竹田昼 『ヒャッケンマワリ』 : 内田百閒という人
書評:竹田昼『ヒャッケンマワリ』(白泉社・楽園コミックス)
内田百閒という小説家をご存知だろうか。
もちろん、相応の年齢に達した読書家ならご存知だろうが、若い人だとどうだろうかなどと、つい心配してしまう。
要は、若い人にも読んでほしいし、忘れられてほしくない作家のひとりなのだ。
大雑把に言うと、内田百閒には、『冥途』などの小説と、『ノラや』や『阿房列車』などのエッセイがある。そして、そのどちらもが、熱心なファンを持っている。
小説家が小説とエッセイを書くのなんて当たり前だと言われそうだが、そうではない。
今の小説家は、滅多なことではエッセイ集なんか出せない。かなり実績を積んで(つまり、売れて)、ベテランクラスになってから、それまであちこちに書き散らした短文を集めて、エッセイ集にしてもらう、という感じで、それを読むのは基本的に、その小説家の小説が好きなファンに限られている。
小説は読まないが、この人のエッセイが好きだから読む、というような読まれ方は、ほとんど無くなってしまったと言って良いだろう。小説がエンタメ化したせいで、気楽に読めるエッセイの需要が減ったのかもしれない。また、エッセイなら、素人のそれも含めて、ネットでいくらでも無料で読めるのだから、そんなものを本にしても売れない、ということなのかもしれない。
ともあれ、エッセイ専門ではなかなか食ってはいけなくなってしまい、そういうエッセイの達人的な人が、世に出にくくなったのかも知らない。いくらうまくも、売れないものは「商品」にはならないのだ。
その点、「小説といえば、まず文学だ」というのが当たり前であり、「大衆小説」が「おんな子供の読み物」だと見下されていた時代には、「純文学作家の書くエッセイ」というのは、「息抜き」として気楽に読め、重宝されもした。
「何を読んでるの?」と尋ねられて「江戸川乱歩の『陰獣』だよ」とは答えにくかった時代には、「芥川の随筆(エッセイ)だよ」と答えれば、体面も保てたのである。
だから純文学誌も、そうした読者向けに、純文学作家たちにエッセイを書かせもした。純文学誌だって、重厚な作品ばかりが並んでいたのでは、人間の本音として、さすがに厳しかったということなのであろう。
ともあれ、内田百閒の場合、小説の方は読まなくても、エッセイは読むという読者が少なからずいて、それもかなり熱心な読者だ。
なぜそうなるのかと言えば、内田百閒のエッセイは、テーマが、わりとハッキリしたものが多いからだ。
例えば、要はペットエッセイである『ノラや』とか、鉄道エッセイである『阿房列車』など、今なら、ネコ好きや鉄オタが喜ぶ、言うなればマニア向けのエッセイを、まだそうしたジャンルなど無かった時代に書いたのだ。その道の先駆者的な書き手だったのである。
そんなわけだから、例えばネコ好きで、多少なりとも本を読む人なら、笙野頼子や小谷野敦でもかまわないが、まずは古典として内田百閒は読んでいるだろうし、読んでおくべきであろう。
「古典」だからといって、小難しいことが書いてあるわけではない。むしろ、著者の人柄がとてもよく滲み出たエッセイであるからこそ、それは「文学」となり得ているのである。
一一などと、確信ありげに書いているが、私は、内田百閒のエッセイをそれほど読んではいないし、どちらかと言えば、小説の方のファンである。
しかも、文学の師である夏目漱石の『夢十夜』直系の「幻想小説」が好きだ。『冥途』の初版本も持っているし、これは先日来の蔵書整理でも手放さなかった。
ま、それはともかく、内田百閒の場合、小説が本業だとは言え、エッセイも決して余技とは言えない。エッセイもまた、間違いなく百閒文学であり、熱心なファンを持っているのである。
そして、「冥途」などの「幻想小説」も含め、日本の純文学の王道をゆく百閒の小説はもとより、一見したところ、軽い題材を扱って、とぼけた味わいのあるエッセイまでもが内田百閒の文学なのだが、そんな両者のあいだのギャップにこそ、内田百閒という人の「素顔」が、チラリと覗くのだ。
「蜻蛉玉」にも書いているとおりで、エッセイ作品に登場する、「書き手自身」を指すらしい一人称の「私」も、決して「著者そのもの」ではないと、百閒自身、そう明言している。
ある意味これは、当たり前の話でしかないのだが、こう書いてしまうところに、内田百閒いう人の、人間的にナイーブな魅力が表れている。
