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【歴史22】ベトナム史備忘録18(公田・洪徳律・聖宗遠征・ヴィジャヤ占領)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①黎朝は陳朝の終わりから増えていた荒れた土地や持ち主のいない土地を国有地として難民や兵士に与えて耕させた。これが公田(コンディエン)である。既存耕作地は税を払う必要のない私田(トゥーディエン)とされた。

②公田が私有地となり新豪族が生まれないように名簿に登録された耕作者に定期的に耕作地を分け与える均田制が整備された。

③公田を受給した農民は納税や労役と兵役を義務づけられて国家を直接サポートする存在となった。公田や耕作者を管理するために複数の村や集落をまとめて社(サー)という行政単位をつくる。

④こういった改革は朱子学をベースとしている。中国律令にならってつくられた洪徳(ホンドゥック)律という法律は女性の力が強いベトナムの社会の在り方が繁栄された。

⑤聖宗下ではラーンサーン王国の存在は脅威となっていたために黎朝の軍が度々西方遠征を行った。都のルアンパバーンを占領した他にタイ系のプアン王国を征服して鎮寧(チャンニン)府を置いた。北タイにあったラーンナー王国とも戦ったと云われている。

⑥1470年から1471年に聖宗はチャンパに遠征してチャンパで最大のクニだったヴィジャヤを占領した。

ヴィジャヤが支配していたチャンパの北半分に広南(クアンナム)承宣を置いて大越の行政にとりこんだ。

⑦残りの南半分ではパーンドゥランガが諸クニの中心となって
交易国家として発展していった。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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