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フーコー(F)の「自分自身からの離脱」はドゥルーズ+ガタリ(DG)の「逃走線(lignes de fuite)」に対応し、Fの「生存の美学」はDGの「創造や脱領土化(déterritorialisation)」に対応するか?

「論語」と「自己への配慮」1

フーコーを真似るなら? フーコーは個人を抑圧するものとしてキリスト教=司牧権力、その国家版として国家理性に焦点を絞った。 では、我々は? 儒教の思想とその実践を調べていけば「自由な主体」になれるのだろうか? 自らを変え「芸術作品」のように作り上げていくようになれるだろうか?