ぬけぬけと嘘をつくことが出来ないからこそ、嘘をついていますよという前振りをしてから、比較的正直な気持ちや事実を書くのだ。そうしないと書けない。
そこいらにいる、「これが私だ」などと、ぬけぬけと「美化された私」を書くことなど、百閒にはできない。そんな恥ずかしいこと、素面ではできないというのが、百閒先生であり、昔の文学者の、あるいは、日本人の美徳だったのである。無論、全員がそうだったというわけではないのだが。
ともあれ、内田百閒は「演じる人」だったのだ。
だがそれは、「良い人」や「立派な人」や「ざっくばらんで威張らない人」を演じるという、俗ウケを狙った、ありふれた演技ではなく、むしろ「困った人」「変わった人」「変に威張ったりする人」というふうに描かれる。
要は、「変人」の一種として描かれるのだが、だからこそそこには、演じられた姿からも垣間見える、この人の人間的な魅力であり、「可愛らしさ」が、抑制的に滲み出て感じられるから、いくらかの読者は、百閒先生が好きになってしまうのだ。
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さて、本書『ヒャッケンマワリ』は、そんな内田百閒のエッセイを中心に、内田百閒の魅力を語った、一種のエッセイ漫画だと言えるだろう。
内容的には、百閒のエッセイに絵をつけることで漫画化しているから、文字が多くて、かなり読みでがある。
無論これは、百閒の原文の魅力を伝えたいからで、書かれた「内容」を翻訳的に要約し、漫画化して伝えることが、その目的ではないのだ。
つまり本書は、内田百閒のエッセイの「コミカライズ」ではない。
そうではなく、百閒のエッセイにイラストを添えつつ、そのエッセイを書いた内田百閒という人の魅力を伝えるために書かれた、「作家論」漫画とでも呼ぶべきものなのだ。
百閒の文章が、忠実かつ少なからず紹介されるのは、それは批評対象の「引用」であり、それをビィジュアル化した漫画(イラスト)の部分は、単に百閒のエッセイの内容をビジュアル化しただけのものではなく、本書著者である竹田昼の「百閒解釈」であり「理解」を示すものなのだ。
竹田には、百閒のエッセイがこのように見え、内田百閒その人がこのように見えている、ということなのである。
内田百閒という人は、写真で見ると、何やら怖そうな、気難しそうな人に見える。
けれども、百閒の小説を読みエッセイを読んで、そのギャップに気づくと、そのコワモテに隠された内田百閒という人の「人柄」が偲ばれる。
またそれが、本書著者である竹田昼の場合には、「可愛い人」ということだったというのが、本書に描かれた百閒の姿から、ハッキリと窺えるのだ。
本書はずいぶん昔に読んだのを忘れていて、うっかりまた買って読み始め、すぐに「再読」だと気づいたのだが、大半の内容は忘れていた。
特に、本書の後半で紹介される「日本芸術院」に推挙されながら「イヤダカラ、イヤダ」と断ったというのは、とても有名なエピソードなのだが、それをすっかり忘れていたのである。
ここで説明しておかなくてはならないのは、昔の小説家というのは、有名ではあっても貧乏な人が多かった、という事実である。
まして、内田百閒の場合は、自らの借金の仕方を「錬金術」と呼んで、それを楽しんでいるが如きエッセイを書いているほどの貧乏だったから、この「60万円」という年金は、たいへんに魅力的なものではあったはずだ。
日本芸術院の会員になるというのは、芸術家として「公に」認められたということでもあるから、それを「名誉」だと思って、喜んで会員になる人も少なくないだろう。
だが、実のところ昔も今も、断りたいけれど断れないという人だって、少なくはないようなのだ。なぜなら、この年金の魅力には、なかなか勝てないからである。
今なら「60万円」くらい、どうということはないけれど、百閒先生が断った当時の「60万円」と言えば、一一今ならいくらくらいなのか、銭勘定が苦手な私にはよくわからないが、まあ10倍の「600万円」くらいに考えておけば良いだろう。それが、死ぬまで毎年入ってくる「不労所得」なのだから、斯界の「大御所」になって知名度は高くても、すでに「ベストセラー」作家でもなんでもなくなった高齢の芸術家先生たちには、この魅力は無視できないだろうというのは、容易に推察できるところである。
芸術家だって、霞を食って生きているわけではないし、芸術家だって、大半の人は「お金が大好き」だというのは、私たちと何も変わらないのである。
