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藤野知明監督 『どうすればよかったか?』 : 家族と統合失調症とその深淵

映画評:藤野知明監督『どうすればよかったか?』(2024年)

本作は、「統合失調症」患者を出した「家族」の物語(ドキュメンタリー)である。

その統合失調症患者とは、他でもない、本作の監督・藤野知明「実姉」だ。「家族」とは、その姉と弟、そしてその両親の4人である。

家族という他者との20年にわたる対話の記録

面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。

このままでは何も残らない——姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。

20年にわたってカメラを通して家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した本作。“どうすればよかったか?” 正解のない問いはスクリーンを越え、私たちの奥底に容赦なく響きつづける。』
(本作公式サイトより)

両親は共に、医師であり基礎医学の研究者である。したがって、知的レベルも生活水準も高い、一般には「恵まれた家庭」であったと言えるだろう。
だが、その家の「出来の良い、期待の長女」が、思いのほか苦労した三浪を経て医学部に進学したのちに、「統合失調症」を発症してしまった。

(面倒見の良い姉だった)

医師であった父は、知り合いの医師に娘を見せた後、そのまま娘を連れ帰ってきた。
「何も異状はないという診断だった」というのが、ひとり家に残されていた息子(本作監督)に語られた「父の説明」であり、病院へ同行した母もそれを「追認」した。

最初のハッキリした兆候は、姉が夜中に意味不明なことを叫び出したことにある。その時、父は海外に出張中であったから、母と息子が相談して救急車を呼んだのだが、その時の姉はあきらかに「異常」と呼ぶしかない状態だと弟には思われた。
だから、その後に父から聞かされた姉の診断結果に、息子が納得できなかった。

以降、両親は自宅に高価な研究機器を買い揃えて、自宅での研究を進め、その手伝いをさせることで、娘に研究論文を書くように奨め、娘もそれに従った。だが、娘(=監督の実姉)の病状は徐々に悪化していった。

そしてこれは、弟が家を出て独立したあとの話だが、あるとき姉は、自分の保険を勝手に解約し、その数百万円という金を持って、勝手に一人でアメリカ旅行に出かけ、かの地で何度も保護されて、両親が引き取りに行ったということもあった。
このような状態なので、たとえ地元であっても、家から出れば、警察に保護されるといったことも度重なったのだろうし、外出して娘が戻らなければ、両親が警察に通報して捜索してもらったというようなことも、映画には描かれておらずとも、何度かはあったはずだ。
しかし、それでも両親は、娘の「統合失調症」を認めようとはせず、その結果、玄関ドアに南京錠を施すなどして、娘を自宅に軟禁するようになってしまう。

弟である、本作監督の藤野知明は、こうした両親の姉への対応に納得がいかず、早い時期から、姉を精神科の医師に見せて適切な治療を受けさせるべきだと主張し、両親を説得しようとした。
だが、両親は頑としてこの提案を受け入れようとはせず、「まこちゃん(長女・姉)は病気ではない」「治療の必要はない」「こうして家でいるのが一番良いのだ」と言って譲らず、そんな状況が続く中で、ついに弟(藤野知明)は就職して家を出ることにした。そんな家から逃げ出さずにはいられなかったのである。

だが、会社勤めのかたわら、「映像制作」の勉強を始めるようになり、30歳を過ぎたあたりで「このままでは、何も残らないことになってしまう」と考えるようになり、家族の映像記録を残し始めることになる。

最初は、家族に怪しまれないよう、家族イベントなどを企画して、それを撮影する態での撮影を行った。
また両親も、映像作家を志す息子に、心よく協力してくれた。こうして、20年にわたることとなる撮影が始まったのだ。

そして、そんな長きにわたる映像記録が蓄積され、すでに映画作家としての経験を積んでいた藤野知明が、本作の製作を決意した時には、すでに姉と母は亡くなっていた。
いや、姉が亡くなった後でないと映画にはできないと考えていたのだが、先に母が亡くなり、姉が癌で亡くなったあとに、遺された父に、作品化の承諾を得たのである。

