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私の人生-About My Life

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私が書いてきた記事のうち「私の人生」にまつわる記事をまとめています。
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【自己紹介】私の人生のもくじ

【自己紹介】私の人生のもくじ

〈最終更新日:2024年5月3日〉
※筆者は現在33歳

この記事は、私の自己紹介+もくじ記事であり、フォロワーさんが100名を超えた時に書いた記念記事です。31歳札幌の男性会社員がどんな人生を歩んできたかについてまとめています。

記事内には、私の人生のターニングポイント記事のリンクをいくつか貼っていますので、目次代わりにも使ってみてくださいね。

[0]まずは圧倒的感謝2022年7月2日時点で

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もっと20代を捨てられたかもしれない。

もっと20代を捨てられたかもしれない。

20代は「捨てるための時間」だとあとから気づく。

ふり返ると、私はなんだかんだで「バランス」を重視していたように思う。仕事もほどほど、友だちとの遊びもほどよく、適度な運動をして健康にも気を遣う。まるで全ての分野で平均点を狙ったような生き方。

それは悪いことではない。

もちろん、どちらかというと人よりもほんの少しだけ、仕事に一心不乱に取り組んだ自負がないわけではないけれど、「がむしゃらにがんば

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酔った勢いで。

酔った勢いで。

酔った勢いで「死にたい」と言ってる人に会ったことがない。酔った勢いで笑ってる人ならよく見るし、あと、泣いてる人もたまに見る。

たとえば私の妹が中学生のころ、家にあったワインを妹が間違って飲んでしまったことがあった。いまから20年近く前だ。

妹は気づかないうちに相当な量を飲んでしまったようで、人生初めての酔いがまわったのかおいおいと泣き出した。

泣き出したかと思ったら、兄妹の中で唯一病弱だった

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道なき道も歩ける。

道なき道も歩ける。

なまじ道ばかり歩いてると、道しか歩けなくなる。きのうの15時ごろ、学校終わりの子どもたちが路地を歩いていた。よくある、遊びながら歩いているやつだ。

凍てつく札幌の空気にも負けず、子どもはどこの子、元気の子、風の子、雪の子、どちらの子で遊びながら歩いている。

小さなころ、私は田舎に住んでいたから、田んぼをつっきる電車を見ながら、そのすぐとなりを歩いた。すぐとなりといっても、線路は少し小高い場所に

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私が入ると店が混みだすって言う人。

私が入ると店が混みだすって言う人。

「おっかあがレジに並ぶと、さっきまで誰もいなかったのに、気づいたら後ろにお客さんの列ができるんだよ」

そう言ったのは、私の父で、これを初めて聞いたのは私が小学生高学年のときだったような気がする。

当時は「へぇ〜、おっかあはすげぇなぁ」と言って、ヒジにできたカサブタをポリポリしていたような気がする。

今思えば、父がそう言っていたときの父の年齢は30歳とそこらだったから、子どもである私たちに対し

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100億企業の元カノの教え。

100億企業の元カノの教え。

私のnoteに何度も登場する元カノは社長令嬢であり、いわゆる富裕層であった。

といっても、東証プライムに上場しているような大企業のご令嬢ではない。あくまで北海道という地方の、とある企業のご令嬢である。

その会社は、北海道内のとある業界の覇者であり、グループ売上は100億円を超える。税引前利益がどうなのかは知らない。

元カノのおじいちゃんとおばあちゃんで創業したらしく、当時は元カノのお父さんが

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人生はアコーディオンでしょう?

人生はアコーディオンでしょう?

ピアノも弾けないのに
アコーディオンを選ぶ子どもだった。

小学校のときの学芸発表会(私はこう呼ぶ)、私の学校は偶数学年で劇を、奇数学年では器楽を演奏することになっていた。

偶数学年の劇では『大きなカブ』『マジョリン』『走れメロス』を全員でやり、私はときに村人A、ときに魔法使いB。

高学年でやった『走れメロス』では音響係になって、その場面にふさわしいクラシック音楽を選択して流す、という役目。

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お父さんに似顔絵が渡せなかった。

お父さんに似顔絵が渡せなかった。

母の日に兄妹4人でカレーライスを作ったことがある。たぶん一回きりだったと思うけど。

大人になった今は、母の日になにかを贈るということをやってはいるけど、小さなころは「母の日カルチャー」が我が家にはなかった。

ただ「母の日なんだなぁ」と思ってるだけ。
妹たちはなにかやっていたかもしれないけど。

そういうわけだから、父の日なんて論外。

一家を支える大黒柱なのに、子どもたちから感謝されることがほ

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陰キャが生徒会選挙バトルに圧勝する話。

陰キャが生徒会選挙バトルに圧勝する話。

現在の私は副社長だが、小学5年生のころの私は生徒会副会長だった。きっと私は永遠にトップに立てない男なのかもしれない。

クラスの誰かの「お前が立候補したらおもしろいんじゃね?」という言葉にそそのかされて、クラスの人気者では決してなかった私だが、ノリで副会長に立候補した。

私がいた小学校の場合、生徒会を「書記局」と呼んでいて、その構成メンバーはぜんぶで7人。

・生徒会長は6年生から1人。

・副

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