まあ、このあたりの機微は、今や「平均的なサラリーマン以下」の稼ぎしか出ない、大半の小説家の皆さんなどには、切実なものとして理解できるはずだ。
つまり、たとえ日頃は「お上の世話になんかならねえ」などと強がっていたとしても、歳をとって手元不如意になってくれば、やっぱり「年金」は欲しい。公務員がうらやましい。
彼らは、個人営業の自由業者だから、作品が売れなくなったら、いくら有名な作家だとて、現金収入はゼロになってしまうのである。
だから、戦後に日本共産党員として、不平等な資本主義国家の打倒を図った革命にも共感的であった、左翼作家や評論家たちも、共産党の路線問題で、自ら党を抜けたり、あるいは除名されたりした後は、それでも「お上の世話にはならねえ」と言い続けてはいても、歳をとれば、「日本芸術院の年金」の魅力には勝てなかった。一一そんな人も少なくないのだ。
実際、芸術院の新会員のニュースは、そこそこの大きさで報じられるが、辞退した人のことは、ほとんど報じられない。断るのは勝手だが、それを自慢げに吹聴するのはやめてくれというプレッシャーをかけられるからだろう。
また、「自慢」するためにわざわざ断ったなどという、「三島由紀夫賞を受賞した際の蓮實重彦」みたいに思われるのも業腹だと思う人も少なくないから、辞退者の名が表に出ることは、今となっては無いに等しい。だから、誰も辞退者のことをよく知らないのである。
だが、今年でさえ「5人」もの人が、芸術院入りを辞退しているという事実が示すのは、日本芸術院が所詮は「国家による、芸術家への懐柔・囲い込み装置」であるという、その本質を照らしだしていると言えよう。
戦争になったら「また、ひとつよろしく」みたいなことである。あるいは、「原発行政に対する理解」なんてのも、そうなのかもしれない。言うなれば、著名作家向け「地元交付金」みたいなものだ。
したがって、「日本芸術院」に入会した人たちとは、積極的にお国のために働く気がある人か、貧乏すぎて断れなかった人か、もらえるものは何でももらっておくという人かだと、そうも言えるのである。
で、内田百閒が、どうして日本芸術院を断ったのか、どうして「イヤ」なのか、それは百閒自身も語ってはいない。
だが、内田百閒という作家は、明らかに「イデオロギー」の人ではなかったから、そうした理由(イデオロギー的なもの)から断ったのではなかろう。
私が思うに、むしろ「日本芸術院」というものそのものに「イデオロギー」的なものを感じたから、それが百閒には「イヤ」だったのではなかったか。
たとえば「芸術家だからといって、特別扱いにされたくない」とか「お国に、芸術家の価値を決めてなんか欲しくない」とか、戦争体験者として「なんの裏もなしに、お金をくれるなんてあり得ない」つまり「表沙汰にされないような借金などしたくない。お国に、変な借りなど作りたくない」といった気持ちがあったのではないだろうか。
本書に紹介された「お断りメモ」の内容は、次のとおりである。
これが、百閒の返事を使者として託された、多田基に手渡されたのだ。
そしてこれも、本書で紹介されていることだが、この「お断りメモ」について、小説家の川上弘美は、文庫解説の中で、
という趣旨の感想を書いているそうだ。
要は、頭と尻尾が繋がった「ウロボロスの蛇」のような構造であり、一見、論理的な形式を採りながら、あえてその根拠を明らかにしない構造の、韜晦的な文章になっている、という指摘である。
ちなみに、川上弘美自身は、芸術院会員に推挙されたら、これを受けるのだろうか?
ともあれ、きっぱりと「イヤダカライヤダ」と言い切らないところが、内田百閒らしい韜晦癖だとは言えるだろう。
たぶん百閒は、そういう「イデオロギー的な明確さ」が嫌いなのである。
「自分は、そんな偉い人間にはなりたくない」と思ったから、この時も「とぼけた返事」で、ケムに巻いたのではないだろうか。
私は、目的もなく電車に乗って出かけたくなるような変わり者なのです。
私は、飼っていた猫が、ある日いなくなって以来、涙を止め得なかったような男です。未練がましく「ノラや」という言葉が、口癖にすらなったような男なのです。
だから「偉い芸術家なんかじゃありません」。
内田百閒の魅力とは、ひとつに、そんな「人柄」にあるというのは、間違いないはずである。
(2024年9月8日)
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