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平安文学・漢文など

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源氏物語、枕草子、蜻蛉日記、樋口一葉など
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「論語」と「自己への配慮」8 和辻哲郎の「孔子」

「論語」と「自己への配慮」8 和辻哲郎の「孔子」

 「論語」は自己および他者を育てる要素もあり「真理の勇気」の概念も持っているが、復古政策と親近性が高く、賛美するには批判的要素を確認する必要がある。論語を元にした儒教は武士の支配体制の道具であった。
 下剋上をよしとしてきた武士は自らが政権を握った時、自分たちに下剋上されると困るので、社会を保守化・固定化する必要に迫られ儒教を奨励し学者を抱えた。ところがそのような学問を深める中から賀茂真淵は儒教が

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「論語」と「自己への配慮」7 論語は年長者に都合の良い思想か?それは誰に利用されたのか?

「論語」と「自己への配慮」7 論語は年長者に都合の良い思想か?それは誰に利用されたのか?

論語について、ギリシア哲学やローマ時代の実践において論語は多くの共通点があることがわかった。
 はじめに書いたように、論語は教育勅語に活用された。教育勅語は年寄りには便利だが若者には窮屈な内容だと考える。
 では日本では論語はどのように活用されてきたのか?今回は、國學院大のサイトから始めて和辻哲郎の見解を紹介する。
 國學院大学のサイトによると、古事記に論語は現れており、應神天皇の皇子に教えていた

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「論語」と「自己への配慮」6 自己の形成について

「論語」と「自己への配慮」6 自己の形成について

いよいよ本題かもしれません。自己への配慮の概念を論語も共有していたと仮説をおいて、論語ではどのような自己を形成するのか、例の如くフーコーの分析に対置して行きましょう。

まずはフーコーによるギリシア哲学からのセネカ、マルクス・アウレリウスについて

 人生の中で時間を無駄にしてはいけない、自分を成長させるために労力を惜しんではならない、ということが強調されています。

 次に古代ギリシア・ローマの

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「論語」と「自己への配慮」5 パレーシアをできる人を育てる学校について

「論語」と「自己への配慮」5 パレーシアをできる人を育てる学校について

前回は政治的なパレーシアで、リスクを低くするには君主に信頼されてから、ということや司馬遷についても触れた。
 このようなパレーシアをできる人を育てるために孔子は活動していたと言えるだろう。その学校について私は論語以外に何も情報を持っていないが、例によってフーコーにより古代ギリシアのエピクロスの学校の紹介をしてもらう。

では論語ではどのように語られるか:

教育が必要であること:
先進第十一
一九

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「論語」と「自己への配慮」4 政治的なパレーシア 司馬遷

前回はパレーシアに踏み込んでしまった。古代中国で政治的なパレーシアをしてリスクを取られないようにするには孔子にはコツがあったのか?それは、

子張第十九
一〇(四八一)
 子夏がいった。――
「君子は人民の信頼を得て然る後に彼等を公けのことに働かせる。信頼を得ないで彼等を働かせると、彼等は自分たちが苦しめられているように思うだろう。また、君子は君主の信任を得て然る後に君主を諌める。まだ信任されない

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「論語」と「自己への配慮」3 巧言令色鮮なし仁

前回は論語は口語訳だったので対応する漢文から始めよう。
超有名的、

學而時習之、不亦說乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

子曰、「吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲、不踰矩。」

の日本語訳を取り上げたのである。
自らの血肉となるように思索する。仲間が集まってくるほど、金や名誉よりも大事なことがある。それが道を求めること。15歳

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「論語」と「自己への配慮」2

それでは、論語にギリシア哲学の自己への配慮の似たところがあるか見ていこう。

まず、
修得について、ギリシアの思索をフーコーに紹介してもらおう:
ミシェル・フーコー「性の歴史3巻」 新潮社 「自己の陶冶」より

《自己の陶冶≫について手短に特色をあげるならば、生活術生活技術 (technê tou biou) がそこでは「自分自身に気をくばる」 べしとの原則によって圧倒的につらぬかれている点であろ

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「論語」と「自己への配慮」1

 ギリシア哲学などの古代の思索をミシェル・フーコーに導かれ読んでいる(*)と、ギリシアの思索には我々がよく知っている実践が随所に現れ、西洋の倫理の実践のコアが私たちにとっても特殊でないことに気がつく。
(*)「性の歴史」2・3巻
 フーコーによればそれらのコアはキリスト教により屈折したり弱まったり強まったり、復活したりしてしている(**)。
(**)フーコー講義録 自己と他者の統治
 それらのサマ

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光る君へ 白居易 新楽府 論語の調査はじめ

大河ドラマ「光る君へ」は清少納言と紫式部は活動時期に五年の差があるので接触していないというのが通説だか、ドラマや映画では2人を会わせたがり、解説書ではドラマ、映画のようなことはないと書いてある。
 このドラマには時代考証として倉本一宏氏が入ってもそれは阻止できなかったのか、こういうシナリオならと納得されたのか、それとも氏も十分あり得たと本文研究から確信したのか。
 枕草子、源氏物語の本文では宮中の

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光る君へ 白楽天 左遷されても真実を語る、と論語

 光る君へをみていて白楽天(もしくは白居易)が時々出てくる。枕草子のエピソードも中関白家と定子のところでちゃんと御簾を巻き上げるシーンでドラマ化された。
 しかし、どうやら香炉峰の雪を見るのに簾を跳ね上げた、というのが正しいらしく当時はそこまで厳密に伝わらなかったらしい(白楽天 山口直樹 学研)。
 ドラマでは紫式部の弟が大学で白楽天の新楽府が紹介されていたが内容は諷諭詩で、世の中の風刺、夜中で民

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藤原道長と紫式部

藤原道長と紫式部

数年前に源氏物語にハマっていた。その時は通勤時間がかかるところだったので、その間何かしようと前から一度はと思っていた源氏物語を読み始めた。
 古文で読み始めたので、ほとんど意味がとれず脚注を頼りに読んだ、初めの頃は現代語訳も併せて読んだ。実は、その前にアーサーウェイリーの英語の日本語訳で読んでいたのだが、途中あまりの流麗な美しさに、そんなはずはない、と古文に切り替えることにしたのだった。
 終盤で

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光る君へ 大河ドラマ 平安文学

光る君へ 大河ドラマ 平安文学

荘子の筆者をはじめるまひろ、胡蝶の夢が筆写されるのが大写しに、その後、現実?と呟く。

自分は蝶が見ている夢では?という有名な一説をフィーチャー。補足説明はない。これも含めて変体仮名を復習しておかないとドラマのネタがわからない。

平安の散らしがきはインデントは下揃え、改行は音や意味ではないようす、でわかりにくく以前挫折したが、歴史を学ぶには古文書の解読は修行らしい。

蝶のネタを小ネタに使った有

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光る君にも白居易をとおして真理を語る勇気パレーシアが

光る君にも白居易をとおして真理を語る勇気パレーシアが

ドラマ 「光る君へ」を見ていると、さわさんが肥前に行くとのこと、さわさんには、お母さんと逸れお父さんがそれなりということから頭中将と夕顔の娘の玉鬘を彷彿とさせたけど、やっぱりそのポジション?それとも浮舟?となると道長もさわさんに後年絡んでくる?
 中国から伝わる白居易の詩は今日のドラマでまひろのお父さんすら知らない最新の漢詩の作品であることがわかります。長恨歌まで後一歩。長恨歌は桐壺の巻からちゃん

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