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ミシェル・ド・セルトー 『日常的実践のポイエティーク』 : 〈反権威〉という誤認・イエズス会士セルトー

書評:ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫)

本書邦訳単行本版の読者に分かりにくかったのは仕方ないとして、文庫版に付されて宗教学者・渡辺優の解説によって、日本人読者のセルトー観も、かなり修正されるのではないだろうか。

どういう点かというと、セルトーが「カトリック」であり「イエズス会士」であることの、重要性だ。

本書文庫版の帯には、次のような惹句が踊る。

『〈なんとかやっていく〉技芸』
『読むこと、歩行、レトリック……。秩序に抗う、無名の人びとの戦術を描く。』

また、カバー背面の紹介文は、次のとおりだ。

『読むこと、歩行、言い回し、職場での隠れ作業……。それらは押しつけられた秩序を相手取って狡知をめぐらし、従いながらも「なんとかやっていく」無名の者の技芸である。好機を捉え、ブリコラージュする、弱者の戦術なのだ一一。科学的・合理的な近代の知の領域から追放され、見落とされた日常的実践とはどんなものか。フーコー、ブルデューをはじめ人文社会諸科学を横断しつつ、狂人、潜在意識、迷信といった「他なるもの」として一瞬姿を現すその痕跡を、科学的に解釈するのとは別のやり方で示そうとする。近代以降の知のあり方を見直す、それ自体実践的なテクスト。』

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こうした紹介文を読めば、ほとんどの日本人読者は、著者が「近代的な学問知の権威性」に対して「日常」「生活者」「無名者」「弱者」といった「世俗」「非権威」「非アカデミズム」といった「権威に対する他者」の立場から、「知の再検討」を行なっている人だと理解するのは、ごく自然なことだろう。
少なくとも、私の場合は、著者セルトーについての予備知識を持たないまま、こうした紹介文だけで「庶民的生活者の側に立って、知の権威に抗う知の人」の手になる本だと思って、本書を手に取った。

ところが、本書(全14章プラス1)の冒頭から最終盤の第13章に至るまで、終始「違和感」に付きまとわれた。
いや、端的に言えば、著者セルトーの書き方は、いかにも「ポストモダン思想家の、文学的かつ高踏的文体」によるものであって、ぜんぜん「庶民的」あるいは「世俗的」ではなかったのだ。これのどこが、知の権威に抗っていると言うのか。一一つまり、「看板に偽りあり」としか、私には思えなかったのである。

だが、前記のとおり第13章「信じること/信じさせること」に入って気づいた。「この人は、カトリックではないか」と。
と言うのも、この第13章で語られているのは、いかにも一昔前のカトリックらしい「反近代」「反科学」「反左翼」だったからである(Wikipedia「誤謬表」参照)。それに何と言っても、フランスはカトリック国だ。一一そう気づいて、ネット検索してみると、案の定であった。

『ミシェル・ド・セルトー(Michel de Certeau, 1925年 - 1986年1月9日)は、フランスの歴史家、社会理論家、哲学者。サヴォワ県に生まれ、1950年にイエズス会士に、1986年に他界するまでカトリック教会の司祭を務めた。パリ・カトリック学院、パリ第7大学、パリ第8大学で教えたのち、カリフォルニア大学サンディエゴ校教授、パリ社会科学高等研究学院教授を歴任。1986年にパリで没する。』(WIKIpedia「ミシェル・ド・セルトー

そうか、「カトリック」であるだけではなく「イエズス会士」だったのかと、私は膝を打ったのである。

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(イエズス会の紋章)

非クリスチャンの日本人は、「イエズス会士」と言われてもピンとは来ないだろうが、私は趣味でキリスト教を研究している人間なので、「イエズス会士」がカトリックの「知的戦闘部隊」だということをよく知っていた。

『イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societas Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。耶穌会(やそかい)、ジェズイット、ジエスイット(Jesuit)派、教団とも。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にローマ教皇パウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。なおイエズスは、中世ラテン語による Iesus(イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記である。』(前同)

