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自問とダイアリ

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日々の暮らしの日記。ときどき自問。 それらから気づいたことを書いています。
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記事一覧

noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。

noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。

伝える技術を伸ばしたい。そう思って始めたnote更新の継続。
8月末からだったので、3ヶ月ほどとなる。
そう思い立った経緯についてはこちらをどうぞ。

可能な限り毎日、更新する努力はしているけれど、仕事や育児、我が家に訪れてくれる友人、家族との時間を優先すると最初に決めていたので、実質、平日の毎日更新のような形になっている。けれど、自分ではこれを継続と呼んでいる。

どこかで見た何かの受け売りなん

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いま思うこと。 -「文化にする」を考える -

いま思うこと。 -「文化にする」を考える -

書き出すしかない。一旦、別のことを書こうかと思ったけど、無理だった。
どうやらそこまで、器用ではなかったらしい。薄々感じてはいたけれど。
昨日も一度時間を置くつもりで書き終えたはずだった。けれど、心は正直なのだ。
だから今夜も、「文化にする」を考える。

※前回記事はこちらです。

考えたかった文化

文化といっても様々だ。何千年も伝わるようなものもあれば(あるんだろうか)、とある地域限定のものも

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まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

まつりのあとに -「文化にする」を考える② -

大雨にも見舞われたけれど、無事、イベントが終了した。
片付けもひと段落し、日常へ。天気の回復を待っていた収穫がまた始まった。
息つく暇もないけれど、前回の続き。「文化にする」を考える。

結果から言うと、イベントとしては多くの出展者、出演者、お客様に楽しんでいただけた、良い時間と場所になったのだと思う。SNS上でも多くの反響があり、終わることに関して名残惜しさを感じる声もある。わたしも、15年間こ

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本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。

人生で出会すものごとは、自分主観ではひとつの時間の流れで繋がっているので、どうしても比べてしまうもので。今朝のご飯は、昨日のご飯よりも美味しく炊けたとか、今晩は少し肌寒いなとか。
なぜ急に“比べる“ことの話になったかというと、わたしはよく「どっちが優れているとかではなくって」といった前置きをしていることに最近気がつき、それが妙に気になったから。ここを少し深堀りしてみたい。

比べること自体は、悪い

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「ていねいに生きる」ができない時に。

「ていねいに生きる」ができない時に。

可能な限り、ていねいに生きたいと思っている。
いつから思っているのか忘れたけれど、たぶん、10代前半の頃から。
自分の暮らしに関わる生命や物に対して、誠実でありたいと思っている。

けれどそれができない時も、やはりあって。
にんげんだもの。当たり前だ。

と、知っているのだけど。できない時、どうしても自分を責めてしまう自分がいる。なんでだろう、どうしたら自分を心から認められるのだろうと、何度も思う

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心の豊かさと物の豊かさを比べる罠

心の豊かさと物の豊かさを比べる罠

「豊か」という言葉に魅力を感じるのは、わたしだけではないはずで。
経済的にも、精神的にも、豊かになれるものならなりたいものだ。

という前提で、今日(昨日になってしまっていた)目に入った記事が気になった。

要は、2007年と2023年の世論調査結果を比較した場合、昔はどの年代でも心の豊かさを優先していたが、2023年では30代〜50代は物の豊かさを優先する傾向にある、ということ。そしてそこから、

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愛することを忘れずにいたいと、何度も思い直している。

愛することを忘れずにいたいと、何度も思い直している。

いつの頃からか、気がついたら意識するようにと、心の中に構えていた。
けれど、日々の中でいつの間にか疎かになってしまうこともある。
そしてあるきっかけとともに、また忘れないようにと心に誓う。
そんな“愛“について。

かしこまって言葉にすると照れてしまうような性格ではあるのだけれど、やっぱり大事だなと思うここ最近。この週末はいろいろあった。
いろいろあったけど、中でも特に友人の結婚式。愛を語るにはベ

