武田 信子 | Nobuko Takeda
5度目のデンマークは5日間。実質3日の短い短いスタディツアー。初めてのボーゲンセ、オーデンセ滞在は、ぐるんとびーの菅原健介さんとその仲間たちに混ぜていただいた。ラワーセンいつみさんと通訳の恭子さんにお世話になりっぱなし。 出会いを大切にして、自分なりにできることはなにかなと考えながら、皆より一日早く帰路に着く。 デンマークから帰国してそのまま4日間九州に行って講演していたから、昨晩、やっと東京の自宅に戻って、ゆっくり起きて、デンマークのスーパーでゲットしたブレッドにニシン
今日の人権学習講演会の会場は体育館。110分。 1000人の生徒さんたちと先生方、そして自由参加の幾人かの保護者が、拍手で送ってくれました。寝ていた生徒も最後は起きて聞いてくれていました。 終わったら校長室まで私を追いかけてきた生徒数人。 高一の女子生徒はこんな行動とったことないけれど気づいたら一人で走ってたと。思っていたことが言語化されててと嬉し泣きが止まらない。 教育学や臨床心理学を勉強したい生徒たちや時間ないけど後でメール送ります、僕らに何ができますかと問う生徒
ハラスメント、という言葉が濫用されていると、批判されている。 おなじようなことが、今後、虐待、マルトリートメントという言葉にも起きそうな気配を感じて、今のうちに「予防」しておきたいと思う。 私のところに、次のようなコメントが届く。 「従来の虐待という言葉があればいいのに、わざわざ教育虐待などという言葉を作って、世の関心を引こうとするのがあざとい」 ああ、そういうふうに受け止められるのか、なるほど、と感心してしまうのだけれど、ちょっと的外れでもある。 このようなコメン
1.教師として自ら成長しようとする力 教員は、理論と事実に基づいて自分の実践についてのリフレクションを行い、教員としての専門性を高めて成長し続けます。 02 日々の授業や継続的な研修を通して専門家としての成長を図っている。 このブログを読まれる方にとっては、あまりにも「あたりまえ」なことだと思います。すでにルーティーンワークになっていれば、特に考える必要もないことかもしれません。 そこで、ちょっと新しい話を。 デンマークの対人援助職「ペダゴー」の養成にあたって大切なキー
毒親のストーリーが、ホラー映画のように大量消費される。 当事者の複雑な心境が語られ、 第三者によって鑑賞され、好きなようにコメントされ、 新しい次のストーリーが出ると、そちらに話題が移り、 忘れ去られていく。 そうならないように、私たちで、 次のストーリーを食い止めるために 前のストーリーを読まなくてはならない。 なぜストーリーが繰り返されるのか。 この日本で、異常と思われる親の行為がなぜ起き、 そのままになっているのか。 私たち自身の何がそれを促しているのか。 日
一昨日、浜松でインドネシアの抱っこ紐カインゲンドンの使い方講習会。 私は孫の抱っこ紐はこれ一択。 これ以外は使う気がしない。 おしゃれな布だから、持ち歩いていて、なんにでも使える。 講習会といっても、ネットの動画を観て、やってみるだけ。 (インドネシア語だから、説明は全くわからないけれど、見ればわかる!) あっという間に出来ちゃった。 赤ちゃんは楽しそう、気持ちよさそうでにこにこ。 あとで自分だけでもう一度やってみたら、秒で寝たと。 いつも使っている日本のスリングより
オランダのフレット・コルトハーヘン氏の『教師教育学』(学文社)を監訳した武田信子です。 コルトハーヘン氏のリフレクションについては、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。授業には、リフレクションが必要だということは、今では当然のように言われていますね。ここでは、生徒にさせるリフレクションではなく、授業者自身のリフレクションについて、説明します。 授業の振り返り(ミクロレベルのリフレクション)の視点は、一度身につけておくと、ふと、あれ?うまく行っていない、とおもった
届きました!! 編集者が、心を込めた文章で、この本が自分にとっても大切な一冊、と書いてきてくださいました。編集者さんが帯だけ書いた私にまで、真摯な思いを書き綴って下さるなんて!! それだけ、「個人に響く」研究書なのだと思います。(帯を書くのは初めてなので、気に入っていただけてうれしかった!!) 教育虐待はもとより、不登校とかひきこもりとか、毒親とかに関心がある人、教育関係者(って日本人全員かな?)に是非。 私は、エデュケーショナル・マルトリートメントという言葉を世に出し
