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選手村のコンドーム
2000年のシドニーが私の初めてのオリンピックでした。 まず空港に着くとIDを作りそれから選手村に直送し選手村の中に入るときにウェルカムバックを受け取ります。 そのウェルカムバックの中には、お土産品とか、地元の子供達が作ってくれたものとかいろんなものが入っているのですが、そこにコンドームが入っていて驚いたことがあります。
選手同士で顔を見合わせて、無言で下を向いている女子選手や、または「おいおいこれってそういうことしていいってこと?」とはしゃぐ私のようなふざけた選手などいろいろでした。
あまり記憶が定かではありませんが、冊子が付いていて、「HIVに対しての啓蒙の機会でもあるし何より実用的だよね」ということが配布の理由だったと記憶しています。
一方でそこに居合わせた確か中南米の方の選手だったと思いますが、ガシッとコンドームをつかんで持ち帰っていました。まるでコインを扱うかのように、親指でぴーんと空中に弾いてキャッチしながら持ち帰って行くそのあまりの自然な振る舞いに、なんだかこちらの方が恥ずかしくなったのを覚えています。
海外によく行かれる方はご存知だと思いますが、バーのトイレにコンドームの自動販売機があります。また、クラブの受付に自由にお取りくださいと置いてあることもありました。あれは日本育ちの人間には少しギョッとする体験ですが、慣れて行くとまあ合理的かなという気になっていきます。
そもそも性を恥ずかしく隠すべきものではなく生活にとっては必要なものと捉えているということ、もう一つは人間はコントロールできないという前提で仕組みを作る文化が影響しているように思います。
前半は性教育の違いが大きいと思います。オランダの小学生か中学生の教科書を見る機会があったのですが、かなり具体的に性行為のことが書かれていてコンドームのことがすでにそこに明記されていました。
性行為の際の格好そのものも描写されていて結構驚いたのを覚えています。正しい性知識を持つことで、望まない妊娠を避け、誰もがきちんとNOと言える状況を作り、また相手を尊重することを学ぶためと話していました。
また、個人の自由を尊重する文化圏では、それはそうしてはならないと禁止してもそれに従わない人が一定数います。
してはならないと言ったってするんだから、最悪の場合を想定して対処するという考え方が強いと感じています。いじめはよくないという前提には立つとしても、起きることは避けられないのだから起きる前提で仕組みを作るという考え方です。
一方、日本は起きるべきではないことは起きてはならないから考える必要もないという考え方をしがちです。いじめは起きるべきではないとするなら、起きないのだから起きる前提で考える必要もないし、起きたなら担当者の責任だし、準備する必要もないという発想に至ります。
この違いは大きいと思います。ですから日本では準備したなら、それを許容したのかということになります。結果として、被害が拡大することが往々にしてありがちです。
日本は大人ですら、性に対してうぶすぎるのではないかと思うことがあります。
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