前記のとおり、フランシスコ・ザビエルは、日本に最初にキリスト教を持ち込んだ人として日本では有名だが、要は、イエズス会士として、世界宣教の最前線にいた人だ。

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一方、イグナチオ・デ・ロヨラは、もともと武人であったが、アッシジのフランチェスコの生き方に影響され、修道士となり、その武人的な精神性重視の立場から、信仰における「霊性」重視し、霊を整える作法を説いた『霊操』の著者として知られている。

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こうした人たちによって設立され、カトリック教会に承認された「イエズス会」とは、しかし、歴史的に次のような面白い特徴を有している。

『イエズス会が創立されたのは対抗宗教改革(カトリック教会の組織を建て直してプロテスタントの教勢拡大を食い止めようとした運動)の始まる直前であった。「イエズス会がプロテスタントに対抗して創設された」と言われており、教皇に対する忠実というイエズス会の精神から、会員たちは活動を通して人々にカトリック信仰を堅持させることに成功した。あくまで誇張した表現ではあるが、ロヨラは教皇への忠実を以下のように表現する。
 「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」
教皇への服従を唱えながらも、ロヨラと初期の会員たちは当時のカトリック教会には改革と刷新の必要があることを十分に理解していた。イエズス会員たちはプロテスタントへの攻撃などという表面的なことでなく、まずカトリック教会の内部に目を向けることの重要性を認識しており、教会にはびこる汚職、不正、霊的倦怠を激しく批判した。その結果、教皇への忠誠を誓うイエズス会員たちが教皇や教会の高位聖職者たちと揉め事を起こすという皮肉な事態に陥ることもあった。』(前同)

つまり、イエズス会士というのは、当時、「反近代」「反科学」を唱えた、露骨に保守的な「カトリック教会」の側に属し、それに忠誠を誓いながらも、「反近代」「反科学」のために、近代的な学知を身につけた(「己を知り敵を知れば百戦危うからず」の)「カトリックの知的戦闘集団」だったのである。

しかし、Wikipediaの記載にもあるとおり『教皇への忠誠を誓うイエズス会員たちが教皇や教会の高位聖職者たちと揉め事を起こすという皮肉な事態に陥ることもあった。』一一ここが重要なのだ。
彼らは「知的」であり、かつ「霊的な高さ」を求めたがゆえに、「世俗」との関係を重視する「教会」と対立することも多く、その結果、1773年にいったんは解散を命じられたりもしている(活動再開の認可が下りたのは、41年後の1814年)。

こうしたことを踏まえた上で、話を本書の著者セルトーに戻せば、単行本版解説者・今村仁司によると、

『セルトーの本来の学問的フィールドは宗教史であるが、彼が取り組む宗教現象は教会や宗教的教義ではなくて、公認の宗教史からは排除され抑圧されて沈黙してしまっている宗教現象である。名もなく、言葉もなく、歴史の地下に埋もれてしまっている人々の宗教的心性こそセルトーが出かけていたものであった。』(文庫版・P502)

さらに、文庫版解説者・渡辺優によると、

『 セルトーの本領は神秘主義の歴史をはじめとする宗教史研究にあった。しかし、彼の宗教史記述もまた、「宗教」という固有の場をはるかに越え出てゆく射程をもっていた。』(P540)

『彼の神秘主義論は、神秘主義に超歴史的・超言語的な体験的本質を求め、古今東西の宗教伝統に普遍的なものとみなしてきた従来の研究の趨勢を根本から問いなおし、神秘主義(la mystique)をまずは近世西欧に出現した歴史的思潮と捉え、その形象の変遷を追うという新たな視点を提起した。また、彼のキリスト教論は、教会制度という伝統をまさしく特殊歴史的な一形態として相対化するものでもあった。そのためにイエズス会士、カトリック神学者としての地位を危うくすることもあった彼が、最晩年に取り組んだテーマは「信じる」という営みで営みだった。』(P541)

