天に唾す 代議士の本質 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
タイムリーな話題なので…
正に当たり前過ぎて意識しなくなっていることですが、リマインドしたい。
とても差し支えある内容ですが、今の思いを残し、お伝えし変革の切っ掛けになればと思っています。
政倫審【詳細】岸田首相「説明責任 見極めながら処分判断」 現職の首相出席は初 武田 元総務大臣も 2月29日 | NHK | 政治資金
今回問題になっている政治資金に対して代議士さんたちが過去にこういう動きをせざるを得なかった理由があることを私達有権者は大いに反省すべきだと思うのです。
例えば使途を記載できない様にしてしまったのは何故か。則天去私で、高い志から政治に私財を投入して、財産を失った代議士さんを身近に見てきた私としては複雑な思いです。
予断を持って言うならは、高度経済成長期位までは過去に事件になっているような、例えばロッキード事件の様な所謂裏金が政治には必要な時代もあって…有権者も、それを必要悪と黙認していた…
少なくとも私自身、有権者にはなっていませんでしたが、そういう残念な社会の姿を同時代を生きた人間として見てきました。
その名残りが今も続いて居ると見ます。それでも今の世代の代議士さんの多くは、少なくとも所謂裏金的な使い方はせずに順当な政治活動に使っているものの、政治資金収支報告書不記載という悪習慣、それに伴う脱税という仕組みが見え難い形で残っていたと理解します。
未だに有権者の冠婚葬祭から始まって政治活動とは直接的には無関係な諸事に忙殺されるという構図が、しかもそれを良しとする有権者の存在がこの様な習慣の温床になっているのだと理解しています。
天に唾す
てんにつばきす
天を仰いで唾すれば、その唾は自分の顔面にかかってくるように、人に危害を及ぼそうと考えて、かえって自分が害をこうむることですが、代議士さんを有権者が批判するというのは正にこの言葉が適切な気がしてなりません。
何とも責任感の無いスタンスだと。
代議士という言葉のそもそもの意味から分かること。それは、結局代議士さんていうのは私たちの写し鏡ってことなんですよね。
代議士さんに集(たか)っている方々を今まで目の当たりにして来て、如何なものかと幾度ともなく感じてきた経験からも
私たち国民、有権者の民度を大いに反省する必要が有るかと…
先ずは私たち有権者側の膿を出し切るところから
少なくとも私は政治活動を妨げる様なお願いを代議士さんにはしないというところから始めています。そしてそのスタンスをおすすめしたく筆を取りました。