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他己評価は誤解か、真実か。

他己評価は誤解か、真実か。

“正確な他己評価”なんてものはあるんだろうか。
先日、新しいプロジェクトを考えている時にふと思った。
そのプロジェクトでは活動の評価と蓄積(=信頼)をキーワードとするもので、その評価の際に自己申告と他者の評価(できれば誰も見ていないときの活動への第三者的な視点、神の視点のようなものも加えられないかと考えているのだけれど)をどう判断すべきか、と考えていた。

…なんだかちょっと、普段からすると堅苦し

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”いつの間にか”の毒気

”いつの間にか”の毒気

いつの間にか、煮え切らない心になっていた。
守るべきものが増えていって、日々のあれこれに忙殺されて。などなど、理由はいろいろあるけれど。気づけば心がすっかり燻ってしまっていた。
自分の心を燃やし続けるにはやはり、なにかしらのエネルギーを焚べ続ける必要があるのに、それを怠ってしまっていたのだ。

そうならないために、自分にとってのすべきことは、シンプルなはずで。
考えを書き出し、相手と対話し、行動す

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“らしさ“にまつわる堂々巡り

“らしさ“にまつわる堂々巡り

「高校生らしさ」とか、「あなたらしさ」という言葉は、ときに中身のないまま会話の間を漂い続ける。お互いに、その“らしさ”が分かっていないまま話に至り、どちらもその中身を詰めようとしない場合。高校の教育に関わっていると、そんな場面に時々遭遇する。「高校生らしい視点で、地域の課題を考えてみて」とか、「あなたたちらしい、独自の発想で解決策を考えてみよう」とか。

そもそも“らしさ”ってなんだろう。
また辞

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今日はおやすみ。

今日はおやすみ。

いつからか、休みをとることが苦手だった。
休んでいる間にも、まわりは先に進んでいって、自分だけおいていかれる。
自分には才能がないぶん、努力しないといけない。
それではなにかを成すことなんてできない。
そんなふうに思うからだ。

だから、なにもしない日というのは、体調が悪いときくらいしかない。

けれど、それもどうなんだろうと、最近は思うようになった。

朝から雨が降っていた。
昨日からの熱は下が

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自分はどれだけ、自分のことを知っているだろう

自分はどれだけ、自分のことを知っているだろう

文章を書くことが、自分を見つめ直すきっかけとなることはよくあることで。
わたしの最近の記事だと、こちらでは昔の人生の岐路を思い出し、改めて暮らしに対する想いを確認した。

また昨日のこちらでは、最近思う「自己実現」の在り方についてを、育児という観点から考えてみた。自己実現の理想は、暮らしの変化によって変わるものだと再認識できた。

そうして文章を書きながら、自分を見つめ直して思うこと。自分はどれだ

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育児と自己実現と幸福論

育児と自己実現と幸福論

こどもがまた熱を出した。
先週に続いて今週もだ。
しかも今回の方が、咳や鼻水も出てしんどそう。
日中も元気がない様子で、前回とは全く違う。
まだ小さな子がつらそうな様子を見るのは心が痛む。
早く元気になれよと、鼻水を吸い取る器具で、寝ている我が子の鼻を吸う。

こどもが体調を崩すと、親の予定も崩れてしまう。
我が家の場合は日中は妻がこどもの様子を見てくれることが多いので、どちらかというと妻が大変だ

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負の感情をどう取り扱うか、それだけで人生の豊かさが決まるかもしれない。

負の感情をどう取り扱うか、それだけで人生の豊かさが決まるかもしれない。

人が多く集まる場の管理をするということは、なかなかに難しい。
特に、年齢も性別も好みもバラバラな人々が、偶然集まりそれぞれの暮らしを営むという、キャンプ場という場は、単純で平穏なようでそうでもない。
深夜にトラブルがあり、来てほしいと電話が鳴ることも多々あるのです。
いや、そんなに多くもなかったか。

ただそんな緊急事態、予期せぬ状態の時こそ、人柄がよく出るなと思うのです。人柄と、その時の精神状態

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