健康と幸せ。食べられるものの制限が外れること。
幸せに生きることは皆望んでいるはずなのに、どうしてか外れまくった不自然に決められた規則の中で、色んなことが分からなくなる。『なにが自分からにとっての幸せなのか?』従来分かっていたはずのことが、色んな圧に押し込められているうちに、分からなくなってしまい途方に暮れている。それが多くの現代人だと思う。
私はかつて、体質の問題により食べたいものを食べられなくなった時期があった。
その時は、「高野豆腐、ワカメ、小魚、味噌、野菜、納豆、」のみを食事として摂取し、糖質、脂質をも制限していたため、お米も食べず、調味料は塩のみを使って生活を凌いでいた。(異常食)
恐ろしい食事を続けた先にあったのは、干からびて痩せた身体と、失われた生きる気力だった。
『食べること=生きること』と直結しているため、必要な栄養が補われない体では、生きる力が湧いて来ないのは当然のこと。
過去病に伏せった時期、『食べられること』の幸せをこれでもかと体感した。
食べられるようになった時、これから先もずっと一生、食べたい時に食べたいものを食べられる状態(健康な心身)にすること。それが自分の生きる目標にしようと思った。
紆余曲折を経て、出会った『体の手入れ』により根本から体が生まれ変わるという体感をした。
🔽詳しくは、こちらのページより紹介
現在ではすっかり、あぶらものや、お肉、ジャンクフードにお米はおかわりがデフォルトの食生活だ。
先月からパーティー尽くしだった私の心身は、とても潤い満たされている。
昨日は中華パーティーを開催した。どでか餃子と小籠包、チャーハンに玉子スープ、油淋鶏をテーブルに並べて、満腹まで食事に営んだ。
油淋鶏に私の好きなポテトが添えられていて、分かりやすくテンションが上がった。
外食をしてメニュー表から『どれでも好きなものを選べる』ことの幸せは何にも変え難い。
何度食事を食べても、食べている時に体感する
“生きている”ことの実感は自分を大きく満たす。
中華の次はもれなくスイーツを食しに甘味処へGO
冬は冷えるため、胃腸が弱りやすかった去年までは、ソフトクリームなどととても食べられなかった。そう思うと、いつの間にか基礎体温が上がったことや、胃腸の調子も改善されたことの嬉しさを感じる。
体とは、生きている間ずっと自分と共に過ごすいちばん身近な財産である。
その“今の体の状態”を決めているのは、「これまでの自分」の結果だ。そしてそれらを変えていこうと思うと、「これまでの自分の思考」を挟まず正しい知識を得て、それを実践する必要がある。
食事の制限が外れることが、どれだけ大きな健康と幸せを自分に与えてくれるのか?その体感は何度味わっても計り知れないほどだ。
🔽日常のエッセイ。ドーナツが好きな話。
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