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親が親なら、子も子だ。「帝政日本」という日本人虐殺魔・・・・・・

オールの小部屋から㉘ 林真理子さんと皇室の将来

4か月前

オールの小部屋から㉔ 林真理子さんと松本清張

7か月前

光田健輔論(82) 栄光の光と影(4)

1か月前

JOG(839) 国民のおばばさま、貞明皇后(上)

JOG(1008) 大正天皇と「平和大国日本」のビジョン

JOG(840) 国民のおばばさま、貞明皇后(下)

#明るいミステリーツアー とは何ぞや?1

秋にふさわしい名画・工芸〜「花鳥風月」展

JOG(843) 聖武天皇 〜 民とともに作った世界最大の大仏

WW2戦時中のDS(Deep State)は天皇の”おかん”!?

2か月前

明治以降に定立されたらしい「天皇家の万世一系」の観念,その古代・封建遺制になる疑似近代的な政治思想の異怪ぶり

【800字コラム】 ラスト・サムライたちの夏(1)

貞明皇后〜大正天皇に嫁いだおてんば黒姫様〜

「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線

1年前

「歴史街道」3月号に書きました

江戸時代の女性天皇のこと

2022年8月に神社で見つけた心に響く言葉

今日の本棚 : 御所ことば

2年前

令和四年八月「生命の言葉」:貞明皇后 此れからが夏本番 ❢ ブログ https://ek0901.hatenablog.com/entry/2022/08/01/074023

2年前

【百年ニュース】1921(大正10)9月4日(日) 皇太子裕仁親王が宮城賢所を礼拝ののち,上野駅より日光に向かう。田母沢御用邸で大正天皇と貞明皇后に帰朝報告。海外巡遊土産として天皇へはステッキを,皇后にはダイヤモンド入り襟飾などを贈進。道中各地で多くの民衆が日章旗とともに奉迎に出て万歳を唱えた。

【百年ニュース】1921(大正10)6月28日(火) 下田歌子が原敬首相を訪問。皇太子裕仁親王の欧州訪問に反対していた母親の貞明皇后は,今や訪問の成功を見て大変満足していると原に伝えた。原はこの時期元老山県有朋だけではなく,皇室の中心的存在の貞明皇后の信頼をも勝ち取った。

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【百年ニュース】1920(大正9)6月7日(月)東京市内小学校91校から選抜された女性教員100名が宮中内紅葉山の御親蚕所を拝観。貞明皇后の発案。坂下門より入城し渋谷徳三郎東京市教員課長が同道し、宮内省皇后宮主事三条公輝男爵と宮中養蚕技師の有泉善三(東京蚕業講習所)の説明を受ける。

【百年ニュース】1921(大正10)5月28日(土) 養蚕家の一瀬益吉が死去,享年55。一瀬は山梨県市川三郷町の養蚕家で,1898(明治31)害虫に強く収穫量も大きい,養蚕に最適なクワ苗木を発見,のち自らの桑園で繁殖させ近隣に配布。品評会でも優等獲得「一瀬桑」として全国に拡大。日本の養蚕業発展に寄与した。

【百年ニュース】1920(大正9)6月4日(金)飯野吉三郎が原敬を訪問。飯野は原にある手紙を見せる。それは貞明皇后が下田歌子に書いた礼状で、飯野の聖旨をまた聞きたい、皇太子外遊には反対、と書かれていた。外遊につき原の真意を糺す飯野に対し原は言質与えず曖昧に返答。

【百年ニュース】1921(大正10)2月23日(水) 皇太子裕仁親王が欧州視察出発を前に伊勢神宮参拝。母親の貞明皇后は欧州視察に反対だが原敬首相が押し切る。また皇太子渡欧も山県の陰謀だとして2月10日頃から右翼・国粋主義者が阻止運動を展開するが特に混乱なく3月3日に出発した。

【百年ニュース】1920(大正9)10月28日(木) 中村雄次郎宮内大臣が原敬首相を訪問。原は皇太子裕仁親王の渡欧に際し,洋食のテーブルマナー教育のほか,しきりに身体を動かす等の動作を矯正する必要あると語る。貞明皇后は引き続き皇太子渡欧に反対だが,徐々に姿勢が軟化。皇后への説得は年明けまで続く。

光田健輔論(83) 栄光の光と影(5)

1か月前

Happy Women's Map 長崎県大村市 知的障害児教育の母 石井 筆子 女史 / Pioneer in Education for children with Intellectual disabilities, Ms. Fudeko Ishii

西太后の諡号に、煕、昭 孝明天皇の称号に、煕 昭和天皇の母、貞明皇后 「正当に評価されてない、貶められてる疑い」の共通性 超残酷説、西太后 九穴から出血説や厠で尻を刺された説、孝明天皇 容姿端麗ではない、とされた貞明皇后 治世中に世界大戦、昭和天皇 晩年は毎日、下血報道

1年前

日本の恩を忘れない | ポーランド孤児と日本人の物語

2年前
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【百年ニュース】1920(大正9)8月4日(水)原敬首相が田母沢御用邸訪問。大正天皇のほか貞明皇后にも拝謁。皇太子裕仁親王の優れた公務状況を報告し、欧州視察の重要性を説明(皇后は洋行反対の立場)。野党重鎮大隈重信が奏上する与党政府への「悪口」が甚だしいと嫌悪感。