つまり、平たく言えば、セルトーは、「神との直接体験」を目指す修道院の特権的な伝統に連なる、ロヨラ直系の「神秘主義」キリスト者だったのだ。
だが、カトリック教会の「保守的正統派」からすれば、それはほとんど「異端」だったのである。

事実、ロヨラも1548年に『霊操』の決定版が出版された際、同書の内容に関して、ローマの異端審問所で取り調べを受けている。
つまり「カトリック教会」は、教会や教皇の頭越しに、個人が直截に神とつながろうとする「修道院的神秘主義の伝統」には、教会の権威を蔑ろにするものとして、常に疑いの目を向けていた。ただ、彼らの個人的「霊性」が教会に従属し、教会に献身するものである場合にだけ(要は、役に立ちかぎりにおいて)認められていたのである。
だから、ロヨラ直系のセルトーによる『教会制度という伝統をまさしく特殊歴史的な一形態として相対化する』教会論というものは、ほとんど「異端」の説であり、セルトーの生きた現代ならばせいぜい『イエズス会士、カトリック神学者としての地位を危うくする』程度のことであったが、ひと昔前なら「破門」「焚刑」もあり得たような、きわどい話なのである。

したがって、セルトーが戦っていた相手というのは、実のところ、私たち「世俗人」が考えるような「知の権威=学問知」といった「抽象的なもの」ではなく、まさに「神信仰」の形を強制する「伝統的・保守的な教会による、信仰の独占体制」だったのだ(「信じること/信じさせること」)。
だからこそ『読むこと、歩行、言い回し、職場での隠れ作業……。それらは押しつけられた秩序を相手取って狡知をめぐらし、従いながらも「なんとかやっていく」無名の者の技芸である。好機を捉え、ブリコラージュする、弱者の戦術なのだ一一。』ということになったのである。

言い換えればこれは「カトリック教会内での、神学的かつ政治的な党派闘争」であって、「世俗」とは直接には関係のない話なのだ。
ただ、セルトーは「世界宣教」の最前線に立ってきたイエズス会の伝統である「信仰の土着化」的な発想で、「信仰の保守的形式主義」を奉じる「教会の権威」に対抗した、ということなのである(「信仰の土着化」とは、布教した土地の文化に合わせて、信仰の形式に工夫を凝らす、柔軟性のある適応主義宣教を言う。もちろん、こうした現実主義・現地主義は、保守派原理主義者からは攻撃された)。

しかしまた、このようなわけで、セルトーは、いわゆる「庶民派のリベラルな知識人」ではなかった
彼は、あくまでも「カトリック司祭」で、「信仰」至上主義という点では、「教会」と同じ立場に立っていたから、いくら最先端の知識人であったとしても、基本的な考え方は「反近代」「反科学」「反左翼」だったのであり、だからこそ、なんとか「イエズス会士」「カトリック神学者」としての、首も繋がっていたのである。

一一そして、これこそが、セルトーの限界だったのだ。

私が、セルトーの文章に「反庶民的」なものを感じたのは、彼の文体が「東方の蛮国について語る、宣教師の口ぶり」に似ていたからだ。
例えば、フランシスコ・ザビエルは、書簡の中で日本人について、次のように報告している。

『キリスト教以外の宗教を信仰する民族の中で日本人に勝てる他の民族はいない。なぜなら、彼らの話し方はとても丁寧だし、そのほとんどが悪気のない優しい人々であり、名誉の重んじた素晴らしい人々である。何よりも名誉を大事にする。彼らのほとんどが貧しい人々である。たとえ身分の高い人が貧しくても、身分の低い人に軽蔑はされないのである。』(刀剣杉田「外国人の見た戦国時代の日本」より)

たしかにザビエルは、日本人を高く評価した。しかしそれは、カトリック信仰という絶対的優位を自明の前提としての、東方の蛮人を「意外に、文化的であり、これなら宣教できそうだ」という「上から目線」のものであり、「対等な人間」として見てもいなければ、「異なった文化の対等性」を理解してのものでもなかったというのは、もはや明らかであろう。

