心 立ち止まって感じる今 自己 自分への理解
「この人に合う、私は、どれだろう」
模索して、28年近く経っていた。
…
29歳になった私は、
漠然と立っていた。
目の前をみても、なんだか砂が舞っている
風が強い
髪が乱れる
そんな映像が脳裏に浮かんだ。
…
資格をとって仕事をしたとき
こう思った
自分はヒーローになった
誰かを救えるヒーローになった
でも。何か違った。
理想や、描いていた自分自身の笑顔に、
手を伸ばして触ろうとしても分厚い
ガラスのようなものが
そこには存在した
目の前の自分と、患者さんが
写っていたレンズにヒビが入って割れた
理想と現実のギャップに
自分の理想は砕け散ったのだ
自分は、
薄暗い中に、一人になった
…
28年も自分は、
そんなふうに生きてきてしまっていたこと
それが、"良くはなかった"ということ
最近気づいた。
…
人と合うのは嫌いではなかった
その時その時で、沢山話したり
話さなかったり
話を聞いたり、した。
人と会ったあと。
いつもどっと疲れていた。
いやぁ、、一人になりたいの
だがしかし、
また誰かに会いたくなる
また、合う、また疲れる
なにか、空虚である
手に得る感覚は、常に、ない
ずっと物足りない自分が居た。
それに何年か前から気づいてはいた。
でも
どうしたらいいのか、
分からなかった
最近少しだけ気づきてきた気がする
自分は、大きな勘違いをしていたのかもしれなかった。
なんでそうなった??
・理想どおりの答えをくれる人がいなかった
・想像通り、嬉しい反応をされると嬉しかった
・それを叶えたかった ?
→理想どおりの反応なんてありえない
みんなしない
近い人がいるというだけ
→長いこと、きついことなど言って嫌煙されたそうされたくなかった
親も『一言がきつい時がある、真をつかれるときがある、気をつけた方がいい』といわれた
まさしく出る釘打たれるということ
自分の長所に自分では気づけなかった
そんな環境でもなかった。こともある。
ただ、いい子にいてることも大切だとおもっていた
→期待通りに答える人がいないなら
話したら幸せになるその人に
自分がなって、自分がその人の
ヒーローになればいいと思った
…
今までの自分を捨てたくなった
今までを否定しそうになった
それは、まさしく、、
自分が自分を生きていなかったから
なのではないのだろうか?
と、最近は、感じるようになってきた。
…
自分が自分の人生を生きないこと
それは、きっと、すごく楽なことではあったのかもしれない
嫌われないし、敵を極力作らなくて。
なるべく好かれて
過ごせるはずである
でも不思議と、
自分で自分を生きないことを選択すると
自分をどこかに捨てたくなった
自分の身体は自分のものじゃない感覚がした
目の前に立つ自分を客観的に見る、
冷たい、凍りついている像のよう
そして、触れると、
氷にヒビが入り、割れて、消えそうだった
どれだけ自分の身体を
さすってもさすっても
なんだか、信じられない
すごく、切なかった。
人生という時間は灰のような、感覚になった。
−
このように生きてきたにも関わらず、
辛く苦しくなると
自分は泣いて
その泣いた自分を誰かが手を差し伸べて
慰めてくれた。
私がいつか、その人の理想を叶えたはずである方々。
(これがそもそも間違えているが)
(人と話す上で叶える・叶えないなんて存在しなかった
これも自分作り上げた世界であり理想であった)
自分が一生懸命信じて作り上げた城は、砂で出来ていたことを、何十年も気づけなかった。
否定されること、
批難されること、
深く怯えてた。
はみ出てると、嫌われて虐められた
トラウマを解消できなかったんやわ
怖かったんやね。
それも、気づけたんやで
イタかったんよないじめられ時
大切な人に自分の想いをわかってもらえなかった時も嫌だったよな
もうこんな思い一生したくないと思ったよな
個性なんていらんのやと思い込んだよな
塞ぎ込んだよな
自分なんて人間は何も言わんほうがええんやね
人が気持ちええことをいったらええんやんねと思ったよな
そんなことに、
気づいていなかったんかな
…
背を擦ってくれた人たちは、
私に、「大丈夫」「応援してる」
「休むときなんだよ」
「いいんだよ」
と。
この世で一番優しい声をかけてくれる
人の理想を作る旅。
そろそろ、終わりになるんだ
なんて、名前を、つけたらいいか
まだわからないな。
ちょうどいい名前がない
…勝手に自分が作った、世界。。
幕を閉じれそうだった
なんか。今は自分に握手し、触れられる気がした。
最近…
ずっと一人になりたかった
何人もいた私
たった一人しかいないはずなのに
私の中に沢山居るその私たち
一人として、生きていきたい
もう、自分を隠すんじゃないんだ。。
みんなの笑顔。
作れなくなったらごめんって
思いそうになっても。
それは違ったんや。。
だって、泣いた私を見て母は、悲しそうだった
会社の上司は、「休んで。任せて」
と言ってくれた
昔の会社の係長は、「うん。全然、僕で良ければ何でも聞きます。」「そうだったんだね」と、わざわざ心配してカヌレまで買ってくださった
友達は、「萌香のが大丈夫じゃないじゃん」
「元気渡すよ!!任せろ」
と、声をかけてくれた
「なんで言わないんだよ」と、伝えてくれた
…なんで、だろうか。。
きっと。
大切なんよ。という裏があるんね?
信じていいですか?……
まだこんなにも人を信じられてない自分がいることも、理解できてなかったなあ。
こんなにも手を差し伸べてくれる
人たちが居ること
私は、存在しててええんやね。と、、
思わざるを得なかった。。
…
どうしてこんなにも、
誤っていたんだろう?
気づかなかったんだろう?
問題児だったからか?
何時間も、三者面談に時間がかかり
中学は毎度のように、ぎりぎりのチャイム
6時半〜7時からの朝練にはキャプテンを待たして、練習には取り組み
僕は、「素直に生きない」
「生きるべきじゃない」
と、思い込んでいたのかな
自分で勝手に
僕は、自由奔放で。
一生懸命にやるとことできないことの差が本当に激しくて。
…どこかで。
自己否定してた
どうしてこんなにできん
こんなにオンオフ人間で、人から嫌われるし
人として使えなくなるかも
いつも、誰かの目線で自分を見た。
根本的に、間違えてたんだなって
今更わかるなんて思ってもなかった
いつまで立っても満たされなくて
わからなくて
どうしようもなくて
手で、自分が欲してるなにかを握れなくて
砂になって落ちていく
それでも尚、満たされないからそれをやめないで
ずっと、生きていたんだ。
これからも。
生きていく
代替えのない自分と。
今が死ぬ時
じゃなくて、良かったんじゃないのか
それこそ逆に、
いつだって死ねるわけだから
29やけど、今わかったことが、ラッキーやったんやないん
と……。
またなにか思うことあったら書くんだ。
お風呂気持ちええわ
〜〜〜
自分は、ずっと自分を見つけたかったのか?