VIVA!26日、62歳! この歳になっても 皆さんにとんでもなく迷惑をおかけしたり傷つけてしまったり。 変われない自分が手に余ってしまう私にとって、 誕生日はそれでも自分が生きていることを受け入れようと思える日。 多くの人たちに62年間支えられて今日を迎えることができました。 心より感謝申し上げます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。 ******* 家族の都合で24日に小さな前祝の会をすることになっていました。 あのさ、オーストラリアの映画撮影クルーが数人来
今年6月には、国際遊びの日(6月11日)が設定されました。 校庭や園庭を冒険遊び場にする試みも始まっています。 遊びについて発信する方も増えて来ました。 ただ、私が気になるのは、まだ、遊ぶことは 「子どもの発達にとってよいことだから」と目的的に捉えて、 「遊びの中で学ばせよう」 (学びの方が上位概念、かつ上から目線の使役の助動詞を使う)というような捉え方や、 「脳を機能させるために遊びの時間を与えよう」というような、 捉え方が多いことです。 ここは、とても難しいところで
2024年8月10日は、日本のプレイワークとプレイセラピーが公に出会った記念の日です。東京プレイセラピーセンターの公開講座で、セラピストの方たちとプレーリーダーの方たち合同のプレイワークの半日研修がありました。 短い時間ではありましたが、私もワークショップに参加し、ご挨拶させていただきました。 双方の分野が学び合うことはとても大事なことだと思います。 これからの時代、子どもたちの遊びの専門家であるプレイワーカーが、心理治療としてのプレイセラピーとその理論について知識として学
初めて、「教育をめぐる虐待」という言葉を外に出したとき、 親に責任を負わせるのではなく・・・と説明したら、 「なんでも社会のせいにするのはどうか」と言われました。 じゃあ、すべて母親のせいにするんですか? ただでさえ、子育てで社会から隔絶され、不安になって、 迷い、必死になって子育てして、鬼のようになってしまった親たちは、 本来、救われるべき人たちではないのですか? 「毒親」って言って、責めたって、何の解決にもならない。 「教育虐待」といって憎悪を煽ったり、不安に陥れた
共感する人が増えることで、どこかで転換が起きるでしょう。 youtube 配信の動画の内容の一部を改変して、文字化しました。 それがyahoo ニュースで配信されています。 どうぞ視覚から、内容を頭に入れてくださいますように。 元の記事はこちらです。こちらがyahoo に転載されました。(原稿は同じものです。違いはヤフコメがついているかどうか。ヤフコメのネガティブなコメントから学べることが私にはたくさんあると、私は思っています) TBS NEWS DIG Powered
大阪の街中に、バナナの赤い花が咲き、実がたわわになっている。 コスタリカだったかシンガポールだったかとにかく熱帯で見て以来のバナナの花。日本はもはや熱帯だ。 ということが言いたいわけではない。でもこれは正真正銘のバナナの木。 日本最北端のバナナの木が、ハウス栽培でもなく、住宅地の間の広くはない畑に2本、植わっている。 なんでまた? 一体誰が? そんな地域を作っている人たちによる研修を受けてきた。 大阪府豊中市。知る人ぞ知る社会福祉協議会、略して社協のメッカ。 勝部
古巣の日本教育心理学会にご指名いただいて、2024年7月28日に、 第13回 日本教育心理学会ハラスメント防止委員会企画講演 「こころを傷つける指導とハラスメント―いのちを守るための理解と対応―」というオンライン講演の収録をしました。 2024年8月中旬より会員のみ対象で、オンライン配信があります。 (別途、福井大学を中心としたエデュケーショナルマルトリートメント研究プロジェクトの自主シンポジウムにも招かれており、9月15日(日)午後、教育心理学会大会@浜松で現地参加する
【子どもの24時間、今昔】 人間の脳は24時間働いています。 かつては、24時間のうち、学校はほぼ8時間。睡眠が8時間で残りの8時間が家庭や地域で過ごす時間でした。 それが今は勉強(教わること習いごとや塾や学童含む)に関連する行動をしている時間数が増えて、家庭や地域で過ごす時間が大きく減少しているのです。しかもその少ない時間の中で、ネットと過ごす時間が3-4時間。 実は、学校の中で学んでいることは人生の学びのごく一部分です。 それなのに、もし、学校の学びを放課後や土日に