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エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督 『グリード』 : わが友、シュトロハイム!

映画評:エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督『グリード』1924年・アメリカ映画)

本作は、モノクロ・サイレント時代の、ハリウッド映画の「名作」である。

今回初めて鑑賞して、個人的には特に面白いとは思わなかった。
だが、本作が「名作」とされる主たる理由とは、たぶん本作が、当時としては珍しい(新しい)「リアリズム」作品であり、人間の業としての「嫌な部分」を呵責なく描いたという点に、その画期性があったからのようだ。

トリナマクティーグ。物語の後半、二人の関係はどんどんと険悪になる)

そのあたりを明確に語っている文章が目につかないのは、日本人で本作を見ている人が限られているのと、見た人の多くが「名作」という「通説」に畏れをなして、なぜこの作品が「名作」なのかについて、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることをしてこなかったからであろう。

そんなわけで、本作の日本での評価は、もっぱら、日本の映画批評の草分けである「淀川長治」の評価に依存したものであり、それをそのままコピペしているだけだと言っても、大きく外れてはいないだろう。
もちろん、淀川自身は、同時代に本作を含むモノクロサイレント映画を見た者として、正直に自身の評価を語っているのだが、その彼が望むと望まぬとにかかわりなく「権威」化されてしまうと、後続の映画評論家や映画ライターたちは、自身の違った評価については無難に口をつぐんで、淀川の見解に沿った「紹介記事」を書いたのである。だから、つっ込んだ「個人的な評価」というものが、さっぱり見当たらないのだ。

例えば、本作の「Wikipedia」での「あらすじ」紹介は、次のようになっている。

『1908年、マクティーグはカリフォルニアの北斗七星金鉱採掘場で働く鉱夫だった。飲んだくれの父親に似た息子の将来を案じた母親は、巡回してきた偽医者のポッターに息子を託す。数年後、マクティーグは独立して、サンフランシスコで歯医者を経営している。そこに親友のマーカスが従兄妹で許嫁のトリナを歯の治療のために連れてくる。女性とあまり接したことのないマクティーグはたちまちトリナに恋をし、父親の血であろうか、治療中にトリナに接吻をしてしまう。

マクティーグはマーカスにトリナを譲ってほしいと頼む。マーカスは驚くが、侠気からトリナを譲り、さらにトリナには富くじを与える。

マクティーグとトリナは結婚することになる。そこに、富くじが当選したとの報せ。トリナは5000ドルの金貨を手に入れる。しかし、それが3人の運命を狂わせることになる……。』

(Wikipedia「グリード (1924年の映画)」

物語の冒頭だけを紹介した、この短い文章で問題となるのは、

『マーカスは(中略)トリナには富くじを与える。

の部分だ。

つまり、のちに3人の関係に暗い影を落とすことになるこの「富くじ」は、ここでは「マーカスがトリナに買い与えた」ことになっているのだが、事実がそうでないことは、映画を見ていれば一目瞭然である。
実際には、マクティーグ(マック)の歯科医院で順番待ちをしていた、マーカスとトリナのところへ、掃除婦のマリアがやってきて「富くじを買ってくれ」と言うと、マーカスは「富くじは違法だぞ」と断るのだが、マリアが「肉屋は20ドルを当てたよ」と言うと、マーカスは顔をしかめるだけだったが、トリナは「しかたないわね」みたいな笑みを浮かべて、ハンドバッグから1ドルを出して払い、自分で富くじを購入するのである。一一だから、上の紹介文は、明らかに「事実誤認」なのだ。

では、どうしてこのような「大切な伏線」について、明らかに誤った記述が、いまだに「Wikipedia」でなされているのかというと、要は、この説明は、淀川長治が残した「紹介」の一部コピペだからである。

私が見た「IVC」版DVDにも、音声付き映像で収録されている、淀川長治の「紹介」だと、この部分は次のようになっている。

『(※ マクティーグに、トリナを譲ってくれと言われて)マーカスは考えた。男気だした。「よし、やるよ。」と言ったんです。「いいよ、やるよ。」それで、マクティーグは喜んでトリーナと結婚したんですね。トリーナは誰とでも良いんだ、金さえあったら良いんだ、そういう女ですね。一緒になった、その時にマーカスは二人に富くじ一枚やったんですね。「これが俺のお祝いだ、あばよ。」と言ったんですね。男気だして。ところがその富くじが二百万円当たったんですね。びっくり仰天した。二百万円の金が入った、びっくりした。トリーナは自分の金です、と言ったんです。』

