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【歴史22】ベトナム史備忘録11(文廟・占城稲・英宗・安南国・沈香戦争)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①李朝は官僚制度の完備ではなくクニの連合体であったと云われている。李朝の皇帝や王族は自ら指揮をとって諸クニや周辺勢力に軍事を見せつけた。仏教や土着神を王の誇示に利用した。

②11世紀後半に孔子を祀る文廟(ヴァンミエウ)が創建された。儒教は王の権威を高める権威であり科挙は実施されなかった。有力豪族に地方官の官職を文得て政略結婚をくり返した。

③中世温暖期だったので李朝の農業生産が増えた。インドから乾季に育つ稲が伝わって低稲地でも乾季に農業ができるようになった。この品種は中国では占城稲と云われる。

④1174年に6代目の英宗(アイントン)が安南国王として冊封された。

中国王朝は李朝が安定している様子を見て安南国という一国の国王と認めた。こうして李朝は名実ともに独立国家として認められた。

⑤大越(李朝)が国家として安定しはじめた12世紀から13世紀前半にインドシナ半島のチャンパと真鍮(アンコール帝国)が交易をめぐって争い始めた。両国間にあるチュオンソン山脈から中部高原の範囲は高級沈香の産地であった。

⑥沈香を中心とする森林産物の利権をめぐって周辺各国が争った。チャンパのハリヴァルマン4世が水軍を率いてメコン川を遡ってアンコールが森林産物を集めていたサンボールを襲った。

⑦アンコールワットを建設したアンコール王のスールヤヴァルマン2世が海路からチャンパに遠征してヴィジャヤを占領した後に陸地で乂安(ゲアン)に攻め込んだ。

南シナ海川に拠点を確保する事が目的だった。

⑧大越はチュオンソン山脈の山地民の勢力を結び攻め込んだ。チャンパ軍に撃退された。チャンパは1177年にアンコールに攻め込んで王都を占領した。

⑨ジャヤヴァルマン7世はチャンパ軍を追い返しアンコール王となった。アンコールトムを建設したアンコール帝国の黄金時代をもたらした。大越、チャンパ、アンコールに沈香を生産する山地勢力と1220年代まで戦いを続けた。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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