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エッセイ

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あの頃から、今でも、いつまでも、きっと主人公。

あの頃から、今でも、いつまでも、きっと主人公。

沼にハマった、というよりは沼の中だった、の方が正しいような気がする。なにしろいつハマったのかさえ覚えていないのだから、最近の話ですらないのだけれど、きっと小学生低学年の頃からだと思う。カレーでお馴染みCoCo壱。もはや私にとってはカレーと言えばCoCo壱でしょ、と腰に手をあててドヤ顔したくなる。
夕食が毎日CoCo壱でも飽きない自信があるけれど、お金がかかってしょうがないのであくまで夢物語。間食の

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「小説」が私の名刺。

「小説」が私の名刺。

青い女の人が私だけを知っている。

実際それは妖怪みたいに真っ青な女がいるわけではない。両手を胸に添え、首だけを捻って右を見ている女性が一人。背景は海だけが光っている。そんな写真が紺色の額縁にあるので、頭の中にある店内の景色を思い浮かべた時に、ぼんやり青く、ただしっかりと、看板の如くこちらを向いている。

ロマン亭。
常連客の風貌でそこへ足を運ぶくせに、毎回数ヶ月経っているので、マスターからすれば

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この目は誰か、傍観者は私。

この目は誰か、傍観者は私。

何から話しましょうか。
あいつは、そうですね。大人のような鋭い牙をもった子熊...みたいなやつですかね。彼はこの身体に一番近しい、いわば肉体の親友だと思い込んでるような面が強く感じ取れます。こいつの体は俺が一番「らしく」振る舞うことができると、そういう思いが今の私にも日々伝わっていますね。あいつ、とは、何しろ名前なんてないもので、どう呼んでいいのやら。名前など与えてはならないような気もします。でも

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新年。

新年。

新年、明けましておめでとうございます。
年末から体調を崩し、調子に乗ってお酒を飲んだら年明け後もお熱を出してしまいました。身体の痛みは残るものの、元旦のお昼過ぎには頭痛も治り、夕方には気持ちよくお風呂へ行けました。

実は「おせち」というものをちゃんと食べたことがなかった私。年越しの一時間前から、初のおせち料理をいただきながら過ごしておりました。今まで食べてこなかったことに逆に感謝したいほど、幸せ

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黒豹の如く。

黒豹の如く。

猫の美しさに憧れていた。いや、美しさに魅了されたのはもっと後のこと。

日常の中で見かける猫の愛らしさ、自由さ、瞳の綺麗さ、静けさ。幼い頃から惹かれていたものです。
友人の声が遠くなってしまっても構わず野良猫と睨めっこ。私の欲の深さを見透かしたのか「あらら、やらしい」としなやかな尻尾を見せて自分の歩幅で去っていく。睨めっこをしていたわけではない、と強がって野良の姿が見えなくなるまでじっと膝を抱えて

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今宵は正午に日が落ちます。

今宵は正午に日が落ちます。

夜に眠ろうと思うと、夜になってから眠る前のひとり時間を許させる限り堪能しようと考えてしまう。助走が必要なのにスタートラインから始めようとして、走るための準備運動を白線の前に立ってから始めるようなお人なのよ。人間、理解していることと結果を生むことは別のようで、まるで脳とその他の肉体は別物であるかのようね。私も同様、夜を待っている時点でそれは明らか。

それならば、と夢を膨らませてみようと思ったのは十

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晩秋、季節がはしゃぐ音を聴きました。

晩秋、季節がはしゃぐ音を聴きました。

晴天の下を歩く、職場からの帰り道。イヤホンから流れる音楽に意識を集中させながら、脳内では空想のステージ上でアーティストが歌い踊っている。安全面のためにもちろん前を見て歩いているけれど、程よい風に温かい日差しの下だ。瞼を下ろしてしまいたい。