「ivc」サイト、淀川長治による作品紹介『グリード』より)

見てのとおり、『マーカスは二人に富くじ一枚やったんですね。』と語っており、この「紹介」を無批判になぞったので、「Wikipedia」でも上のような「誤り」が、いまだに「そのまま」残っているのだ。

では、淀川長治は、どうしてこうした初歩的な間違いを語ったのかと言えば、それは彼が「作品紹介」する際は、基本的に「記憶」だけでそれを行なっていたからである。

ではなぜ「記憶だけで語ったのか」と言えば、それは淀川が「作品紹介」を語った頃には、まだビデオやDVDといったものが一般には普及していなかったので、「作品紹介」をするにあたっても、基本的には映画館で見た時の「記憶」に拠ったのであり、あとで確認するということが容易なことではなかったからなのだ。
したがって、この種の「記憶違い」については、昔は世間も鷹揚だったのである。そんなにたくさんの作品を見ている人もいなければ、ましてや記憶している人など、他にはいなかったからである。淀川長治は、日本における、古い映画の「生き字引」だったのだ。

しかし、当然のことながら、淀川長治のこうした「記憶違い」は、なにも本作だけに限られるものではない。
映画マニアではない私が気づいただけでも、例えば、スタンリー・キューブリック監督の傑作『2001年宇宙の旅』についても、淀川はその著作『淀川長治 映画ベスト100&ベストテン』の中で、同作を紹介して「ボーマン船長は、宇宙船での孤独な長旅の中で、徐々に狂っていく」というような説明をしており、有名な「人工知能HAL9000の反乱」ということを、すっかり失念したままの「作品紹介」を残しており、同書の編者も、その点について、正しも指摘もしていないのだ。

だが、『2001年宇宙の旅』の場合、今も人気のある有名作品ゆえに、同淀川書についてのAmazonカスタマレビューでは、レビュアー「タヴァーン」氏が、レビュー「『2001年ー』のストーリーは直して欲しい」の中で、次のように指摘している。

『淀長さんらしい語りで楽しませてくれます。
ただ、『2001年宇宙の旅』のストーリーは大きく間違っていて、「若いパイロットが神経衰弱になって、狂っていく」と書かれていますが、周知の通り、狂っていくのはコンピューターのHAL9000です。ここは生前に直しておいて欲しかった。』

つまり、淀川長治を尊敬し神格化するが故に、その言葉を「聖典」扱いにして、これまではその「誤り」に気づいても、映画業界関係者は、それを公然として指摘して、その誤りを正すということをしてこなかったのだ。
だから、本作『グリード』の「Wikipedia」においても、たぶん執筆者は、淀川の「作品紹介」が誤っていることに気づいていながら、淀川の「作品紹介」に準拠した「紹介」をしたのであろう。淀川の誤った記憶を、(後で紹介する、キッスの部分だけ)一部修正してあるところにこそ、それが窺えるのである。

ここで重要なことは、その業界的な「権威主義」のせいで、誤った情報がそのまま残されてしまうということだけではなく、「権威による評価」には異論が唱えられない状態が、今も「現にある」、という点なのだ。

たしかに淀川長治が、日本の映画界に遺した功績は誰人にも否定できない大きなものではあるのだが、しかし、淀川とて人間なのであれば「記憶違い」くらいはあって当然だし、まして昔は、その記憶の自己検証が簡単にできるような環境にはなかったのだから、淀川が昔の記憶のままを語ったことを責めるのは、酷だとも言えよう。
だがまた、淀川への敬意は敬意として、尊敬の念を持った上で、その「事実関係の誤りを正す」ことはできたはずだし、それはなされて然るべきことだったのだが、それがなされなかったのが、日本の映画界だった、ということになるのである。

 ○ ○ ○

そんなわけで、本作については、私は淀川長治ほど、高くは評価できない。なにしろ、本作を見た「時代が違う」のだから、それは仕方がないことなのだ。
本作の「歴史的意義」は尊重するけれども、かと言って、自分の「実感」を「偽る」ことはできない。そんなことをする人間には、映画を語る資格など無いのである。

