意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.43 自分で楽器を作る… アナログシンセサイザー 課外活動本格デビューの成果 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。
そこで意識的に自分の殻を壊し生まれて初めての部活·サークル活動に本格参加した話の続編。マイクロマウスに挑戦し網羅的に最先端エレクトロニクス技術を学び
経緯
…………………………………………………………………………………………………………
ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとした選んた駿台予備校が良かった…
駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。
その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。
しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の
意識的に自分の殻を壊す
です。
入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。
意識的に自分の殻を壊す意味で、学業に特化した人生から自分を開放し、生まれて初めて航空宇宙研究会というサークルに入りました。
その辺りはこちらをお楽しみ下さい。
当時、大きく3プロジェクトが有りました。ロケットの燃焼実験、コンピュータの製作、アナログシンセサイザーの製作です。
私はその全てのプロジェクトに参加していました。
ロケットの燃焼実験についてはこちらをお楽しみ下さい。
コンピュータプロジェクト。
私が同時代の学生として黎明期のマイコンの進化を楽しみ尽くした話はこちらをお楽しみ下さい。
そしてその知見を元にベンチャー設立に動いた話はこちらをお楽しみ下さい。
…………………………………………………………………………………………………………
アナログシンセサイザーの製作にも挑戦しました。
そもそもアナログ系のエレクトロニクスは、音楽好き、幼稚園時代にピアノを楽しんでいた頃から始まっていました。
そして小学校の低学年の頃、銀座のソニービルのショールームで聴いたプリアンプSONY TA-2000Fとペアでの音楽の素晴らしさ。そのオーディオ機器の美しさに衝撃を受けました。
端正な機能美が美しいでしょう。
最先端技術、最新の音楽などを総合芸術として楽しむということに覚醒した瞬間でした。
小学生でお金が無かったのでパワーアンプとスピーカーを自作することに。お金がなくシンクロスコープや発振器等は買えずテスターだけで調整して、結局完成したのは高校に入ってから。音の良さと機器としての機能美の再現に数年間費やして作りました。
大学に入って総合芸術として音楽を切り口にオーディオ機器を題材として実験を伴う研究をしていました。
具体的にはこんな感じ…
ディスクリート半導体デバイスが進化して集積回路部品が一般化し、アナログではOPアンプ(オペアンプ)というひとかたまりの回路を集積した電子部品が簡単に入手できるようになりました。レコードプレーヤとプリアンプを揃えてレコードを買うということができるようになった経済力を生かしてプリアンプは独学で回路技術を学び、そのOPアンプを活用して自作しました。
レコードプレーヤは水平を高度に担保する技術の実現は個人では難しく市販品を購入しました。
この様な総合芸術、理学、工学が融合した知的興味に沿った独学の経緯でした。しかし個人レベルでの研究に限界を強く感じるようになっていました。
大学という組織と設備の魅力を背景に、半導体デバイスの基礎としての表面物理学にもハマりって行ったのでした。
当時所属していた航空宇宙研究会のプロジェクトの1つにアナログシンセサイザーの製作というものがありました。楽器というものはプロフェッショナルな方々が丁寧に作り込むという概念を見事に打ち砕くプロジェクトでした。
自分で楽器が作れる
のです。しかも得意なアナログのエレクトロニクスの技術を駆使して。もう夢のような世界。
トワッカーという面白い異名を持つ先輩をリーダーに研究開発が進んでいました。
私も先ずは理論からということで、サークルの部室に有った古本を頼りにアナログシンセサイザーの基礎を学んで行きました。1975年電波科学の特集で東洋電具(現在のローム)のICを使った“ミュージック シンセサイザ”の製作という記事や1976年電子展望に掲載された製作記事などを読み漁りました。1977年のトランジスタ技術に掲載された鍵盤やシンセサイザーキットの広告も参考になりました。
上述の高校生時代の話の様に長い間アナログのオーディオアンプの世界に深く関わっていました。ですから発振とか変調とかといった基礎は、小学校の低学年で誠文堂新光社の子供の科学や初歩のラジオといった雑誌で学んだラジオの技術の知識が役立った感じでした。
またその頃にはローランドのアナログシンセサイザーが低価格を謳(うた)って発売され始めていましたが、学生には手の届く世界では有りませんでした。
その辺りの世の中の動きがよく分かる資料を今回の事前調査で見つけましたのでこちらも参考になさって下さい。私のウル覚えな技術発展の歴史考証の参考にもなりました。
回路設計も固まり自分用に作る目的で開発の進捗に合わせて部品を少しずつ集め集めていた頃、同時にマイコンの知識が大分網羅的になり全体像が掴めた頃に、デジタルシンセサイザーへの移行期だということに気づきました。
アナログで音源やエフェクター等ををいちいち作り込みをしなくてもソフトウェアでプログラムを書いてDAコンバーター(コンピューターで作ったデジタルデータをアナログ信号に変えるもの)で出力すれば良いという世界が来ると確信したのでした。
学生としては結構な投資をしたのですが、理論と設計完了、製作は途中というところでホールドしました。まぁ先輩の製作した完成品を眺めてその代替って感じでしたね。(笑)
オーディオアンプという殻を壊して電子楽器へと飛び出し新しい世界が見えたというお話でした。
蛇足
でも、
運と勘としつこさの人生
投資を止めて正解。デジタルシンセサイザーの時代になるという勘も正解。でこの歳になってしつこさでAIを使った楽曲制作にデビューということに。
超蛇足
ウザいでしょう。大学生時代の話を60歳過ぎても引きずって続きをやる…
でもそれが私なんです。(笑)