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「できなかった」ばかりを数えるのは、もうやめる。
今年こそはと意気込んで始まった、2025年の1月は、やりたかったことが全くできないまま終わっていった。
この記事を書いていたとき、なんとなく予感はしていた。のだけど。
予感を遥かに超えて「何もできなかった」1月だったと思ってしまった。
そう思うと同時に、本当にそうだったろうかと、ぼんやりと考える。
前半は確かに、体調不良を引きずったままで、うまくいかないことが多かった。
そしてそのまま、こどもの看病、付き添い入院、病室での子育て。
その合間を縫って、妻のお産のサポートと立ち合い。
退院後の仕事復帰と、こどもとのふたり暮らし。
言葉にすれば、たったこれだけ。
入院に体力を奪われ、意気込んでいた仕事での成果はほぼない。
家での暮らしとは離れた場所で過ごし、やりたかったことは、ほとんど手付かずのまま。そこに目を向ければ、やっぱり何もできなかった。
それはそれで、きっと事実で。
けれどそこばかり見ていると、大切なものを見失ってしまう。
もしかすると、命を失う可能性すらある、こどもの入院と妻の出産。
それらを無事終え、みんな元気に家に戻ってくることができた。
それがいったい、どれだけ価値のあることだろうか。
どちらも費用のかかることで、その間、自分はお金を生み出すという意味では、ほとんど何もできていない。大赤字。それもあってヘコんでしまっているのもあるけれど。
本当は、もっともっと、大切なものを守ることができていて、お金には換えられない経験を、いのちを得ることができているはずなのだ。
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できなかった、を数えると、つかれるし、落ち込んでいらいらする。
なんだかそれは、優しくない。
自分に優しくできないと、まわって他の人にも優しくできない。
たしかに、やりたかったことはできていない。
思い描いていたtodoリストなんて、ほぼ全滅。
けれど、急遽あらわれた家族の一大事は、なんとか無事、解決できた。
こればっかりは、父であり、夫である自分にしか果たせない。
できたことを数えて、次へのエネルギーにすればいい。
できなかったことが悔しいなら、挽回していけばいい。
きっとそれだけのこと。
気づいてしまえばそれだけなのに、
頭では理解していたはずなのに。
それでも納得しなければ、心は動かず、体は鈍る。
それが今回、ようやく腑に落ちた。
できなかった、を数えるのをやめること。
それが、「一回休み」を受け入れるために必要なことかもしれない。
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