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教育

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記事一覧

体育を論考する

体育を論考する

私が「体育」に着目し、本を作ったのは、自分が40歳になった途端に、皆から相談されることが「からだ」に関することが多くなったからでした。

40代以降の悩みは身体に関することが多い。どうすれば痩せられるのか。ストレートネックが辛い、腰が痛い。姿勢を良くしたい。メンタルが不調だ。自分の心を平穏に保ちたい。

ある年齢までほっておいても健康だったのに、だんだんからだが言うことをきかなくなる。老けた。疲れ

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体感伴わないままだと、小学校の内容も理解できない

小学校の学習内容は、本当に侮りがたい。真剣に考えると結構難しい。2分の1を4分の1で割ると2になる、という計算はできる人が多い。
1/2÷1/4=1/2×4=2
というように、分数の割り算の場合は上下ひっくり返してかけ算にすることをテクニックとして知っているからだ。でも。

なぜひっくり返してかけ算に変えてしまうのか、なぜそれで正解になるのか、説明できる人は少ない。学校の先生に質問しても「それはそ

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世間知らずと言われる教員が半年間企業で働いてみた話

世間知らずと言われる教員が半年間企業で働いてみた話

9月30日をもって半年間の企業研修を終えた。

それはとても幸せな時間だった。今日はその幸せについて書いてみる。

4月、僕はこれまでの自分をちゃんと肯定して生きてきたから、ちょっとやそっとの揺らぎで人生変えられてたまるかと意気込んでいたのだけれど、終わってみれば人生が変わってしまいそうな揺らぎ方をした。

ここでいう人生の変わり方は、新しい価値観に出逢ってこれまでのAという生き方から、完全に道を

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ああ、そうだよね。不登校への認識ってそうだよね。でも僕は違うと思う。

ああ、そうだよね。不登校への認識ってそうだよね。でも僕は違うと思う。

毎年秋になると「昨年度の全国の不登校の児童生徒は◯人でした」と、文部科学省から発表がある。
それに合わせて、メディアでいろいろと情報が取り上げられるのですが、どうしても「この内容は違う」と思ったものには僕は「NO」の意思表示をさせていただいています。

なぜならその記事によって、勘違いが生まれてしまい、より不登校の親子が窮屈になってしまう・孤立してしまうことが考えられるから。

不登校の親子に必要

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親の振る舞いより子どもの観察

子どもの頃、大人たちが子育て方針を自慢しあってるのを聞いたことがある。ある人は「厳しく」、別の人は「優しく、愛情を持って」、さらには「放任主義」、「厳しく、時に優しく」などなど。
自分は大人になったらどのタイプになればよいのだろう?などと考えた。
結論を言えば、どれも間違いと思う。

親が自分のスタイル、あり方ばかり気にしているからだ。親が子どもから、あるいは他人からどう見えるかなんて気にするのは

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「夏休みの宿題」のエビデンス〜自分の体験と研究成果を比較して考える

「夏休みの宿題」のエビデンス〜自分の体験と研究成果を比較して考える

8月も後半に入れば出てくるのは「夏休みの宿題」の問題ですね。まぁ子供よりも親がやきもきみたいな話になったりするこのテーマですが、自分を思い返しても小学校高学年くらいになるまでは、面倒くさいものでしかなかったなーと思わされます。笑

で、このような夏休みの宿題の効果というものについて、自分の体験と研究成果を比較して考えてみたいと思います。そしてできれば子育て期にいる読者の方は自分の過去と今の子供の状

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僕が一般企業で働きはじめた話

僕が一般企業で働きはじめた話

一般企業で働きはじめた。

驚かせてしまっただろうか?無理もない。一番驚いたのは僕だし、1週間わけもわからないまま働いて日曜日を迎えてもなお、明日はこれまで通り学校のある右側に最初のウインカーを出しそうである。

