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心の中におじいちゃん👴🏻がいる。私のリソース。

皆さんこんにちは。今日も読んでくださり感謝です。🌸

急に涼しくなって過ごしやすいはずなのに、夏が終わらないでほしい…と思ってしまう、じじ🐑です。

真夏日には秋が恋しくなり、肌寒くなれば夏が恋しくなる…笑

ちょっと違うテイストの記事も書いてみたいなと最近考えています。読んでくださる方の副交感神経が優位になるような何かを、noteや別の音声アプリで発信することは出来ないかと検討しています。

個人的に文章を短くまとめることが苦手なのと、私のように聴覚過敏の方が心地よく感じられるにはどうすれば良いか考えていますので、もう少しお時間をください。🙇‍♀️

今回は、記事のリクエストをいただきましたので、下記にフォーカスして書いています。

①親御さんへの思い

②リソースに気付いた気持ち

私ごときが、記事のリクエストをいただく日が来るなんて…✨いつもより緊張しています。。

①と②に、付随する要素をプラスして記事にさせていただきます。

それではよろしくお願いします。🖋

【親への思い】

今は良くも悪くも、何も感じていない状態です。すごい感謝の気持ちもなければ、すごい否定・批判の気持ちもありません。責める気持ちもありませんし、親の過去についてや、子どもへの対応に対して同情する気持ちもないです。

つまり、親に対しての良し悪しやジャッジ思考が、ゼロな状態です。なんとも感じないです。

おそらくそれは縁を切った事が、ターニングポイントだったんだと思います。常に母と連絡を取り合うこともなくなり、相談したくても出来なくなり、精神的にも距離を取ることに成功しました。

物理的に共依存を避けることが出来ても、なかなか精神的には難しい場合が多いと思うのですが、なぜ私が精神的にも距離を取れたのかと言うと…

やはり幼少期からの家庭環境で蓄積されたトラウマをセラピーに通い処理をしながら、精神攻撃されない平和な環境を夫が提供してくれる状態で生活ができているので、常に安心・安全な居場所が2つある、ここに尽きるかと思います。

新たな影響を親や弟から受けずに、日々を過ごしたことは、すごく大きいです。どんなにトラウマ処理をしても、誰しも些細な事がトリガーとなり、簡単に昔の状態に戻ってしまいます。それほどマイナスなエネルギーは強いらしいです。

ただ、どこかで少しの不安要素は存在してます。それは、親のことを思い出したり、少しLINEのやり取りが発生した際に、出てきます。💬

前の状態に自分が戻ってしまうことへの恐怖心です。親に対する恐怖心ではありません。親に対してはもう何も思わないのですが、親と関わる自分に対しての不安やドキドキや、無意識ですが私の中で何かがうずく感覚はあります。

感情や思考は常に変化していくものなので、そこは固定化して考えずに、今はこんな感じなのよ〜とサラッと捉えています。ただまだ完全に幼少期から受け続けてきた傷たちを、処理しきれていないためか、サバイバー目線になってしまうこともあります。

親を悲しませたくない、傷つけたくない気持ちはあります。それと並行して、どれだけお金と時間を使っても、日常を苦しく感じる私の思考や感覚、感情が10年以上経ってもまだ取りきれない現実から、親のしてきた関わり方は、どれほどのものなのか事の重大さを知って欲しい。責める気持ちはありません。私を分かって欲しいとももう思わないです。ただただ、子どもと関わるにおいて、子どもの声や気持ちよりも自分たちの価値観や気持ちを優先してきたことの重大さを知って欲しいなと思います。

背負わなくていいほどの責任感を、いつも仕事でもどこでも感じてしまう私は、長女ということもありますし、親に万が一の事があれば自分が率先して動かなければと思っています。また母から、長文LINEの状況報告がきても無視は出来ません。

なのでまったく自分と切り離して捉えることは出来ません。そこまでドライになれない、割り切れないのが私の甘さでもあり、人によっては優しさとも感じるのかもしれません。

【他人からの影響を防ぐには…】

相手がどう思うか…親がどう感じるのか…私はすぐこのように考えてしまう癖があります。

昔からそうです。親の気持ちを必要以上に考えすぎたり、相手がどう思うのか意識しすぎたり…これは本当に自分の首を自分で絞めることに繋がります。この症状に関しては親だけでなく、小中学校での友達との関係で生まれたトラウマもあり、とにかく数があるため処理が難航しています。

「親や職場の人や他人があなたの事をどう思っても、どう感じても、どう見ても、何を思われようがあなたには関係ないんですよ」「それはあなたの課題ではなくて、他人の課題だから」「勝手にさせとけばいいんです」

