入り皇帝側近の争いから諸クニによる争いとなった。内乱となり分裂した。 ②陳守度(チントゥード)という人物が宮廷の実権を握ると皇帝だった李恵宗(リーフェトン)に男子がいなかったので次女で7歳の昭恵(チェウホアン)に位を譲らせた。 ③一族で同じ歳の陳煚(チャンカイン)と結婚させて煚に位を譲らせた。この譲位は創作という説もある。 ④1225年に陳朝が誕生した。陳守度が太子となり陳承が上皇となった。陳氏は王位継承を誇示

アントゥ – バビロニア神話の母なる女神

古代メソポタミア文明の神話に登場する女神、アントゥ。彼女の名は、シュメール神話におけるキに対応し、バビロニア神話においては天の神アヌの最初の配偶神として重要な地位を占めていました。 天地創造の女神、そして万物の母アントゥは、単なる女神という枠を超え、宇宙の創生に深く関わる存在でした。彼女は、アヌンナキ(地上の神々)とウトゥッキ(地下の神々)を産み、天地創造における重要な役割を果たしました。そのため、アントゥは単なる一人の女神ではなく、宇宙の秩序を司り、万物の母として崇められ

「隋唐帝国 対 突厥 ~外交戦略からみる隋唐帝国~」(12)

第三部、 唐・太宗の玄武門の変と東突厥の隋再興運動3、義兄弟の密約  624年、唐は李世民兄弟の活躍により、隋末以来の群雄をほぼ平定していました。他方、東突厥とは関係悪化のままで、その侵攻が相次ぎ、苦心した高祖が息子たちと「長安からの遷都」を協議するという状況でした。  さらにこれと並行して、李世民兄弟の後継者争いが勃発します。この骨肉の争いが、2年後の玄武門の変をもたらすこととなります。  まず、「李世民を正当化した史書」の一つ、『旧唐書』に描かれる兄弟の対立を見てみ

【歴史22】ベトナム史備忘録9(妻方一族・丁部領・宋の台頭・璿・黎桓・前黎期)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①ベトナム北部は中国独立後も混乱していた。944年に呉権が亡くなり妻方一族との間で争いが起こって政権は不安定だった。十二使君と呼ばれた豪族たちが各地に並び立った。 ②丁部領(ディンボーリン)は966年に分裂を収めた。 皇帝を名乗って丁朝を開いた。国号を大瞿越(ダイコーベト)と定めたと史料には記されている。大いなる越という意味である。丁部領は華閭(ホアルー)に都を置いた。 ③中国では五代十国の分裂の時代が終わって中国統一に乗り出し

エヌマ・エリシュ:壮大な宇宙創造神話の世界へようこそ

古代メソポタミアの神話、特にバビロニア神話において最も重要な叙事詩の一つに数えられるのが「エヌマ・エリシュ」です。この叙事詩は、天地創造から神々の戦いを経て、現在の宇宙が形作られていくまでの壮大な物語を描き出しています。 混沌から生まれた世界物語は、まだ何も存在しない混沌の状態から始まります。真水を司るアプスーと塩水を司るティアマト、そして霧を司るムンムといった原始的な神々が現れ、彼らの交わりから多くの神々が誕生します。しかし、生まれた神々は騒がしく、アプスーは彼らの存在を

【歴史22】ベトナム史備忘録11(文廟・占城稲・英宗・安南国・沈香戦争)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①李朝は官僚制度の完備ではなくクニの連合体であったと云われている。李朝の皇帝や王族は自ら指揮をとって諸クニや周辺勢力に軍事を見せつけた。仏教や土着神を王の誇示に利用した。 ②11世紀後半に孔子を祀る文廟(ヴァンミエウ)が創建された。儒教は王の権威を高める権威であり科挙は実施されなかった。有力豪族に地方官の官職を文得て政略結婚をくり返した。 ③中世温暖期だったので李朝の農業生産が増えた。インドから乾季に育つ稲が伝わって低稲地でも乾季