だから『家族という他者との20年にわたる対話の記録』というのは、たぶん、この撮影を始めてから後、姉を医療に繋ぐ(入院させる)ことができたタイミングまで、ということなのであろう。
姉の入院治療が実現したのは、母が亡くなり、もはや高齢の父ひとりでは、娘の面倒を見続けることは不可能となったからである。

母は亡くなる前から、認知症を発症して「夜中に見知らぬ男が入ってきて、まこちゃん(姉娘)におかしな薬を飲ませる」という被害妄想を持つようになっていた。
姉の統合失調症と母の認知症が重なることで、老いた父が家族の食事を作るなど家事全般を担う、ギリギリのところまでいっていたから、母が亡くなった後には、頑固に娘の入院に反対していた父も、ついに折れざるを得なかったのであろう。

 ○ ○ ○

本作を見て、まず誰もが思うのは「両親は、特に父は、どうして娘を医療につなごうとしなかったのか?」という疑問だろう。

そして、最初に浮かぶその理由とは、両親は夫婦ともに知的エリートであり、それまでは申し分のない家庭を築いてきたという「高いプライド」があったので、娘が「統合失調症になった」、平たく言えば「発狂した」とは、認めたくなかった、ということなのではないか、世間体を気にしたのではないか、ということである。

たしかに、それはあるだろう。だから、こうした両親の判断に「疑問と反感」を覚える人がいても、それはごく自然な反応であろうと思う。

しかしまた、そうした反応は、「統合失調症」というもの、あるいは、その患者の「家族」であるということの「重さ」を、十分に理解していないからだとも、私は思う。

幸い、そう幸いにも私自身は、家族に「統合失調症」患者を持つことはなかったが、40年勤め上げた警察官という職業柄、多くのそうした家庭を、その家の中まで入って見てきたから、その困難もそれなりには理解できるつもりだ。
つまり、もちろん患者も可哀想だが、その親にも同情せざるを得なかったのである。

また実際、「統合失調症」を発病した子供を、精神病院に入れたまま面会にも来なくなる、つまり、病院へ捨てたも同然の親だって、いくらでもいるという現実を、自身、精神科病棟に入ったことのある牧師・沼田和也は、その体験を記した著書『牧師、 閉鎖病棟に入る。』で証言してもいるし、私の経験からしても、さもあらんと思えた。

そんなわけで、例えば「映画.com」の本作のカスタマーレビューにも「病気になれば、医療につなぐのが当然」というような、至極もっともなご意見も見られたが、これは「統合失調症」というもの、そして、その「歴史」を、よく知らないから言える言葉だと、私は思う。そんな簡単な話ではないのだ。

どういうことか。
それは、「統合失調症」という病気は、「風邪をひいた」とか「癌になった」とかいったような病気でもなければ、同じ精神科の対象である「うつ病」などとさえ、同じように考えるわけにはいかない「特別な病気」だからである。

なぜ、「統合失調症」は、「風邪」や「癌」とも違えば、「うつ病」とも違うのかといえば、

(1)完全治癒が見込めない。
(2)患者数が少ない。あるいは、表沙汰になりにくい。

ということがあるからだ。

つまり、「風邪」や「癌」にように、適切な治療をうければ完治するといったような、その発症機序が完全に解明され治療法も確立された病でもなければ、「うつ病」のように「誰もが罹患する可能性がある、と思えるような病」ではない、ということがあるからだ。

「統合失調症」(旧病名「精神分裂病」)は、いまだ「謎」の部分が多く残されている上に、「精神」あるいは「思考回路としての脳」の「障害」であるため、患者の言動が、一般健常者の理解が及ばない「意味不明なもの」になってしまうから、健常者から見れば、「増悪(ぞうあく、aggravation)期」の患者というのは、まるで意思疎通の叶わない「宇宙人」のようにすら見えてしまう。人間の姿をしているのに、人間とは思えない存在だと感じられてしまうのだ。だから、その非日常的な存在感が、「怖しい」のである。

