見出し画像

道なき道も歩ける。

なまじ道ばかり歩いてると、道しか歩けなくなる。きのうの15時ごろ、学校終わりの子どもたちが路地を歩いていた。よくある、遊びながら歩いているやつだ。

凍てつく札幌の空気にも負けず、子どもはどこの子、元気の子、風の子、雪の子、どちらの子で遊びながら歩いている。


小さなころ、私は田舎に住んでいたから、田んぼをつっきる電車を見ながら、そのすぐとなりを歩いた。すぐとなりといっても、線路は少し小高い場所にあったから……いや、いま思うと危ない。

線路の中にはもちろん入らなかったけれど、その脇にある草むら、農業用水が流れる用水路を観察しながら歩いたし、冬になれば電線の高さまでつもる雪の上を歩いた。電線の高さだ。

なつかしいなぁ。


たとえば田んぼに雪がつもると、まっさらな雪景色になる。そこに足を踏み入れる人はだれもいない。道がないから。電線の高さまでたまった雪山にのぼると、眼下にはまっしろな雪景色が広がる。

まっしろだ。このnoteの余白よりも白い。

雪は音もなく降る。風のない日は特に。しずかに、しずかに降る。雪は目的もなく降る。



頭が真っ白になるほどに白い雪景色を、雪山からぼんやり眺めていると、ひとり私はなんだか模様を描きたくなった。あれはおそらく小学校4年生。ナスカの地上絵のような、巨大な模様を雪原に描きたくなった。

やってみよう。

足あともなにもない雪の中をただ歩く。いまどのへんかな、と確認しながら歩く。足音だけが聴こえてくる。雪の擬音としてはズボっでもなく、ザクっでもなく、キシっがよく似合う。この光景を目撃している人は私以外にだれもいない。


15分か30分だろうか。雪の中に足あとで、大きな、ナスカのような絵を描いて、スタート地点にまた戻る。そうして、また雪山にのぼる。きれいな地上絵、ならぬ雪上絵ができているかの確認のためだ。


一度もうまく描けたことがなかった。あれは難しい。古代の人たちは、ナスカにどうやってあんな巨大な絵を描いたんだろう? と思ったか思わないか。


夏はよく木に登り、草むらを走り、岩をのぼり、若木をひっこぬいて剣にして遊んだ。草むらに道はないけれど、繰り返し遊ぶうちに、けもの道のように道ができる。

道なき道の向こう、草むらの中に秘密基地を作って遊んだものだ。夏は夏でいい。


子どものころは、そこに道がなくても道を作って、意味のない遊びをするものだ。




はて、いつからコンクリートの上だけを歩くようになってしまったんだろう。道ばかり歩いていると、道しか歩けなくなる。

いつからなんだろう。

道なき道も歩けるはずなのに、ここには道がないと思って引き返すようになったのは、いつからなんだろう。


いつからなんだろうね。


〈あとがき〉
レールの上を歩くことはどうもいやで、そういうものに反抗しながらここまできた気がします。とはいえ、レールの上を歩かない、というレールもあるみたいで、なんとも難しいところです。札幌はすっかり冬で、零下の中をみんなが歩いています。私の育った町はどうなっているかな。今日も最後までありがとうございました。

【関連】育った町の思い出はこちらも

いいなと思ったら応援しよう!