古代メソポタミアの心臓部、アヌ地区:天空神アヌが宿る聖域

メソポタミア文明の輝かしい歴史を語る上で欠かせないのが、ウルク市です。現在のイラク南部に位置するこの都市は、シュメール文明の中心地として栄え、数々の偉大な発見と文化を生み出しました。そして、ウルク市の中でも特に重要な位置を占めていたのが、アヌ地区です。 アヌ地区:悠久の時を刻む神聖な場所アヌ地区は、ウルク市の中でも最も古い部分の一つであり、エアンナ地区よりもさらに長い歴史を持っています。巨大な基壇の上に建てられた「白色神殿」は、天空神アヌに捧げられた神聖な場所でした。この基

ポンペイ犠牲者のDNA分析についての記事

 なかなか本格的な記事が書けずにおりますが、今回も単なる記事紹介です。ポンペイから出土した遺骨のDNAを調べたところ、今まで親子だと思われていた遺体が他人だったり、姉妹と思われていた遺体の片方が男性だったりということがわかっているそうです。またポンペイの住民は東地中海から移って来た人が多いようだとも。  昔、上の子と博物館でポンペイ展を見たことを思い出します。  よその記事の紹介のみでしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いで

【東アジア諸国や東南アジア諸国学習】中国王朝の制度と潮流が要である。殷・周時代までは求められなくても春秋戦国、秦漢、三国晋、五胡十六国時代は微妙に要求される。隋唐、五代十国、宋、元、明、清時代は世界史や日本史問わず必ず要求される時代区分だ。中国王朝の把握は必須となる。

歴史から数理モデルに思いを馳せる。

別に歴史を次々に起きる関連のない出来事の連なりと考えることもできるけど、そこにはジグザグの進歩のパターンがあると考えることもできる。 統合と分離、或いは発展と衰退の寄せては返す波として歴史を眺めることができる。 いったい何が帝国をばらばらの小国家に引き裂き、また異なる帝国が生まれるのか。 この繰り返しのパターンはどのように短縮され、延期されるのか。 ここに着目したのがピーター・ターチンだ。 彼は数理モデルを用いて帝国の衰亡を説明しようとする。 それは中国の王朝であった

エン・メン・ドゥル・アナ:天空の知恵を授かった伝説の王

シュメール文明の夜明けを照らした神秘的な存在古代メソポタミア、特にシュメール文明において、エン・メン・ドゥル・アナという名前は、神話と歴史が交錯する、極めて興味深い存在として語り継がれています。彼の名は、「Dur-an-kiの権力者の長」を意味し、「Dur-an-ki」は「天地の集会所」を指す言葉です。 シュメール王名表に記された長寿の王シュメール王名表によれば、エン・メン・ドゥル・アナはシュメール王朝以前の7代目の王として君臨し、シッパルという都市を治めたとされています。

【歴史22】ベトナム史備忘録5(交易権威・士燮・インド化・中国朝貢)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①交趾群は国際交流の中心地として発展した。交趾群に赴任した地方官のなかで交易利益によって権力を得ているものがいた。ゆえに中央の意向に従わなかった。 ②後漢の末期に交趾群の太守であった士燮は地方官として有名である。交益で力をつけていき三国時代の群雄の1人とされるまでになった。南越領域を支配する事に成功した。 ③4世紀以降にインド洋の東側でモンスーン航海が行われた。こうしてベンガル湾を渡ってインドから多くの人々が東南アジアにやってきた

ダビデ王の子孫は現在いるのか

 みなさんは「ダビデ王」という人を知っていますか? 古代イスラエルの王で、イスラエルの歴史において非常に重要な人物です。 今回の記事では、そのダビデ王の子孫は現在いるのかについて調査してみました。   ・ダビデ王とは  ダビデ王は、旧約聖書にでてくる古代イスラエルの王です。紀元前1010年頃に生まれ、紀元前970年頃に亡くなったそうです。 ダビデ王は、イスラエルの統一を成し遂げ、エルサレムを首都と定めました。 また、多くの戦争でも勝利を収めました。巨人「ゴリアテ」と戦っ