したがって、私としては、本作が「面白かった」とは到底言えないが、しかし、いくつか「興味深い」部分はあった
本稿では、そのあたりについて書いてみたいと思うし、そちらこそが本稿の主眼なのである。

さて、私が今回本作を見たのは、上の『淀川長治 映画ベスト100&ベストテン』で、淀川が本作を絶賛して、自身の「オールタイムベストテン」にまで入れていたからである。これでは、見ないわけにはいくまい。

で、見てみた結果は、ここまで書いたとおりなのだが、しかし、私が興味を持ったのは「淀川長治は、どうしてここまで『グリード』を高く評価したのか?」という疑問においてであった。

管見の及ぶかぎりであるが、蓮實重彦がこの作品を褒めていたというのを、私は知らない。もちろん、シュトロハイムには時々言及しているが、その際に『グリード』を絶賛していたというわけではないのだ。
一方、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の発火点である映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の初代編集長である映画評論家のアンドレ・バザンは、その著書『映画とは何か』で、「古典」のひとつとして本作の名を挙げていたから、バザンは本作を高く評価していたと見ていいだろう。
だが、いずれにしろ1918年生まれのバザンもまた、淀川の9つ下なだけで、ほとんど同時代に生きた「昔の人」なのだから、その評価は、そういうものとして理解すべきなのである。
つまり、同時代に『グリード』を見た人にとっては、同作は「斬新孤高の傑作」であったのだが、私のような「今の人間」では、そのあたりについて、同様の実感を持って見ることはできなくて当然だ、ということである。

したがって、先に提出した「淀川長治は、どうしてここまで『グリード』を高く評価したのか?」という疑問については、「同時代に見た人としての評価」だと理解するだけでも、いちおうの説明にはなるだろう。けれども、淀川の「熱心な評価」は、ただそれだけではないと、私は見たのだ。
一一私が、以下に書きたいのは、その点なのである。

さて、そんな私なりの「解答」を先に書いておくと、淀川長治が本作『グリード』を極めて高く、かつ熱心に評価した理由は、彼の「個人的な事情」に関わるものだと、そう見る。
つまり、自身を作中人物に重ねた結果、本作を「身につまされて」見たから、他を持って代え難い作品になった、ということである。

では、その「個人的な事情」とは何かといえば、それは、淀川長治が「ホモセクシャル」であった、という事実だ。
つまり淀川は本作を、「欲深な女によって引き裂かれる、男たちの友情悲劇」として見たのではないかと思うのだ。

(仲の良かった、マクティーグマーカス

上に引用した、淀川長治の本作「紹介」の、後半部分は、次のようになっている。

『(※ マクティーグから、トリナを譲ってくれと言われて)マーカスは驚いたんですね。「俺の女だよ。俺結婚するんだよ。」「わかってる、わかってる、けど俺はもうどうしてもあの女が欲しいんだ。」マーカスは考えた。男気だした。「よし、やるよ。」と言ったんです。「いいよ、やるよ。」それで、マクティーグは喜んでトリーナと結婚したんですね。トリーナは誰とでも良いんだ、金さえあったら良いんだ、そういう女ですね。一緒になった、その時にマーカスは二人に富くじ一枚やったんですね。「これが俺のお祝いだ、あばよ。」と言ったんですね。男気だして。ところがその富くじが二百万円当たったんですね。びっくり仰天した。二百万円の金が入った、びっくりした。トリーナは自分の金です、と言ったんです。「あたいのあの男から持って来たんだからあたいの金。」だと。マクティーグは「どうだって良いよ、お前の金で良いよ。」と言ったんですね。そうして結婚の晩からもうセックスなんかどうでもいいの。金ばっかり握って勘定するのが好きなのね。マクティーグはあくびして、「おい、早く寝ろよ。」言っても女寝ないんですね。で、女はその金を銀行持って行って金貨とかえてきたんですね。チャラチャラチャラチャラいっぱい持って。そうして亭主が歯医者やっている間ベットでずっと金、並べるんですね。もう病気ですね。マクティーグはそんな事知らないからいつもの飯食って教会に行っても「ねえ、あんた私、細かいの無いのよ。あんた払っておいて。」そんな女になってきたんですね。自分のハンドバック見たら細かいの有るのに細かい金までも渡さない様になってきたの。だんだんだんだん貪欲、貪欲、貪欲になってきたんですね。ところが片っぽのマーカス、「女はやるわ、金やったその富くじが金当たったわ、俺何のためにこんな事になったんだろう?何のために俺はこんな事になったんだろう。」だんだん嫉妬、嫉妬、嫉妬で…。

