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noteを書き始めたら、暮らしを豊かに感じられるようになった。
伝える技術を伸ばしたい。そう思って始めたnote更新の継続。
8月末からだったので、3ヶ月ほどとなる。
そう思い立った経緯についてはこちらをどうぞ。
可能な限り毎日、更新する努力はしているけれど、仕事や育児、我が家に訪れてくれる友人、家族との時間を優先すると最初に決めていたので、実質、平日の毎日更新のような形になっている。けれど、自分ではこれを継続と呼んでいる。
どこかで見た何かの受け売りなん
いま思うこと。 -「文化にする」を考える -
書き出すしかない。一旦、別のことを書こうかと思ったけど、無理だった。
どうやらそこまで、器用ではなかったらしい。薄々感じてはいたけれど。
昨日も一度時間を置くつもりで書き終えたはずだった。けれど、心は正直なのだ。
だから今夜も、「文化にする」を考える。
※前回記事はこちらです。
考えたかった文化
文化といっても様々だ。何千年も伝わるようなものもあれば(あるんだろうか)、とある地域限定のものも
本当は比べられないものを比べて、優劣つけてしまっていなかったっけか。
人生で出会すものごとは、自分主観ではひとつの時間の流れで繋がっているので、どうしても比べてしまうもので。今朝のご飯は、昨日のご飯よりも美味しく炊けたとか、今晩は少し肌寒いなとか。
なぜ急に“比べる“ことの話になったかというと、わたしはよく「どっちが優れているとかではなくって」といった前置きをしていることに最近気がつき、それが妙に気になったから。ここを少し深堀りしてみたい。
比べること自体は、悪い
「ていねいに生きる」ができない時に。
可能な限り、ていねいに生きたいと思っている。
いつから思っているのか忘れたけれど、たぶん、10代前半の頃から。
自分の暮らしに関わる生命や物に対して、誠実でありたいと思っている。
けれどそれができない時も、やはりあって。
にんげんだもの。当たり前だ。
と、知っているのだけど。できない時、どうしても自分を責めてしまう自分がいる。なんでだろう、どうしたら自分を心から認められるのだろうと、何度も思う
心の豊かさと物の豊かさを比べる罠
「豊か」という言葉に魅力を感じるのは、わたしだけではないはずで。
経済的にも、精神的にも、豊かになれるものならなりたいものだ。
という前提で、今日(昨日になってしまっていた)目に入った記事が気になった。
要は、2007年と2023年の世論調査結果を比較した場合、昔はどの年代でも心の豊かさを優先していたが、2023年では30代〜50代は物の豊かさを優先する傾向にある、ということ。そしてそこから、
他己評価は誤解か、真実か。
“正確な他己評価”なんてものはあるんだろうか。
先日、新しいプロジェクトを考えている時にふと思った。
そのプロジェクトでは活動の評価と蓄積(=信頼)をキーワードとするもので、その評価の際に自己申告と他者の評価(できれば誰も見ていないときの活動への第三者的な視点、神の視点のようなものも加えられないかと考えているのだけれど)をどう判断すべきか、と考えていた。
…なんだかちょっと、普段からすると堅苦し