私たちは通常、人間同士というのは「意思疎通」が図れるものだと思っているし、事実そのとおりである。
仮に、国籍が違い、使用言語が違うために、円滑なコミュニケーションが図れない場合であっても、それは言葉の壁の問題でしかなく、相手が同じ人間だという信頼までが揺らぐことはない。その相手は、自分の同じような「心」を持っている人間だと、その目を見れば、確信できるのである。

ところが、「統合失調症」における「増悪期の患者」とは、本作でも示されているとおりで、意思疎通が図れないだけではなく、何を考えているのか、まったく窺い知れない「目」をしている。
つまり、外見こそ同じ人間なのに、そもそも意思疎通不能としか思えなくなってしまう状態に、人は本能的な恐怖を覚えてしまうし、ましてそれが家族や知人なのであれば、その「変貌」に、世界の崩壊感とでも言うべき、恐怖以上のものを、覚えないではいられないのだ。
しかもこの病は、症状を緩和することはできても、完治することができない。一見ほとんど治ったように見えても、いつ再発するかはわからないというのだから、家族の覚える恐怖と絶望感は、並大抵のものではないだろう。

しかも、この病の治療には、他にも問題点がある。

(1)精神科病院への入院治療(いわゆる「閉鎖病棟」入り)では、しばしば患者の人権が蔑ろされ、虐待を受けるなどの問題が発生し、その不安は、今現在であっても完全に払拭されているわけではない。
閉鎖病棟は、世間の目の届かない、一種の「ブラックボックス」であり、ときどき虐待事案の報告される「高齢者介護施設」などより、遥かに世間から隔絶した特殊空間である。

(2)統合失調症に対する、世間一般の「差別・偏見」が、今も根強く残っている。

以上二点のうち、(1)については、本作の中でも触れられている。
姉の死後、父に「どうして、お姉ちゃんを入院させなかったの? 精神病院を信用できなかったということもあったの?」というような尋ね方をした息子(本作監督)に、老いた父は、それでも「そういうことではない」と否定していた。

もちろん、娘を入院させるとなれば、この医師である父ならば、ベストな病院を探し出してきて、そこで治療を受けさせたであろう。
だが、それをしなかったのは、そもそも「入院させる」という選択肢が、彼には無かったからではないだろうか。言い換えれば「家から出して、統合失調症の娘を他人の目に晒す」という選択肢は無かった、ということだったのではないか。

そしてその理由とは、多くの人が考えるであろう、「父の知的エリートとしてのプライド」や「世間体」といったことではなく、いや、それもあっただろうが、それだけではなかったはずなのだ。

娘の病気が、「うつ病」のような、比較的罹患者の多い「精神病」であり、世間の印象もさほど悪くないものであったなら、この父も迷わず「入院治療」だってさせただろうと、私はそう推察する。
では、なぜ「統合失調症」では、それが出来なかったのかと言えば、それは、先に書いたとおり、「統合失調症」の発症には、平たく言えば「発狂した(狂った)」という、強烈な負のイメージが貼り付いており、それは歴史を遡って、「物狂い」や「憑き物」といった「古い恐怖(観念・イメージ)」を、人々に、無意識のうちに思い起こさせるからである。何か「禍々しいもの」がとり憑いた(とり憑かれた)という、強い忌避感を呼び起こす「イメージ」である。
つまり、「統合失調症」には、昔ながらの「恐怖」に由来する、否みがたい「差別」感情が、ハッキリと刻印されており、それがついて回るのだ。

世間の「公式的見解」としては「病者差別」は絶対に許されないことだとなっているから、そうした「差別」の根深さを知っている人でも、あえてそこには触れないようにすることが多い(本作パンフレットに寄せられた識者のコメントも、大筋でその線に沿ったものだ)。
まただからこそ、そうした「差別感情の根深さ」を知らない世代の人たちもいる。そのため彼らは、他の病気と同じように考えて、「病気ならば、医療につなぐのが当然」などと、簡単に言ってしまえもするのである。

「病気ならば、医療につなぐのが当然」、そして「病者差別は絶対に許されない」というのも、言うまでもない、社会的な「常識」であろう。
一一だが、あなたは、「統合失調症患者」を、あるいは「その家族」を、本当に差別したりはしないのだろうか?