【歴史22】ベトナム史備忘録7(李南帝・安南都護府・梅黒帝・阿倍仲麻呂・南詔・安史の乱)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①ベトナム北部で圧政を行う地方官へ反乱が起こっていた。541年に李賁(リービー)が中国支配に対して反乱を起こして南越帝を名乗り544年に万春国(ヴァンスアン)を立てた。 ②李賁はベトナムでは李南帝(リーナムデー)として認知されている。中国からの移民の家系の出身と云われている。万春国は602年に中国統一された隋により滅ぼされた。 ③隋は林邑に遠征して略奪を行って打撃を与えて交趾郡の中心を西方との交通に有利なハノイに移した。唐は交趾、

【歴史22】ベトナム史備忘録6(ドヴァーラヴァティ・真臘・チャンパ・チャンパープラ・西アジア商人)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。①インドから農業技術やインディカ米が伝来して内陸農業国家が発展した。内陸交易が発展して海陸の交易ルートの支配に走ってインドシナ半島の政治に影響を与えるようになった。 ②6世紀ごろからインドシナ半島の中央にドヴァーラヴァティ、カンボジア平原に真臘ができた。真臘は7世紀に扶南を併合した。林邑のクニと真臘は対立と協力をしていった。 ③林邑は7世紀にチャンパというインド風の国名を碑文に記すようになった。中国史料には林邑が国名を環王に変えた。別

【歴史22】ベトナム史備忘録10(李太祖・李朝・儂智高・聖宗・大越・仁宗・冊封)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①黎桓は10005年に亡くなり子どもたちが争った。 黎桓側近の李公蘊(リーコンウン)が1009年に前黎期を倒して李太祖(リータイトー)として即位した。ここから李朝となる。彼は中国福建の移民家系と云われている。 ②太祖は大羅城があったハノイに遷都して昇竜(タンロン)城に改名した。太祖が大羅城に入城しようとした際に黄金の竜が現れた事に因んだものと云われている。 ③1014年に雲南の山地民20万人が攻め込んだがこれは撃退された。カオバ

【異国合戦(26)】幻の異国征伐

 文永の役を乗り切り、外交使者を斬殺したイケイケの鎌倉幕府は海を越えて朝鮮半島への出兵を計画します。  今回は幻の異国征伐について。 前回記事は下記よりどうぞ。 これまでの全記事は下記から読めます。 異国征伐 杜世忠らを斬首した後、建治元年の年末が近づくと鎌倉幕府は異国防御の政策を発展させて、元の日本侵攻の前進基地となっている高麗に逆侵攻する「異国征伐」の計画を進めるようになる。  現代を生きる日本人にとっては豊臣秀吉の朝鮮出兵の失敗をしっていることもあり、強大な元・高

古代メソポタミアの嵐と雷の神、アダド

メソポタミア神話に登場する神々の中でも、特に力強く、そして自然の猛威と恵みを象徴する神がいます。それが、アダドです。 アダドとは?アダドは、メソポタミア神話における天候、嵐、雷の神です。シュメール語では「イシュクル」、カナン地方では「バアル」とも呼ばれ、古代中東で広く信仰されていました。特に北メソポタミアやシリア地方では、アダドは人々の生活に深く根ざした重要な神として崇められていました。 アダドの名前の由来と象徴アダドの名前は、アッカド語で「雷」を意味する言葉に由来してい

【書評】鶴見太郎「イスラエルの起源」(講談社選書メチエ)

 現在、連日のように国際ニュースをにぎわせているイスラエル。混迷したパレスチナ紛争については、仕事でも取り上げたことがあります。 (上記の記事を取材・執筆しました)  また、私のnoteでも何回か取り上げたことがあります。  今回はパレスチナ側ではなく、紛争のもう一つの当事者、イスラエルの側を掘り下げた書籍を紹介します。  そもそも、イスラエルについては「第二次世界大戦中、ホロコーストという迫害を受けたユダヤ人が中東に逃れ、建国した国」というイメージがあると思います。