怖い映画でした、『グリード』『貪欲』見事なシュトロハイムの傑作ですよ。』

つまり、マーカスは、トリナを譲っただけではなく、「富くじ」の賞金さえ「持って行かれた」かたちで、すっかり腐ってしまい、親友であったはずのマクティーグに嫉妬し、憎むようになるのである。

なお、先にも指摘したように、「富くじ」は、トリナが買ったものであって、マーカスが二人に与えたものではないから、それを妬むのは筋違いだと、そう思われるかもしれないが、そのあたりについては、映画でも、きちんと説明がなされている。
要は、マーカスとしては、マクティーグにトリナを譲ってさえいなければ、自分がトリナと結婚していたのだから、当然「富くじ」の賞金も、自分の方へ入ってきていたのにと、そう考えて後悔し、腐ったのである。

(マーカスはマクティーグに、つらく当たるようになる)

ともあれ、そんなわけで、マーカスは、ラッキーなマクティーグを妬むようになる。
一方、淀川長治の「紹介」にもあるとおり、トリナはやがて「守銭奴」と化していき、彼女のベタ惚れだったマクティーグも、やがては嫌気がさしてきて、とうとう彼女と別れることになる。だが、その頃には彼の「歯科医師」の仕事は「医師会の無許可営業」として、すでに奪われていたから、トリナと別れた後、仕事もなくすっかり落ちぶれてしまったマクティーグは、ある夜、トリナの新居を見つけて、金をせびりに行く。
だが、それを冷たくあしらわれたために、マクティーグは、トリナが後生大事に隠し持っていた「富くじの賞金」を強奪して逃亡し、指名手配を受けることになる。
そして、その頃、同じく落ちぶれて牧童になっていたマーカスは、マクティーグの首に賞金がかかっているのを知り、その賞金欲しさにマクティーグを追跡する。そして、「死の谷」と呼ばれる広大な砂漠の奥地へと逃れていたマクティーグについに追いつくのだが、その時すでに、砂漠から町へと引き返すだけの「水」が残っていなかったため、マーカスはマクティーグの手首に手錠をかけ、自分と繋いだままで死んでしまう。マクティーグもまた、遅れてその運命を共にする、というところで、この物語は終わるのだ。

(「死の谷」の砂漠で対峙する二人)

つまり、もともとは親友だった二人が、守銭奴の女のためにその友情を引き裂かれ、その結果、最後は、二人は手錠で繋がれたまま死を共にするという「恋愛悲劇」だと、本作をそう見ることも可能なのである。

(守銭奴となったトリナ)

で、たぶん、そのあたりで淀川長治は、「好きな男性と結ばれ得なかった思い出」といった「個人的な事情」を本作に投影して、「他人事とは思えない切実さ」で本作を見たから、忘れられない作品になった、ということなのではないだろうか。

私が、こうした「推理」をするのは、私の好きな作家には、小説家の中井英夫赤江瀑、挿絵画家の村上芳正、人形作家の辻村ジュサブローといった「男性同性愛者」が少なくなく、そうした人たちの書いた作品や文章を読んだり、一部には多少の交流があったりもしたから、「男性同性愛者」の、そのあたりの「感覚」については、なんとなく「わかる」部分もあったからである。
つまり、彼らは「世間から認められない恋情」に生きなければならなかった人たちだった(同性愛者は「変態」と呼ばれて差別され、社会的に抑圧された)ので、かえって「愛人」を求める気持ちが極めて強く、「情が濃い」部分があったのだ。無論、例外はあったとしてもだ。
そして、そうした事情は、たぶん淀川長治についても、おおよそ同様だったのであろう。

だからこそ、その傍証として、淀川長治の本作「紹介」で注目すべきなのは、トリナに対する、淀川の過剰なまでの否定的評価である。
淀川は、上の「作品紹介」の中で、トリナについて、次のように紹介している。