例えば、本作の監督である藤野知明は、果たして既婚者なのか? それとも、独身なのか?

(藤野知明監督)

この映画では、そのあたりについては、何も触れられていないけれど、私は、まず間違いなく彼は「独身」だと思う。
というのも、身内に「統合失調症患者がいる」というのは、結婚においては、極めて大きな「障害」となるからである。そして、言うまでもなくその理由とは、「生まれてくる子供に、そうした遺伝形質が引き継がれては困る」と、そう考えられてしまうためだ。

では、ここで再びあなたに問おう。
あなたの目の前に、同じように魅力的な性格と外見を持った「異性(または同性)」が2人いて、あなたは、そのどちらも同じ程度に好きだし、相手も同じ程度に好いてくれている場合、もしも片方が「健康」そのものであり、もう一方が「病弱」であったなら、あなたは、結婚相手として、どちらを選ぶだろうか?

その答は、もはや聞くまでもないことだろう。間違いなく多くの人は、「健康」な方を選ぶのである。

無論、中には、相手の「病弱」に同情して、「あえて」病弱者の方を選ぶような「奇特な人」もいるだろう。
だだ、そういう選択は、「あえて」なされるものだし、そんな人が「奇特な人」だと考えられるのも、大半の者が、そんな「困難の予想される選択」を、あえて選ぶことはしないからである。
一一つまり、大半の者は「普通に」、健康な人の方を選ぶのである。あえて、結婚後の苦労を引き受けようとする者など、いないに等しいし、その点では、私自身もそうなのだ。

したがって、単に「健康・病弱」というだけでも、私たちはそこに「差別」を設けてしまう。
「差別はいけないこと」だと重々承知しているし、まして病は当人の責任ではないのだから「病者差別」がいけないこともわかっている。

一一しかし、それでも私たちは、結婚相手として、「健康な人」と「病弱な人」のどちらかを選べと言われれば、まず間違いなく「健康な人」を選ぶだろう。
これは、同じ「幸福」という目的地を目指すのに、「安全な道」と「危険な道」の、どちらかを選べと言われれば、それ以外の条件が同じなのなら、大半の人は躊躇なく「安全な道」を選ぶというのと、同じようなことでしかない。
つまり、普通は誰だって、「リスク」を冒したくないのだ。

そして、私たちが「リスクを冒したくない」と考えるのは、無論、「生物としての生存本能」からなのである。

例えば、他が同じ条件で、自分の結婚相手として「美人(イケメン)」と「不美人(醜男)」のどちらかを選べと言われれば、普通大半の人は、前者を選ぶだろう。

これは、最近では「ルッキズム(外見主義)」と呼ばれ、「差別」の一種だとされることも多いけれども、しかし「ルッキズム」の問題は、単なる「社会倫理」の問題では済まないからこそ、話は簡単ではないのだ。

私たちが「美人」の方を選ぶのは、それが「美しい」からではなく、「健康な方が、美しく見える」ように、「本能」としてプログラムされているからなのである。

もちろん、「美人が必ず健康であり、健康な子孫を残してくれる」とは限らないのだが、その「蓋然性」が高いと「進化論的にプログラムされている」からこそ、私たちは「個人差」こそあれ、「美しい」と感じられるものを選んでしまう。
言い換えれば、「歪んだもの」や「醜いもの」は、人間であれ、その他の物であれ、本能的に「危険信号としての嫌悪」を感じて避けるという、自己防衛システムが仕込まれているのだ。

