命さんは感情の練習をしている。
キーワードは『楽しい』『好き』『情緒障害』です。
『好き』よりも『楽しい』を見つけることで、自分を見つけることができる。という提案をしたいと思います。
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ここ4ヶ月、音声SNSで知らない人と話している。
引きこもりの僕にとって勉強になることがたくさんあったんだけど、最近楽しくない。自分の思い通りにいかないことも原因の1つではあるんだけど。
音声SNSで知り合った人に愚痴ぽいものを話して聞いてもらった後、すこし時間が立って。検索したくなった。
検索ワード『楽しい』と『好き』の違い
検索して表示された内容は、楽しいの蓄積が好き。ということだった。そして楽しいけど苦しさを越えられないとき、それは好きではない。という内容だった。
それを見てひらめいた。そもそも自分は楽しんでないんだと思った。
楽しいを探そうと思った。探しはじめて思ったことなんだけど、『楽しい』がわからない人は『好き』もわからないはずでは?という仮説だった。
『好き』のほうが上位ランクなのでは?
どうして僕はこんな簡単なことに気づかなかったんでしょう。
僕自身の幼少期と深い関わりがありまして、生きることに必死すぎたということだと思う。どういうことかと言うと、僕が生まる前から両親は宗教に入信して育児よりも宗教のほうが大切だったことに関係している。
人と感情的交流を持てない人が親になるとおのずと育児放棄気味になる。 育児放棄された子どもは感情のつながりを求めてイロイロな事を考えて行動し、それでも愛情がもらえないと、その子どもは自己を放棄する。それは愛情が貰えない苦しさから子どもは自ら自己放棄することで感情群を捨てるんだと思う。子どもの渇きの中に寂しい気持ちもあると思う。人間は寂しい気持ちだけには勝てない。人間は人間によって埋めなければならない寂しい気持ちがあると思う。
僕の仮説が正しければ
感情群を捨てた子どもが楽しいを見つけることはとても難しい。感情的つながりが安心感を生み出す、安心が確保されてる状態があって、はじめて楽しさを求める。
これが僕の思ったことだ。
過酷な家庭環境で『楽しい』を見つけられなかった人は『好き』ではなくて、『楽しい』を探すことからはじめたほうがいいんじゃないのかな?
つまらない気持ちになった自分にありがとう。
『楽しい』に気づかせてくれた。
楽しいその気持ちが僕をどこかへ連れていってくれそうな気がしている。
良いお正月をお過ごし下さい。僕の感情の研究はこれからも続きます。
それでは。
って終わろうと思ったんだけど、書いている今、気づいてしまいました。
楽しもうと思っている人は楽しいを見つけることがもっとむずかしいんじゃない?って。一度つまらないという感情を感じなければいけない。感情を感じること。楽しいを感じること。
楽しもうと思うこともやめてみようと思います。
トークショーでは感じることと考えることは両立できるか?について聞いてみようと思います。
また報告します。それでは本当に終わりです。
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