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【歴史22】ベトナム史備忘録19(莫朝・莫登庸・阮淦・荘宗・鄭検)

ベトナム史の学習内容を深めていきます。

①1497年に聖宗が亡くなり武人勢力と文人官僚の対立が激化した。皇族同士が帝位を争い皇帝権力は衰退した。

②1522年に平野の武人で海上生活民の子孫と云われる莫登庸(マクダンズン)が第12代皇帝である恭皇(クンホアン)を擁立した。

1527年に莫登庸は皇帝に帝位を譲らせて自分は皇帝となった。これが莫朝である。

③清化出身の武人たちのリーダーだった阮淦(グエンキム)はラーンサーン王国に支援を求めた。1532年に黎朝の皇族を荘宗(チャントン)としてラオスで即位させて莫朝に反撃をした。莫氏への抵抗の拠点とした。

④莫氏は平野の文人たちからサポートを得るために聖宗時代にならって科挙を行い法令を整備するなど儒教に基づく政策を推進した。

⑤黎朝を再興しようとする清化の武人勢力をサポートする者と儒教理念を重視する莫朝をサポートする者で意見が分かれていた。

⑥1545年に武人たちのリーダーの阮淦が莫朝から降伏した将軍によって倒された。

阮淦の娘婿だった鄭検(チンキエム)が権力を握った。阮淦の息子の阮潢(グエンホアン)は1558年に中部を莫氏から取り戻す事を清化を離れて順化(トゥアンホア)承宣に駐屯する事を願いだした。

⑦1570年代に広南承宣に勢力を広げてアマラーヴァティーの港であったホイアンを支配下に入れた。中部全体を支配下に置いた阮氏は交易の背景で大きな勢力となった。

⑧鄭氏と阮氏の協力によって1592年に昇竜を攻略して莫朝を倒した。昇竜を追われた莫氏一族は北部山地の中国国境付近に逃げた。

明から安南都統使のまま国境地域を支配する事を認められた。

⑨黎朝が再興したものの莫氏という共通の敵がいなくなり鄭氏と阮氏の対立は深まる事となった。

■参考文献 『1冊でわかるベトナム史』岡田 雅志 河出書房新社

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