だから、「人を外見で判断してはいけない」とか「人を外見で差別してはいけない」という「社会倫理」や「社会規範」を頭で理解していても、私たちは「本能的」に、「美しいもの」や「安全そうなもの」を選んでしまう。

私たちは、「理性を司る大脳の新皮質」の下に「本能を司る旧皮質」を抱えたままであり、どちらがより強力なのかと言えば、しばしばそれは、「生存戦略としての本能」を司る「旧皮質」の方でなのだ。
時に「新皮質の暴走」による「自殺行為」を選ぶこともあるにはあるが、それは、基本的には「例外」であり、「生物」としては、「逸脱行動(異常)」に類することなのである。

実際、私たちが、テレビや映画で見る俳優やタレントに「美男・美女」を求めるのは、それが私たちの「本能的な快楽中枢を刺激する」からで、私たちは「外見で人を差別するのは悪である」という「大脳の新皮質的な、道徳的社会規範」に、完全に従い切るのは「ほとんど不可能」だと言っても、決して過言ではないのだ。

だから、私たちが「統合失調症患者」の「理解不能な言動」に、「恐怖」や「嫌悪」を覚えるのも、「本能的に正常な反応」であって、それを完全に避けることは「不可能」なのだ。
だがまた私たちは、「大脳に新皮質を持ち、理性を持つ生物たる人間」だからこそ、そうした「本能的な反応」に完全に流されることのないよう「理性」と「意志」を働かせるのだが、それで「恐怖」や「嫌悪」を感じなくなるのかと言えば、そういうことではないのである。

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つまり、私がここで言いたいのは、本作監督の父が、娘の「統合失調症」の発症にあたって、娘を医療に繋ごうとしなかったことの根底には、「理性」だけでは対抗し切れない、圧倒的に不条理な力をそこに感じて、それに「恐怖」し、それを「無かったことにしよう」とする「合理化」の心理が働いたのではないか、というのが、まずひとつあるのだ。

「理性の人」であり「医師」であるからこそ、「統合失調症」は、そうした「知恵や医学」だけでは対抗しきれないものであることを知っており、だからこそそこで初めて、彼は「挫折」をした。
あるいは、その初めての「挫折経験の直視」を、人並み以上に恐れたのではないだろうか。

「統合失調症」という病の困難をよく知らない人なら、「病気になれば医療につなぐのが当前」で済むのだろうが、「医療の限界」を知っていたからこそ、この完璧主義の父は、娘の発病を「無かったことにしようとした」のではないか。人並み以上の「敗北感」や「無力感」の前に、一種の「現実逃避」を選んでしまったのではなかったか。

父が娘の精神科治療を認めなかった、もうひとつの大きな理由は、すでに少し触れた「差別」の問題であろう。

現代の言葉で言えば「統合失調症」ということで、言葉上での「無害化」がなされているとはいえ、それは、昔の人が「本能的」にそう理解した「物狂い」であり「憑き物」と同じものである。
「どうして、この人が、こんなことになってしまったのか?」という疑問に、正確に答えることは、今でも誰にもできない。だから怖い。

そして、怖いからこそ、「関わりたくない」「避けたい」「他人事と考えたい」というのは、私たちが、「差別」というのは「他人がすること」だと思いがちなのと同じ、自己防衛的な心理機制なのであろう。
それは、自分とは関わりのないものであり、自分だけは安全であると、私たちはそう思いたいものなのである。そのように出来ているのだ。

だが、そうした意識が「病者差別」を生むのであり、その典型的な対象が「統合失調症」なのだ。
なぜなら、最初に書いたとおり「統合失調症」の場合は、「風邪」や「癌」とも違えば、「うつ病」とは違って、