どうすることもできないし、私の関与する範囲ではない。私の課題ではないのだから、関係ない。たとえ、意地悪な上司とAさんが、私の事を話していたとしても、それは私には関係ない事なのだ。

話題は私の事であっても、課題は上司とAさんのもの。私の土俵ではないので降りる。

意地悪をする上司の行動=上司のトラウマがさせている=上司の問題であり上司の課題=私には全く関係のないことなので、その土俵からおりて影響を受けてないように振る舞えばいい。必要であれば自分を守るべく動いてもいい。逆に私の課題は何かと言うと、何も言われてないのに「私のせいかも…不適切な言動をしてしまった…」と被害妄想を繰り広げて怯えてしまうこと。影響を受けすぎること。それは私のトラウマによるものなので私の課題だ。セラピーで処理していけばいい。影響を受けなくて良い構造が、やっと腑に落ちた。。

先日のセラピーで学んだことです。

他人との線引きが出来ずに、影響されすぎてしまう私にとって、ココは本当に重要なところです。毎日この言葉は目に入れたいです。

【リソースに気付いた気持ち】

ここで使う「リソース」の意味を簡単に記載させていただきます。

トラウマの影響を受けていない、ニュートラルな自分に持っていける為に必要な「記憶やイメージやキーパーソン」のことです。

私の場合はカウンセリングでは気付けなくて、セラピーを受け始めてから、亡くなったおじいちゃんが私にとってのリソースであることに気付きました。(以下、祖父と記載)

生まれてから小2くらいまで同居しており、その後も近所だったので頻繁に会っていました。

子どもながらに、祖父と一緒にいるとなぜか心地よさを感じていました。

社会人になって私の神経系が悪化している時も、祖父と会ったり話すと、なぜか心が落ち着き、しかも「私、できる気がする!」とマインドや思考をプラスに持っていくことが出来ていました。

まさかこんな身近なところに、そして私の中にも、リソースがあったなんてという気持ちでした。

【今は亡き祖父について👴🏻】

会社に行きたいのに行けない頃の私は、度々祖父の家に行っていました。かけこみ寺のような感じで、現実や不安から逃げたくて行ってました。

たぶん親には正直に伝えられずに、会社に行く風を装っていた時もあります。親の前でダメな私でいると心配されますし、こちらは非難を受けますし、レッテルを貼られたり、精神攻撃をされたり…ネガティブなことしかなかったので、嘘を付いたり、見栄を張っていたり、傷ついてない風を装っていました。実家では、あるがままの私ではいられなかったんです。

祖父は、全然ボケてなくて普通に会話もできましたし、頭が良いので昔はよく勉強を見てもらっていました。

年をとっても長らく会社勤めだったので、平日の午前中から私が家に来るということは、おそらく会社に行っていない事には気付いていたと思います。

それでも私には、会社はどうしたんだ?とか、大丈夫なのか?とか一切聞いてきません。眉を寄せて怪訝な顔をすることは一切なかったです。私が「こたつで寝てていい?」と言うと、笑顔で「いくらでもどうぞ」と言うだけです。こまめに心配して見に来たりしません。放置でもなく、足音でわかるのですが、たまーに見に来てました。それでも何も言わずに、好きなだけ寝てていいよという感じで、私を受け入れてくれました。それが当時の私にはどれだけ心地よかったことか。。安心で安全な居場所でした。

会社の話が出ても、否定や価値観の押し付けはしてきません。私の説明が上手なところを直接絶賛してくれたり、料理を作ったら喜んでくれたり、自転車を修理屋へ持っていったら喜んでくれたり、PCの不具合を依頼され直したら喜んでくれたり…笑顔が多く批判の少ない人でした。言葉だけで感謝されると言うよりも、態度や表情で喜んでもらえることが私には幸福でした。

私の承認欲求を満たしてくれてありがとう。安心・安全な居場所を提供してくれてありがとう。当時は心地よさを感じるものの、なんだかよくわからなかったので説明が出来ませんでしたが、今ならばはっきりと分かります。あなたの存在が私のリソースです。✨

そしてセラピーの際に言われましたが、祖父は私の中にいるんです。リソースとしても存在し続けてくれます。何があっても私の中から消えることはないんです。

だから悲しく感じる必要はなく、むしろ感謝すればいいみたいです。👴🏻✨

私が孫だから可愛いのもあると思うし、親からしたらそんな良いところばかりじゃないけどあなたは知らないのよ…とか昔は言われました。実際に私も一回、祖父に裏切られたように感じたこともありました。。💦