『(※ 主人公のマクティーグには)マーカスと言う友達が出来ました。それで二人で仲好くなって一緒に酒呑んだりしているうちに、そのマーカスがマクティーグに言ったんですね。「俺ちょっと相談があるんだ。」「何だ?」「俺、トリーナと言う女と結婚するんだ。」そうしてトリーナはそのマクティーグの歯医者行ったんですね。トリーナは妙な顔した女、綺麗じゃないんですね。妙な顔した女、小柄の。ところがどこかに肉欲的な、どこかに男を誘惑するようなムードがあるんですね。そうして女を知らない、何にも知らない、本当に野暮の塊のマクティーグ。炭鉱夫上がりのマクティーグが歯医者で治療しているうちに、この女の方は純朴な純朴な女知らずの男にだんだんだんだん参っていくんですね。そうして3日、4日、5日行くうちにだんだんだんだんマクティーグの歯医者に寄っていったんです。口を、口をどんどん寄っていったんです。とうとう二人は接吻しちゃったんですね。接吻した時にこのマクティーグ、女知らずのマクティーグはいっぺんにトリーナに夢中になったんですね。もうトリーナが居たら俺は命が要らん言うくらいにこの女に惚れ込んじゃったんですね。そうしてマーカスに打ち明けたんですね。「俺にくれないか?」って。』

この中の、次の部分だ。

(1)『トリーナは妙な顔した女、綺麗じゃないんですね。妙な顔した女、小柄の。ところがどこかに肉欲的な、どこかに男を誘惑するようなムードがあるんですね。』
(2)『炭鉱夫上がりのマクティーグが歯医者で治療しているうちに、この女の方は純朴な純朴な女知らずの男にだんだんだんだん参っていくんですね。そうして3日、4日、5日行くうちにだんだんだんだんマクティーグの歯医者に寄っていったんです。口を、口をどんどん寄っていったんです。とうとう二人は接吻しちゃったんですね。』

(1)の部分では、淀川はトリナを『妙な顔した女、綺麗じゃないんですね。妙な顔した女』だと、「醜女」であることを強調し、それでいて『どこかに肉欲的な、どこかに男を誘惑するようなムードがある』と、男を惑わす「悪女」であるかのように語っているが、映画を見るかぎり「そんな事実は無い」のだ。
つまり、トリナを演じた女優は、典型的な美女ではないとしても、それなりに整った顔をしているし、十人なみ以上には美人だと言えるだろう。

(2)の部分については、トリナがマクティーグを「誘惑した」かのように書かれているが、その事実も無いWikipediaも、誘惑したとは書いていない。つまり、この部分は、淀川説を修正している)。
二人が初めてキッスするシーンでは、トリナは抜歯のために麻酔をかけられて眠っており、その寝顔に魅せられて、マクティーグの方が自分を抑えきれずに、一方的にキッスをしたので、トリナに責められるような点はなく、むしろ被害者なのである。

(治療のための麻酔で眠るトリナ)

では、淀川長治は、どうして、このような露骨な「記憶改変」を行なってしまったのかといえば、それは先にも書いたように、たぶん淀川は、本作に自身の「体験」(あるいは、思い出)を重ねて、この物語を「悪女によって引き裂かれた、男同士の悲恋物語」として見てしまい、それに感動して、そのイメージを記憶に刻みつけてしまったからではないだろうか。

つまり、本作に関する、淀川長治の「記憶違い」は、単純なそれではなく、「個人的な事情による記憶の改変」があったのではないかというのが、私の推理なのである。

まあ、そうした「推理」の当否は別にして、本作のストーリーに関する「事実誤認」は、さっさと正されるべきだと、そう提言しておきたいと思う。

 ○ ○ ○

次は、上の「淀川長治問題」とは全く別の話で、私が本作を楽しめた、もうひとつの点について書きたいと思う。

正確には、「本作が楽しめた」と言うよりも、本作を鑑賞したことにより、エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督を詳しく知ることができ、すっかりシュトロハイムファンになったという、その事情である。
本稿のタイトル『わが友、シュトロハイム!』は、こちらの事情を指したものなのだ。

では、私は、シュトロハイムのどこに惚れ込んだのかというと、その「我が道をゆく、非妥協の完全主義者」ぶりの部分である。

そもそも私がシュトロハイムに注目したのは、先日鑑賞した、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』(1937年)に、「俳優」として出演していた彼に、すっかり魅せられたからである。
そして、今にして思えば、この作品で私が最も惹かれた部分は、多分に「ホモセクシャル」的な部分だったとも言えようから、やはり私にも、多少はそのケがあるのかもしれない。