(1)完全治癒が見込めない。
(2)患者数が少ない。あるいは、表沙汰になりにくい。

ということがあるからだ。

つまり、普通は関わり合いになることのないものなのだけれど、しかし、いったん関わり合いになってしまうと、それは生涯離れてはくれない「忌むべきもの」ものなのである。だから「避けてしまう」し、その結果が「差別」と呼ばれることにもなる。

一一このように、「統合失調症」患者に対する差別は、きわめて根深いものであり、「理屈」で否定しても、どうなるものでもないということを、頭の良い父は重々知っていた。
だからこそ、まるで島崎藤村『破壊』の主人公・丑松の、その父親のように「隠せ!」と言ったのではないだろうか。
所詮、世間は、表面的な同情を寄せてはくれても、それを忌避する気持ちまで捨てられるわけではないのだから、と。

たぶん、監督の父は、娘の「統合失調症」の発症を知って「これで、この子の一生は決まってしまった。まともなところへの就職もできなければ、結婚もできないし、子を持つこともできない」と、そう考えたのではないだろうか。

こうした思いを抱くことに対し、「そんなことはない。統合失調症の患者だった人だって、就職して当たり前の社会生活を送っている人は多いし、結婚して、子供をなしている人も大勢いる」と、そう反論することは可能だろう。
だが、「では、あなたが結婚してくれるのか?」と問い返されて「はい、します」と言える人がどれだけいるだろう。

(入院治療を経て姉の病状はかなり回復し、日常会話も十分に可能になった。しかし、この後も妄想が出ることはあった。この映像は、父娘で近所で開催された小さな花火大会の様子を見ている様子。「もっと早く、こう出来なかったのか」と思わずにはいられない)

したがって、そんな「私たち」が口にするそうした言葉は、患者の父には、所詮「気休めの綺麗事」にしか聞こえないだろう。
それは「親切などこかの誰かが雇ってもくれれば、どこかの誰かが結婚してくれるかもしれない」というような、当てにならない話であって、「あなたがこの娘の生涯面倒みてくれるとか、結婚してくれるという話ではないのでしょう?」と、そう問い返されたら、ぐうの音も出ないのではないだろうか。

だから、この父が「娘を、死ぬまで家で面倒を見よう」と考えたとしても、それは何ら不思議なことではないのだ。
頭が良くて「先が見え」「他人の本音を見透かしてしまう」人だからこそ、先回りをして、すべてを自分で抱え込んでしまったのではないだろうか。

そして、息子には言わなかっただろうし、息子も問わなかったのだろうが、この父は、息子に対して「お姉ちゃんが統合失調症だとなれば、お姉ちゃんが結婚できないだけでなく、お前だって結婚できないんだぞ。それでもいいのか? 私たちが、孫の顔を見られないというのは、諦めもできるだろう。だが、お前までが、普通の人生を歩めなくなってしまうのは、親として認め難いことなのだ」と、そんな思いもあったのではないだろうか。

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本作については、「気安く論評できるような作品ではない」というのは、当たり前の話である。

だが、興味本位だか何だかは知らないが、見るだけ見ておいて「気安く語れない」で済ませてしまうのも、一種の「自己防衛的な偽善」なのではないだろうか。

だから私は、自分に書けるだけのことは書いたのだし、批判に対しては真摯に耳を傾ける用意もある。
だが、そこまで突っ込んで議論する覚悟のある人が、それほど多くはないだろうとも思い、その点で、この映画に登場した「父親」に同情しもするから、このようなものを書いたのだ。

私たちにできるのは、せいぜい想像力を働かせて、彼らの「痛み」を共有することなのであろう。
そして、それをするためには「語る」ことを諦めない、ということなのではないだろうか。

言葉の届かない相手に、それでも、少しでも、いつかは、届くかもしれないという、ささやかな可能性に賭けて、言葉を発し続け、呼びかけ続けるしかないのではないだろうか。

この映画に応答する方法とは、それしかないように、私には思えるのである。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/どうすればよかったか%3F

(2025年1月12日)



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