それでも、私が感じたものが間違いではないのだとセラピーで教えていただきました。親が感じたものが、本当の祖父とか、正しい訳ではない。

正しいかどうかは、人の中にそれぞれ存在するものらしいです。

誰にとって正しいのか。親には親の正しさがあれば、赤ちゃんには赤ちゃんの正しさがある。ハタチにはハタチなりの正しさがある。祖父には祖父の正しさがある。

私は私が感じたものを、不安に思わずに感じていればいい。

自分にとって平和で穏やかで優しい人だと思ったなら、それでいいんです。祖母や親が、どれだけなんて言おうとも。

他者からの影響を受けやすい私は、ほんとに良くも悪くもいろんなものをキャッチしてしまうので、常に脳疲労を起こしてしまいます。これは今でも同じです。。親から友達から職場の人から旦那から…プラスなものもマイナスなものも構わずキャッチして取り込んでしまっています。。

外部の音や視覚から入る情報に加え、他人の表情や声のトーンや口調や言葉や態度、ありとあらゆる感じたものを、自動的にキャッチしてしまいます。

これは本当に生きにくいです。。

もう入ってくるのが気質ならば、それはしょうがない。ただそこからジャッジ思考にいかないようにすればいい。これはおそらく家庭環境から付いてしまったオプションなので、少しずつ剥ぎ取っていくことは可能だと思っています。

自分に対しても、他人に対しても、もろもろを比較しジャッジする。良し悪しを瞬時に考えてしまう…これらの動きを止めていきたいです。

そしていつか、HSP気質であることに対してプラスに感じられる日がくる、肯定的に捉えながら今できることをやるだけだと、絶望や不安に陥らないように日々を過ごしていきたいです。


【夫もリソースになっていた】

またそんな祖父に似た神経系の夫も、私のリソースだということに気付きました。

価値判断をせず、他人を責めない、思考もマインドも柔軟で柔らかく穏やかな夫。

祖父と似ていると感じたのは、言葉で感謝するだけでなく、それ以上にあらゆるシーンで簡単にすぐ喜び、態度や表情や口調に表れます😂

私はその度に心地よさを感じます。

夫の行動を思考で判断してしまうと、子どもみたいで頼りがいはないし、ゲームとパチンコばかりしているし、しっかりしてしない部分が多く、将来の不安を感じてしまいます。

しかし夫の行動ではなく、夫そのものをイメージします。すると、まず横顔や表情といったイメージが浮かびました。そして次第に平和で安全な感覚が広がっていきます。

夫は暴言や暴力はもちろん、人が傷つくような言葉を持っていない、優しい声で当たり障りのない言葉しかこの人からはこない…そう私は経験しているので、私の神経が、彼に対しては絶対の安心感を抱いているからだと思います。単純に、一緒にいるときに楽しいと感じるからだけでは無く。

私は心に平和を感じ、神経系も穏やかになり、肩に力が入らず楽な状態になれるのです。夫の存在がリソースになるなんて、私はとても恵まれているな…と感じます。


【こんな親に私もなりたい】

これが子どもの頃からずっと求めていたもので、どうすればその状態になれるのかも今は知っています。

最近ようやく、私も親になっても大丈夫かもしれない…と思えてきました。

これまでは、

親と同じことを子どもに無意識にしてしまったらどうしよう…とか、また不安や絶望が襲ってきたらどうなるんやろ…と子どもを育てる事にネガティブになっていました。また希死念慮が出てきて育児放棄をしないだろうか…とか。。

でも、今を生きる私と過去の私は確実に違うし、リソースが私の中にできています。(祖父と、セラピーの先生と、夫です)

なので、自分を守る力の源を手にしている、そんな気はしています。

これが、人にとって大切なんだと実感できたので、今度はそれを提供する側にいきたいです。

トラウマに支配・影響されている状態では、到底考えられなかったことです。ひたすらに原因追求や他責・自責の思考に、防衛本能からなってしまっていたので。。

自分の思考に根付いていた、良し悪しのモノサシが薄れてきており、自分の首を絞めるトラウマからも抜け出せてきたら、他人にも自分にも矛先が向かなくなるんやなと実感中。。⚔

まだまだ、対人関係や将来の不安から生き苦しく感じることはありますが、ぼちぼち自分のペースでやっていきたいと思います。

とりあえず今日は、体の凍りつきが取れない一日だったので、何か手に取りやすくて心地よさを感じられるものはないかと思い、セルフお灸をしてみました🦉煙のもくもくと独特な匂いと数分後にくるアチチ🔥感…少しの間ですが、思考優位から感覚優位のひとときを堪能して過ごせました。☺️

ここまで読んでいただき、ありがとうございます🙇‍♀️

もっと短くまとめて文章をかけるようになりたいです。いつも長くて申し訳ありません💦

トラウマの渦にいる人は、長文のラインを送りがちみたいですが、私もまだまだ伝えたい欲が強いので、トラウマ処理を今後も続けていきたいです。







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