林に囲まれた、車が二台ギリギリ通れるくらいの道。どこを見渡しても紅葉が視界を彩ってくれている。その季節ならではの景色は毎年見ていても毎年感動させてくれる。気温

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「物語はここにある」と指したのは見切れた脚。

「物語はここにある」と指したのは見切れた脚。

中学生の頃の記憶は、忘れてしまいたいトラウマと忘れてはいけない恩が両者濃く残っている。何年経っても忘れることのできないそれらはきっと、なくてならない自身の欠片なのでしょう。囚われることなく生きている今を思うと、少しは上手な向き合い方を開拓できたということかもしれない。
思春期ならではの葛藤を思い返すと恥ずかしく思うことも尊ぶべきこともあるけれど、青春と名付けられる何百頁を切り取っても、どうしても記

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普遍が織りなした必然的な美しき日を背に。

普遍が織りなした必然的な美しき日を背に。

十一月二十八日。十二時一分。
日付から書き始めたものは初めてかもしれないし私らしい書き出しとは思えないけれど、記録したくなる一日ということだけ、いつかこの文章を見返した私に伝わればいい。

太宰治賞に向けて書き進めていた小説が完成し、ようやく応募へ出せたのが今日。受賞云々よりも、自分で読み返してため息が漏れてしまうほどの小説に仕上げた自分を褒め称えるに相応しい日。この喜びを、いつかの私に忘れないで

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わたしのはだかを、私が撮るのは。

わたしのはだかを、私が撮るのは。

こだわりもなく、ただ純粋に、単純に、自分の裸を撮りたいと思ったのは何年前だったか、それにきっかけは何だったかしら。絵画で見た肌の美しさだったような、映画で見た幼子の肌だったような、それとももっと複雑な要素が織りなって芽生えたのか。断片的には思い出せるような気もするけれど、捏造も含まれてしまっている気がして断言できない。
自分の撮影のきっかけは定かではないにしろ、ヌードの美しさに魅せられた最初は絵画

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ティーショーツと母の声。

ティーショーツと母の声。

フローリングの冷たさを裸足で遊び、臀部をさらさら撫でるパジャマのくすぐったさとはまるで内緒話。隣の部屋に住む誰かよりも少しだけお尻が寒い。
勿体無いとわかっていながらも、渋々布団から出ると案の定、眠気はため息をするように去ってしまった。

今日は私以外誰もいないとわかっていながら、当たり前の習慣で鍵を閉める。蓋を開けてパジャマを下ろしても下半身の寒さはそう変わりはしなかった。お尻を飾る蝶もずらし、

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ガス抜記。

ガス抜記。

お口から出た言葉のどれが真実に近くて、どれが取り繕うために縫い合わされた言葉なのか。自分へ向けられた言葉もそうだけれど、他人の対話を聞いたりする上で探りながら聞いてみると、どれくらい諦めが混じったメッセージなのだろうと、一歩下がった状態で冷静に掬い上げようとすることができる気がした。それでも掬い上げた意図は水のようにさらさら落ちてしまう。たとえ落ちてしまわなくとも虚像の塊、その人の別人格を作っただ

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大人五歳と靴。

大人五歳と靴。

寒ささえ感じる涼しさの到来に不思議な懐かしさを覚えるのは今年に限ったことではない。十月に生まれた私だから秋の匂いに敏感なのか、夏が終わった瞬間の外気の匂いは鼻をするりと潜り、全身に心地よく浸透する。波のない水面にインクを一滴落とした画のように美しく心は舞うが、感触のない冷たい羽毛が包んでくれたと錯覚するほど秋は優しく訪れる。
当月の六日を迎える二日ほど前の、二冊の文芸書を買って書店から出た瞬間のあ

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バニラアイスの上で足も尻も沈んだけど。

バニラアイスの上で足も尻も沈んだけど。

赤信号は危ない。

音の強弱が激しくないが穏やかすぎないジャズの雰囲気の音楽が、落ち着いた男性の歌声に重なって心地いい。まだ楽曲名もほとんど覚えていない最近知ったばかりのアーティストのプレイリストは、思考を巡らせるのには丁度いい。言葉がすっと脳に入ってきてしまうと思考が簡単に遮られてしまう不器用な頭で、そんな自分がもどかしい時も多々あるけれど、臓器が溶け出してしまうほどうっとり独りに浸ることが好き

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