ともあれ、『大いなる幻影』で、エリッヒ・フォン・シュトロハイムの存在を知った。それで「Wikipedia」を見てみると、彼はもともとは「映画監督」だったのだが、その完璧主義のゆえに制作予算を使いすぎて、映画監督として干されてしまい、しかたなく俳優に転じた、というようなことが書かれていた。
それで、彼の撮った作品とやらも気になっていたのだが、その矢先に読んだ、淀川長治の前記著作の中で、シュトロハイムの『グリード』が絶賛されていたから、「これは見なければ」と思った、という次第である。

ちなみに、エリッヒ・フォン・シュトロハイムという人が、どんな人なのかは、以下の議論では重要な部分なので、少々長くはなるが、「Wikipedia」から彼の経歴等を、ひととおり引用紹介しておこう。

エリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich von Stroheim、1885年9月22日 - 1957年5月12日)は、オーストリアで生まれハリウッドで活躍した映画監督・俳優。映画史上特筆すべき異才であり、怪物的な芸術家であった。徹底したリアリズムで知られ、完全主義者・浪費家・暴君などと呼ばれた。また、D・W・グリフィスセシル・B・デミルとともに「サイレント映画の三大巨匠」と呼ばれることもある。

来歴・人物
初期
1885年9月22日、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のオーストリア)ウィーンにてユダヤ系ドイツ人の両親の間にエリッヒ・オズヴァルド・シュトロハイムとして生まれる。父親は帽子職人。商業学校を卒業後帽子職人となる。1906年に陸軍入隊、翌年除隊。1909年にアメリカに渡った。 出自の貧しいユダヤ系オーストリア人ではあったが、新天地・アメリカで幅を利かせるため、いかにもドイツ風で独特な容貌の魁偉さ、尊大な立ち居振る舞いを映画界でのブラフに利用し、貴族名前の称号「von」(フォン)を自称した。自称の経歴によれば、父はフリードリヒ・フォン・ノルトヴァルト公で、士官学校在学中に貴族と決闘沙汰を起こし、フランツ・ヨーゼフ皇帝から直々にアメリカ行きを勧められたという。

1914年、軍服アドバイザーとして映画界に入り、D・W・グリフィスの『國民の創生』(1914年)で監督助手を務めた。また同作では屋根から落ちる役でエキストラ出演もしている。続いてグリフィスの『イントレランス』(1916年)ではアシスタントディレクターを務め、パリサイ人役で出演した。その独特な容貌・個性的なキャラクターを買われ、1918年に第一次世界大戦におけるドイツ軍の残虐を描いたグリフィスの『人間の心』ではそのドイツ人将校を演じて知名度を上げた。

1919年、アルプスの高地を背景に、或るアメリカ人夫婦と(彼自身が演じた)悪徳好色漢との三角関係を、綿密なリアリズムで描いた『アルプス颪』(1919年)の脚本をユニヴァーサルに売り込み、自ら監督・主演して成功を収めた。

高い評価
アメリカ映画初めてといえる冷徹な性格俳優として名をなした彼は、『アルプス颪』で監督としても一流と認められ、続いて『悪魔の合鍵』(1919年、監督・出演・原案・美術)と『愚なる妻』(1921年、監督・出演・脚本・衣装)を製作した。『悪魔の合鍵』は、小説が売れると考えたアメリカ作家の美しい妻が、パリの誘惑に負けて高価な衣装を買うが払えなくなったため、その衣装店のマダムが富豪に世話をして利益を得ようとする話で、日本でも公開され高く評価された(ただしフィルムは現存しない)。

続いて空前の巨費を投じた『愚かなる妻』では、奸知にたけた好色漢として、ありとあらゆる女性を毒牙にかけ、最後に惨殺されて下水に投げ込まれるという役柄を演じた。これらの作品はいずれも女の愚かさを強調して描いている点で3部作をなし、綿密な自然描写でサイレント映画芸術における極致を示した。

次の『メリー・ゴー・ラウンド』(1922年、共同監督・脚本・美術・衣装)は、撮影中に会社側と衝突して退社し、ルパート・ジュリアン監督によって完成された。

MGM時代
その後ユニヴァーサルからメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに転じ、アメリカの生んだ自然主義作家フランク・ノリスの長編『死の谷』の映画化である『グリード』(1923年、監督・脚本・美術)に取り組むが、作品の舞台を19世紀から現代に移し変え、人間の貪欲と我欲をテーマに、サンフランシスコの無免許歯科医マクティーグとその妻の生活や本能を凄まじいリアリズムで描いた異色の力作であり、シュトロハイムの名を不滅のものにした。

