イギリス絶対王政と宗教改革
スペインの絶対王政が始まったのは、16世紀の初め頃でした。イギリスも同時期に王権が絶対王政の基礎を築いていきます。今日はイギリス絶対王政の過程と、それに伴う宗教の変化について学習しました。
百年戦争とばら戦争を終え、15世紀後半からテューダー朝のヘンリー7世がイギリス(イングランド王)を統治し、その後、その子供のヘンリー8世があとを引き継ぎます。
ばら戦争を終えたイギリスでは貴族階級が没落し、王権が強くなります。イギリス王権は、ジェントリーと呼ばれる地主階級を官僚として起用します。
イギリス絶対王政と宗教改革を学んだ教材
今回の内容は、下記の教材から学びました。一つ目は、「小学館学習まんが / 世界の歴史 / 絶対王政」です。
この漫画では世界の歴史のテーマの中からこの項目が選ばれています。今回のイギリス絶対王政を描いた内容は、高校の教科書のレベルを超えた内容となっています。
もう一つの内容は、ユーテラ世界史/佐藤幸夫先生のYoutube動画です。イギリス王朝の家系図を用いて、各人物がどのような役割を果たしたのか、詳細に伝えてくれています。
イギリス絶対王政の始まりと宗教改革
ヘンリー8世は、ローマカトリック教会からの政治的介入からの離脱を決定します(上訴禁止法:1533年)。その後、エリザベス1世の治世で統一法を制定し、イギリス国教会を国教とします(1559年)。
その過程の中で、イギリスへの影響力を高めようとするスペイン国王(当時国王:フェリペ2世)と大西洋の制海権を争います。海賊を味方にしたエリザベス1世は、アルマダの海戦で当時のスペインの無敵艦隊を破ります(1588年)。
このイギリスの勝利が、大西洋とインド洋の覇権を奪うきっかけとなります。同時にスペイン王国の没落が始まることとなります。
※参考資料:テューダー朝家系図
中世ヨーロッパ史について書かれたNOTEの記事もよく参考にさせて頂いています。テューダー朝の由来を詳しく知りたい方はこちらの記事もご参考にしてください。
1.イギリス国教会の始まり
ヘンリー8世がローマカトリック教会から離脱した経緯は、彼が最初の王女キャサリン(スペイン王国イザベルの娘)と離婚を望んだことから始まります。
当時離婚するにはローマ法王からの許可が必要でした。しかし、当時のスペイン王国は超カトリックの国であり、ローマ法王はこれを認めませんでした。(ヘンリー8世とキャサリンの間には、女の子が生まれました。後のメアリ1世です)
この後、ヘンリー8世のもとでイギリスの教会は、ローマカトリック教会から独立し、国王に従属するイギリス国教会へと生まれ変わります。これにより、カトリック教会と修道院が要する領地は没収され、イングランドが所有するようになります。これが当時のイギリスの大きな財源となります。
このイギリス国教会の始まりが、イギリスの宗教改革といわれるものです。ヘンリー8世が離婚したいという思いが、イギリスにおける宗教上の大きな変化を起こしたとと言えます。
2.イギリス王権の変遷
ヘンリー8世は、王妃キャサリンと離婚後、王妃の侍女のアン=プーリンを王妃として迎えます。この二人の間には、エリザベス1世が生まれます。その後、アン=プーリンは反逆罪で処刑されてしまいます。ヘンリー8世はまたも新たな王妃を迎えますが、合計6回も結婚し、ようやく男子が授かります(後のエドワード6世)。
ヘンリー8世・エドワード6世の没後、メアリ1世が国王の座につきました。彼女は何と、当時のスペイン王国国王フェリペ2世と結婚します。スペイン王国の血を引く彼女は、ここからイギリス(イングランド王国)をカトリックに戻すために、多くのイギリス国教会の司教を断罪します。(ブラディメアリというお酒の名前の由来)
メアリ1世没後、エリザベス1世が王位につきます。ここでも、スコットランド女王のメアリ=スチュアートを擁立し、イングランド王国をカトリック化しようとする勢力と戦います。最終的にエリザベス1世はこれらの勢力を取り除き、イギリス国教会の体制を確立します。(統一法の発令/1559年)
3.エリザベス1世の海洋進出
エリザベス1世は、その後国を豊かにするため、海洋に乗り出します。スペインの軍船や海賊船を襲い、略奪を行うようになります。これをきっかけにスペインとの確執が強まり、アルマダの海戦でイギリスは勝利します。
勢いに乗ったイギリスは、大西洋・インド洋に乗り出し、東南アジアに東インド会社を設立します(1600年)。オランダとアジアでの抗争を繰り返し、最終的にはインドを拠点とした貿易を開始し、木綿の貿易で莫大な財をなすこととなります。
一方でスペインのフェリペ2世はイギリス支配に野心を燃やしましたが、海戦での敗戦後、イギリス勢力に押される形となります。スペイン王国の栄華はこの時期から崩れ始めます。
まとめ
ヘンリー8世の離婚騒動が引き起こしたイギリスの宗教改革は、その後のエリザベス1世による絶対王政の強化と、イギリスの繁栄の礎を築く大きな転換点となりました。これはヨーロッパとの関係にも影響を及ぼし、イギリスの国際的地位を形作る重要な出来事であったと言えるでしょう。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。今回は、宗教の視点から、イギリスと大陸の関係性も垣間見た気がします。次回もまた新たに学んでみようと思います。誰か一人の方にでも興味を持って頂けると、本当にうれしいです。
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