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(上は、南蛮屏風に描かれたイエズス会士とフランシスコ会士。黒衣がイエズス会、灰衣がフランシスコ会。
下の左は、映画『薔薇の名前』で、架空のフランシスコ会士・バスカヴィルのウィリアムを演じた、ショーン・コネリー)

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同様に、イエズス会士セルトーも、本質的には「カトリック信仰の権威=神の権威」の側から書いているからこそ、彼の文章には「上から目線の鼻持ちならなさ」が漂うし、またそれに気づかない人というのは、同じく「知識人として、庶民を上から見ている(見ることのできる優越的立場にいると勘違いしている)人たち」なのである。

ともあれ、セルトーは自明の大前提として、自身を「救う側の人間」と考え、「無信仰の庶民」を「救われるべき存在」だと考えていた。
そうした「神の権威」を背負った「上から目線」は、いくら「日常」「生活者」「無名者」「弱者」といった「非アカデミズム」の立場を強調しようと、本質的には「権威主義的」なものでしかないし、おのずと「権威的な文体」として表れてしまっていたのである。

こうした、セルトーの「カトリックとしての立場」の重要性を、はっきりと指摘したのは、文庫解説者の渡辺優だけだと言ってもいいであろう。
単行本版解説者の今村仁司は、そのあたり(カトリック教会内の鍔迫り合いや対世俗意識)を「機微に触れる部分」として、軽く流すに止めているし、翻訳者の山田登代子いたっては十分に理解してはいないようで、セルトーへの共感は、もっぱらセルトーの「俗に手を差し伸べる」という、表面的に優しげな部分にのみあったようだ。

しかしまた、文庫解説者の渡辺優だけが、セルトーの「カトリック」としての立場の重要性をはっきりと指摘し得たのは、何よりも渡辺が「キリスト教神秘主義」の研究者だからで、彼のセルトーに対する手放しの賞賛は、自身の研究における守備範囲への賞賛(=その重要性のアピール)でもあって、必ずしも客観的なものとは言えないのである。

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つまり、本書の「帯文」や「紹介文」に見られるうようなセルトー紹介は、セルトーの信仰的立場を半ば隠そうとした、「日本的」に偏ったものであり、ある意味では、ポイントを外した過大評価だと言えるだろう
キリスト教圏の読者であれば、セルトーが「カトリック」であり「イエズス会士」であることの意味を理解した上で、彼の「日常」「生活者」「無名者」「弱者」といった「非アカデミズム」的な立場が、それそのものではなく、「対教会」的なギリギリの表現であったことに気づいただろう。

ところが、非キリスト教国である日本では、そういう「宗教」的な本質部分を前面に出しては、商品として売りにくいと考えたのか、なるべく「非宗教的」に「普遍的な価値を持つもの」として売り込んでいるのである。
しかしこれは、セルトーに対しても、日本人読者に対しても、不誠実であろう。

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(ミシェル・ド・セルトー)

セルトーの「カトリック」性の重要性に、あるいは、単純に「反権威」とは言い難いその本質に、渡辺以外、本書邦訳版出版関係者の誰も気づかなかったとは、私は思わない。
なのに、口を揃えてセルトーの「一般性」の部分ばかりを強調することで、彼の学問的営為を、世俗的かつ通俗的な「反権威の物語」に回収するというのは、いかにも欺瞞的だ。

セルトーが、もっと、その個人的な本質において読まれ、語られることこそが、本当のセルトー需要であり評価であるし、私はそうした客観的評価の広がることを期待したい。

「信仰と学問の矛盾相克」を抱え「信じることの困難」を密かに抱えた彼の「信仰と学問」が、おのずと「不徹底で不完全」なものであったとしても、また日本では「一般ウケしない」ものではあれ、彼の「命がけの信仰」を、邦訳版でも、もっともっと尊重すべきだったのではないだろうか。

初出:2021年3月23日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年 4月10日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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