続いての『メリー・ウィドー』(1925年、監督・脚本・美術・衣装)は、フランツ・レハールの名を高らしめた同名のオペレッタの映画化であるが、大部分がシュトロハイム特有の甘さに溢れたオリジナルの脚本で、ウィンナワルツ調の佳作となった。彼は、アメリカ映画空前絶後のリアリストであったが、少年期を過ごして来た帝政末期のウィーンの描写ではロマンチストに変じた。

次作『結婚行進曲』(1928年、監督・主演・脚本・美術・衣装)では、純情娘と甘い恋に耽りつつも家柄を守るために、足が悪く醜い成金娘と望まぬ結婚をする貴族の御曹子でウィーンの遊蕩士官を演じた。1929年、シュトロハイムはグロリア・スワンソン製作・主演の『クィーン・ケリー』(監督・脚本・美術)に取り掛かるが、撮影中にスワンソンと衝突し撮影中止となる。1932年、初のトーキーとなる『Walking Down Broadway』を手がけるが、未公開で終わり、同時にこれがシュトロハイムの監督としての最後の作品となった。

俳優として
監督としてのキャリアに終止符を打った後も、主にハリウッドを拠点に脇役専業の大物性格俳優として異彩を放った。ハリウッド映画での活動が多かったが、ジャン・ルノワールのフランス映画『大いなる幻影』(1937年)では貴族出身の毅然としたドイツ軍将校を重厚に演じ、監督隠退後のキャリアにおける最高の演技を見せている。
また第二次世界大戦後の1950年に公開されたビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』では、引退女優を演じるグロリア・スワンソンの執事を演じている、自らをモデルにしたような往年の監督などに扮し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。強烈な印象を残す俳優として称賛を浴び続けた。
もっともそのキャラクター自体の強烈さは、俳優専業となっても変わっていなかった。ビリー・ワイルダーは第二次世界大戦中の1943年の戦争映画『熱砂の秘密』を監督するに当たり、実在のドイツ軍指揮官エルヴィン・ロンメル将軍の役に敵役として相応しいシュトロハイムを選び、自ら出演を懇請して助演を得た(初対面時、彼を「偉大な監督」、と賞賛したワイルダーに対するシュトロハイムの返答は「もっとも偉大な監督、だ」という訂正であった)。
撮影に入ったワイルダーは、シュトロハイムのリアリズムへの拘り(軍帽に隠れる額から上は日焼けメイクをさせず肌の色のまっすぐな境界を見せる、実際に軍用に使われていた保護カバー付腕時計調達を要請する、など)に感銘を受けたものの、ついには危うく演出まで乗っ取られかけ、大変な目に遭ったことを、晩年のインタビューで語っている。

晩年
その後ヨーロッパに渡り、1955年に3本の映画に出演したのを最後に撮影現場から遠ざかり、1957年にフランスのパリ郊外のモールパで72年の生涯を閉じた。亡くなる2ヶ月前にレジオンドヌール勲章を受章した。』
(…)
完全主義者
シュトロハイムは度が過ぎるほどの完全主義者として知られた。その異常とも言える完全主義への執念は様々なエピソードに残されている。

例えば、サイレント映画にもかかわらず俳優にはきちんと台詞を読ませて、何度もリハーサルを行ったり、本物の小道具を使ったり、作品の脚本には映画では撮影しないはずの登場人物の生育歴が綿々と書きつづられていたり、ついには役者の下着にまでこだわるほど。また、当時はサイレント映画なのに、ドアベルまできちんと鳴るように気配りさせたという。『愚なる妻』ではモンテカルロのカジノを、ハリウッドに実物そっくりに再現させてしまう。撮影期間も超過し完成するまで13ヶ月もかかり、製作費は最終的には110万ドルも投じられた。

『グリード』では全編ロケーション撮影を行ったが、ラストシーンはデスヴァレー(通称:死の谷)で撮影を強行し、酷暑のため病人が続出し、ついには死者まで出してしまう。『結婚行進曲』ではオリジナルの豪華な衣装を仕立て、豪勢な料理までも実際に作らせて、撮影中にキャストが口にした。これらはそれまでの映画撮影の常識を打ち破るものだった。

