
修学旅行の思い出 その1 高校2年生 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
注意事項
以下に生物的な生理現象に関する内容が含まれています。
受け取り方によっては不愉快に感じられる可能性が有ります。
高校生時代の修学旅行の話しです。
中学生時代に生徒会活動に時間を使いすぎてしまった反省で、高校時代は受験勉強に集中していました。
そして、希望していた超難関校に合格できなかったことに酷くショックを受けていました。心機一転、中学卒業式直後、高校入学前から予備校を受験し、正に心を入れ替えて自己中心的に受験勉強に取り組もうと行動を開始しました。
その辺りは以下を参照頂ければ幸いです。
そんな時代の心の癒やしは、学校前のバス停の所に有った本屋さんで見つけた読み切りの月刊誌の少女マンガ、特に別冊マーガレットでした。
その辺りは以下を参照頂ければ幸いです。
こんなに構成での高校生活の中で、修学旅行は参加必須でしたから予備校を休んでの参加ということになってしまいました。それぐらい予備校での受験勉強は私にとってど真ん中でした。
修学旅行先は定番の広島と長崎。事前学習ということで原爆に関する予備知識も含めて、それなりに知識を整えての訪問でした。
出席できなかった予備校の授業はどうだったんだろうと思いつつの散漫な頭での参加でした。平凡ですが普通の観光よりも、やはり被爆者の生々しい記録が鮮明に心に焼付きました。しかし理解できたのは残念ながら被爆した事実とその悲惨さ、そして天皇の名の元で行われ国民はその一部の人々の暴走を止められなかった*というレベルでした。
高校の授業では日本史は江戸時代迄で明治は初期をちょろっと、世界史に至っては西アジアとヨーロッパに絞っていて、特にオリエントと地中海世界の紀元前15世紀から前6世紀辺りを深く学びました。生徒会活動にのめり込んだ中学校生活でしたのて、当然受験する社会科科目は興味が強かった倫理社会と政治経済を選択していましたし、そもそも受験で現代史は扱わないので仕方なかったかとも思っています。
そのような浅薄な高校生の知識では、事実を受け止める事で精一杯。深く理解するには、定年後、60歳台になってからでした。社会人生活も思いっきり楽しんだので、結構長期間頭の整理を放置していました。(笑)
そしてもう一つ、今でも忘れない修学旅行の思い出が有ります。
その2に続く
注意事項(再)
以下、生物的な生理現象に関する内容が含まれている記述です。受け取り方によっては不愉快に感じられる可能性が有ります。そのため作品を2つに分けました。
蛇足
*「国民はその一部の人々の暴走を止められなかった。」
このことが、人類の大きな課題ですよね。未だに現状を武力で変更しようとする人々を止められないでいます。そもそも生物学的、統計学的には、多様性がある以上確率的にそのようなを人々は常に存在してしまいます。犯罪抑止と同じ様に社会としてそれを止める仕組みを用意するしか有りません。その摂理(せつり、今回の宇宙を支配している物理法則)に対してのソリューション(解決策)は無いという理解で国際連合を始めとする様々な仕組みが用意されましたが、道半ばですよね、
残念。