3月の半ば。皆が異動の内示を受けたその日、僕も校長室に呼ばれた。言葉は嘘をつけれど、身体はいつも正直だから、僕にはきっとまだ今の学校でやりたいことがあったんだろう、サッカーも志半ばだった

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選手村のコンドーム

選手村のコンドーム

2000年のシドニーが私の初めてのオリンピックでした。 まず空港に着くとIDを作りそれから選手村に直送し選手村の中に入るときにウェルカムバックを受け取ります。 そのウェルカムバックの中には、お土産品とか、地元の子供達が作ってくれたものとかいろんなものが入っているのですが、そこにコンドームが入っていて驚いたことがあります。

選手同士で顔を見合わせて、無言で下を向いている女子選手や、または「おいおい

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湯婆婆的自己犠牲

「自己犠牲」考。
誰かのために損得勘定を抜きにして、いや、損ばかりであっても献身的に他人のために尽くす。これはとても美しい行為とみなされがち。しかし、とても利己的な「自己犠牲」もある。表面上では何の得もないけれど、明らかに自分のためにしている自己犠牲。それはどんなものか。

その人が自分で生きていく力を奪うような自己犠牲。しばしば、こうした事例を見ることがある。
「千と千尋の神隠し」では、湯婆婆が

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「あなたのためを思って」は、空想を見て相手を見ていない

「関係から考えるものの見方」(社会構成主義)たぶん第23弾。
「お前のためを思って言っている」「あなたのためを思って言っているのよ」という言葉は大概、「いや、自分にとって都合がいいから言ってるんでしょ」と感じるのはなぜだろう?

これはこいつにとっていいことに違いない、と「決めつけている」ことが、やられる側からしたら迷惑でしかない、ということが多い。ただ、本人は本気で「お前のためを思って」言ってい

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教育虐待:被害者が加害者になるとき

教育虐待:被害者が加害者になるとき

先日、佐賀県鳥栖市に行ってきました。鳥栖両親殺人事件の起きた場所です。福岡県の博多の通勤圏内で、郊外の住民の意識は、佐賀よりも都市である博多に、経済的に豊かと思われている土地に向きがちな地だと聞きました。

いくつかのメディアと事件の関係者にお会いすることができ、いろいろと考えさせられました。ここのところ、教育虐待に関する取材が続き、1月22日にNHKあさイチ「人に言えないハナシ、教育やりすぎ?!

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正解主義問題

正解主義問題

何にでも正解があると信じ、求めることを私は「正解主義」と呼んでいます。この正解主義は受験やテストなどでは有効な考えですが、社会に出ると害が大きくなります。

正解は問いがなければ成立しません。正しい解答なのですから、当然と言えば当然です。ですから正解主義にとって考えることは「誰かに問われること」で始まります。しかし、綺麗にお題を出してくれることなんて社会ではほとんどありません。

もう一つの弊害は

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助長ではなく環境を整えること

私は、子育ては朝顔に棒の一本を添えるようなものだと考えている。あくまで育つ力は朝顔自体がもつ力。もし無理やり伸ばそうとしたら、茎が折れたり根が切れたりする。伸びる力は朝顔自身が持っていると信じ、祈るしかない。こちらができるのは、適切な位置に適切な棒を添えること。

棒が遠すぎても朝顔は巻き付けない。近すぎて根を潰されても困る。朝顔自身が棒を認知し、巻きつくことを祈って、適当な距離に棒を挿すしかない

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「教える」の多くは幼児的欲求?

面白い体験を伺った。とある女性が初めてテレビゲームをやってみたら、普段からやってる息子が「そこはこうしたほうがいい」「次はこうなるから気をつけて」と教えてくれて、かなりうっとうしかった、と。他方、やったことのない夫は一緒にドキドキしながらうまくいくと驚いてくれて、嬉しかったという。

その経験から、人間には教えたがる本能があるのではないか、という指摘がなされていた。これは大変面白い話だと思う。教え

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