様々なものにこだわりすぎた挙句、ほとんどの作品で製作費がかさみ、上映時間もとても長くなってしまうことが多かった。その場合はほとんどの作品が勝手に編集されて大幅にカットされている。『悪魔の合鍵』ではフィルムの3分の1がカットされ、『愚なる妻』では上映時間が8時間にものぼったため、最終的に1時間50分ほどに短縮させられた。『グリード』では最初の完成作品は42巻で上映時間9時間を越える空前の長尺となり、会社と揉めた末2時間余りにずたずたにカットされた。第1部と第2部に分れていた『結婚行進曲』はスタジオから編集権を奪われたため、第2部は未公開で終わっている。

このような徹底しすぎる完全主義により、ほとんどの作品で予算超過・長尺となり、それが原因で会社やスタッフ、俳優とも何度も衝突している。結局シュトロハイムは、43歳にして映画づくりの道を断たれ、呪われた監督となった。』

いやもうハッキリ言って「やりたい放題」「言いたい放題」である。
これでは「ユニヴァーサル」社を放り出されても仕方がない、とも思う。

でも、私はこういう「徹底した」人が好きだし、そうした意味での「変人」が好きなのだ。
「生ぬるい常識人」には興味がないし、そうした「その他大勢」を批判する時には、聖書(黙示録)の引用も辞さないほどで、腰の引けた人間が好きではない。
だからこそ「シュトロハイム、最高!」だし、私自身もこれまでの人生で、何度となく、同好会などから放り出され、一人になってからも、「mixi」からも「Twitter(現・x)」からも、「Amazon」からさえも追放された身なので、シュトロハイムを他人とは思えないのである。
だからこそ、「わが友、シュトロハイム!」なのだ。

で、こうしたことは、あくまでも、シュトロハイム個人に対する個人的思い入れであって、本作『グリード』の評価と関連するものではない。ここまでも書いたとおり、私は、この作品自体は、それほど面白いとは思わなかったのだ。

ただし、本作において、私が真っ先に注目した点があった。
それは、シュトロハイムが本作で「何が言いたかったのか」を窺わせる、重要な部分である。

「Wikipedia」にもあるとおり、「MGM」社に移籍後第1作である本作は『アメリカの生んだ自然主義作家フランク・ノリスの長編『死の谷』』(原題は、主人公の名前『マクティーグ』)を映画化したものなのだが、本作で注目すべきなのは、冒頭部分で、この原作本の書影が映された後、そのページがめくられて、そこから本文中の、次のような言葉が、本作のテーマを示す「緒言」ででもあるかのように「引用される」点であろう。

その言葉とは、次のようなものである。

『私には妥協の人生など考えられない。
流行や金に惑わされず、神に誓って真実を述べてきた。
それが受け入れられようと否定されようと私は構わない。
やがてわかることだ。(フランク・ノリス)』

つまりこれは、シュトロハイムを放り出した「古巣」ユニヴァーサル社への「決別の辞(憎まれ口)」なのであろう。

「お前らは、金のことばかり言って、ぜんぜん作品のことを考えていなかった。だが、私は違う。私は、映画に全身全霊を注ぎ込んだのだ。だから金もかかったのだが、それを後悔などしていない。私の方が正しかったことは、やがて歴史が証明するだろう」

と、こういう「宣言」だったのである。それ以外、あるまい。

つまり、本作『グリード』(貪欲)というタイトルは、ユニヴァーサル社への「あてつけ」の意味もあったし、また、それに代表される「金のことばっかり考えている奴ら、金のために妥協してばかりいる奴ら」の「見苦しさ」を描いた、「リアリズム」作品なのである。

言い換えれば、淀川長治は、「悪役」をトリナひとりに押しつけて理解したけれども、シュトロハイムにしてみれば、トリナだけではなく、マクティーグもマーカスも、結局のところ最後は「金の亡者」になって、哀れにも野垂れ死んだと、そういうことを語ったのではないだろうか。

「もちろん、金は必要だ。だが、金の亡者になったら、それは哀れな人生なんだよ」と、シュトロハイムは、そう本作で語りたかったのではあるまいか。

これが私の『グリード』理解なのである。



(2024年7月9日)

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