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【書評】小室直樹『三島由紀夫が復活する』を読んだら『豊饒の海』がより理解できた

ロッシーです。

最近、小室直樹氏がマイブームです。

どの著作も面白いんですよね。

宗教、思想、日本人、資本主義、憲法、社会学、天皇、経済、官僚制・・・などなど、ここまて多種多様なテーマを縦横無尽に語ることのできる人はいないと思います。

そんな小室直樹氏の著作に『三島由紀夫が復活する』というものがあったので読んでみました。

以前、三島由紀夫の『豊饒の海』について記事にしましたが、それ以来この作品の意味が理解できないもどかしさがありました(特にラスト部分)。

小室直樹氏ほどの天才であれば、同じ天才である三島由紀夫の作品について何らかのヒントが得られるかもしれない・・・。

そう思ったわけです。

本書では、第2章に「戦後天皇制に挑戦した三島由紀夫」とあり、そこでは『豊饒の海』についての記載があります。

以下、長くなりますが、ポイントを箇条書きにしました。↓

  • 戦後日本における天皇制批判の最高峰は、三島由紀夫。わけてもその絶頂をなすのが『英霊の声』と『豊饒の海』

  • 『豊饒の海』4部作は、哲学的、社会科学的に三島作品の中で卓絶した最高のものである。川端康成は、『豊饒の海』は三島の作品の中でも最高の価値があるといった。

  • 三島は断じて魂の存在を認めてはいない。それを信じないのではなく、明確に魂の存在を否定している。これを理解しないと、三島思想の何もかも分からなくなる

  • そもそも仏教は霊魂というものを認めない。日本人の仏教誤解は日本人の宗教音痴を如実に示す一例である

  • 三島は、宗教音痴の日本人に仏教の神髄を理解せしめるために、『ミリンダ王の問い』を第3巻『暁の寺』で引用して解説する。これだけみても三島の仏教理解の深さははるかに日本人を超えている

  • 「空」(くう)思想を理解できなければ、三島思想も分かりようがない。しかし、その空思想の解説として、『ミリンダ王の問い』は入門として最適である

  • 仏教の極意たる「空」。それは「有」でもなく、また「無」でもなく、そのうえ「有でないのでもなく」「無でないのでもない」。これはギリシア以来の形式論理学を前提とすれば狂人のたわごとのように聞こえるだろう

  • 『豊饒の海』が難解と言われる理由は、やはりその最後の部分であろう。しかし、ここに三島思想の根幹をなす枠組みが、あますことなく明確に提示されている。

  • 聡子が出家した月修寺は、法相宗の寺である。法相宗の教義は唯識説である。唯識説は仏教の論理を徹底的につきつめたものであり、仏教哲学の極致であり、観念論としてこれほど完備したものはないと思われる

  • 唯識論を理解するためにはフロイトなどの精神分析学における無意識を考えると手っ取り早い。唯識論における論理はさらに徹底したものであり、唯識論における無意識の根本は阿頼耶識(あらやしき)である。この阿頼耶識から末那識(まなしき)が生まれる。末那識もまた無意識にあって顕在意識にのぼってくることはない。

  • 末那識は、生んでくれた阿頼耶識をつくづくとながめて、これが自己だと思い込んでしまう。しかし、仏教は自己(我=アートマン)というものの存在を絶対に認めない。つまり自己などは存在しない

  • その存在しないものを、末那識は、錯覚をおこして存在するのだと考える。そして、自分だと執着する自我執着心がおこる。かかる我執こそ諸悪の根源であるが、末那識も無意識にあるものなのでどうしようもない

  • 阿頼耶識自身は善でも悪でもない。阿頼耶識からすべてのものが生まれ、また、これによって、すべてのものが認識される。唯識論の立場からすると、存在するのは「識」だけである(これは、唯物論が存在するのは「物」だけであるというのと正反対である)。

  • 唯識論は、物(の動き)はすべて識が作り出したものにすぎないと主張する。識のさまざまな活動によって、肉体、社会、自然などのあらゆる活動が規定される

  • 「存在するのは識だけである」という表現もあくまでも方便であり、仏教哲学の立場からすると、この表現はよろしくない。「存在するものでもなく、存在しないものでもない」と表現することが適切である。仏教ではアリストテレス以来の形式論理学のごとく、「存在する」「存在しない」という二分法はとらない

  • 阿頼耶識も、実体として存在するのではなく、つねに変化のなかにある。刹那に生じ刹那に減する。実体として存在するものは何もない。「万物流転」である。

  • このありさまを三島由紀夫は第4巻『天人五衰』において海の波で表現している。唯識論の視点からみるならば、阿頼耶識は水、その他の識を波、縁を風だとすればよいであろう

  • 第3巻『暁の寺』で「世界はどうあっても存在しなければならないからだ!」という文章を含んだ箇所があるが、唯識論入門として、これほど簡にして要を得たものを知らない。繰り返し精読する価値は十分にある。

  • 結局「霊魂もないのに、いったい何が輪廻転生するのか」だが、それは「阿頼耶識」である。『豊饒の海』は輪廻転生の物語であるが、輪廻転生の主体は「意志」である

  • では、なぜこれが天皇制批判と結びつくのか。阿頼耶識の本質を一言でいえば「万物流転」であり、万古不変の実体などとうていありえないことになる。これは革命の理論である。

  • しかし、天皇は万古不変の実体でなければならない。絶対に革命を拒否しなければならない。しかし、万物が流転するところに天皇存在の余地はない

  • 唯識論の上に立つ三島理論が、最もラディカルな天皇制批判である理由はここにある。


いかがだったでしょうか?

かなり難解な部分もあったと思います。

私自身、本書を読むことで、間違いなく『豊饒の海』についての理解がすすんだと思います(より疑問が増えたといえるかも)。ただ、天皇制に関する部分はまだ理解できていませんが。

こうやって徐々に理解をすすめていき、またいつか『豊饒の海』を再読したいですね。

そうすれば、より深く作品に触れることができると思いますし、『豊饒の海』はそれだけの価値のある本だと思います。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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