イギリス絶対王政と宗教改革

スペインの絶対王政が始まったのは、16世紀の初め頃でした。イギリスも同時期に王権が絶対王政の基礎を築いていきます。今日はイギリス絶対王政の過程と、それに伴う宗教の変化について学習しました。 百年戦争とばら戦争を終え、15世紀後半からテューダー朝のヘンリー7世がイギリス(イングランド王)を統治し、その後、その子供のヘンリー8世があとを引き継ぎます。 ばら戦争を終えたイギリスでは貴族階級が没落し、王権が強くなります。イギリス王権は、ジェントリーと呼ばれる地主階級を官僚として起

【歴史22】ベトナム史備忘録3(雄王伝説・涇陽王・貉龍君・嫗姫・安陽王・サーフイン文化)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。 ①雄王(フンヴォン)伝説はドンソン文化を背景としていた。ベトナムが2500年の歴史と云われるのはこれが要因である。ベトナム民族文化の象徴としてドンソン銅鼓が見られる。 ②中国の伝説では三皇五帝と呼ばれる8人の皇帝が存在する。農業や医学と薬学にゆかりのある炎帝神農氏の子孫で中国南方を治めた涇陽(キンズオン)王がいた。 ③その息子の貉龍君(ラクロンクアン)が山の仙女の嫗姫(アウコー)と結婚した。嫗姫は100の卵から100人の息子を生ん

ニンシュブル:メソポタミア神話における多才な女神

シュメール神話に登場する女神、ニンシュブル。彼女の名は、シュメール語で「従者たちの女王」あるいは「スバルトゥの女王」を意味し、その名の通り、女神イナンナに仕えるスッカル(ワズィール)として知られています。 イナンナの右腕、そして天空の神アンの大臣イナンナといえば、美と愛と戦争の女神として知られますが、ニンシュブルはそんなイナンナの活動を陰ながら支える存在でした。イナンナが神聖な「メー」を盗んだ際、アプスーからエンキの下僕を撃退するなど、数々の冒険に同行。イナンナが冥界に閉じ

カルトゥーム・ヴァリアント:ナイル川流域に花開いた古代文化

サハラが緑豊かだった時代紀元前8000年から5000年頃、現在のスーダンとエジプトの一部は、私たちが知る砂漠とは全く異なる姿をしていました。サハラは湿潤化し、緑豊かな大地が広がり、ナイル川流域には豊かな生態系が育まれていました。この恵まれた環境のもと、カルトゥーム・ヴァリアントと呼ばれる独特の文化が花開いたのです。 狩猟採集民の暮らしカルトゥーム・ヴァリアントの人々は、ナイル川沿いに小さな集落を形成し、狩猟、漁労、採集を主な生活手段としていました。川魚や貝類は彼らの食卓を豊

裴李崗文化:中国新石器時代の夜明けを告げた人々

黄河流域に栄えた古代文明中国の悠久の歴史は、黄河流域で誕生したと言われています。そして、その歴史の幕開けを告げたのが、裴李崗文化(はいりこうぶんか)です。紀元前7000年から紀元前5000年頃、現在の河南省を中心に栄えたこの文化は、中国の新石器時代を代表する重要な文化の一つとして知られています。 農業と畜産を基盤とした生活裴李崗の人々は、すでに高度な農業と畜産を営んでいました。彼らが主要な作物としていたのは、アワやキビ。そして、ブタやイヌを家畜として飼育していました。考古学

ニンスン:ギルガメシュの母、そしてメソポタミア神話における重要な女神

メソポタミア神話に登場する数多くの神々の中でも、ニンスンは特筆すべき存在です。特に、英雄ギルガメシュの母として知られる彼女は、この壮大な叙事詩に深みと複雑さを加えています。 野生の牛の女神、ニンスンニンスンという名前はシュメール語で「野生の牛の女」を意味し、このことから彼女はしばしば力強く、自然と結びついた女神として描かれます。実際、多くの芸術作品や神話の中で、ニンスンは牛の姿で表現されることもあります。 ギルガメシュ叙事詩におけるニンスンの役割ギルガメシュ叙事詩は、古代