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【歴史22】ベトナム史備忘録13(モンゴル帝国・元寇・チャンパ・大越の抵抗・交易拡大)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①13世紀にユーラシア大陸の大半を支配したモンゴル帝国は日本や東南アジア諸国へ大軍を送り込んだ。元寇である。

②南宋への包囲網をつくろうとして雲南の大理王国を降伏させた。1257年に大越に侵攻したが撤退した。1274年の文永の役は南宋に対する包囲網をつくるために行われたと云われている。

③1279年に南宋を滅亡させたモンゴル帝国は海上支配に乗り出していった。1281年には弘安の役が行われた。南海の玄関口であるチャンパを攻略して南海征服を進める計画が打ち立てられた。

④1282年にモンゴル軍は海路チャンパを攻撃した。

チャンパ王はヴィジャヤを捨てて山地でゲリラ戦を展開した。敵国だった大越に救援を要請した。

⑤1284年に約50万のモンゴル軍が大越へ侵攻を開始した。大越の上皇の聖宗(タイトン)と皇帝の仁宗(ニャントン)親子は都の昇竜をモンゴル軍に明け渡してゲリラ戦を行った。

⑥大越軍は大きな被害がでたが陳興道(チャンフンダオ)将軍の活躍があって抵抗を続けた。

モンゴル軍は長期戦に耐えられず撤退した。

⑦1287年にモンゴル軍が3度目の侵攻を行った。大越はゲリラ戦を行った。1288年に諦めて撤退しようとしたモンゴル水軍を白藤江で攻撃した。モンゴルが日本へ3度目の遠征をしなかった理由の一つは東南アジアの抵抗によって時間や戦力が削られていたからとも云われている。

⑧武力で南方支配ができなかったモンゴル帝国は友好関係を結ぶ方針をとり海のシルクロードへの影響力拡大を図った。こうして大越やチャンパなどの東南アジア諸国はモンゴル帝国に朝貢をした。日本は朝貢はしなかったが交易はした。

⑨モンゴル帝国下において陸海のシルクロードのつながりは密接になり貿易は拡大した。ベトナムでは陶磁器を生産して輸出するようになって大越のチューダウやチャンパのゴーサインなどが輸出用陶磁器の生産拠点となった。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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