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#明るいミステリーツアー とは何ぞや?1

ウ◯コ漏らしながら書いてます(笑)


前文でここから色々書くつもりでしたが、本文が長くなってしまったので詰めました(笑)この部分はあらためてどこかで書きます。

深夜バスでナゴヤから仙台まで10時間余り?意外に近いよな。因みにナゴヤから仙台、時間のある方は太平洋フェリーがオススメです!
#火伏せの虎舞 何かカッケーお祭りそして張り子!初めて知りました。
仙台からはおなじみの。途中で連結が離れなくて良かった(苦笑)
車窓から望む"らしい"風景。
新青森駅にて。私は筋子好きで無いので、好きな方に教えてあげて下さい♪
青森といえば!せいしょこさん!



私が以前から旅に出る時、比較的良く行く東京や大阪のお話というより、距離で無くて何か思いを馳せる旅先へ向かう時にこのタグを使います。

#明るいミステリーツアー
#旅をすみかとす



前者はオリジナルの表現。と思います(笑)それに併記する後者の表現。

当時良く聴いていたNHKラジオの『 #ごごラジ 』という番組の中で #高橋久美子 さん(ex.チャットモンチー)が使われていた言葉が何か良いなぁと、勝手に使ってます(笑)

先日そんな旅をして来ました。何週間か空いてしまいすみません。noteではまだ書いたことが無いので、今回はこちらで振り返ってみます。


今回の旅は主に東京、そして…

青森県

皆様は青森に行かれたことはありますか?もうすぐリンゴの季節だから本当はそんな時期が良かったかもしれませんね。

青森への憧憬は色々あります。映画『八甲田山』や石川さゆりさん『津軽海峡冬景色』の世界、太宰治や寺山修司、棟方志功、あるいは船木誠勝やケンドーカシン、ナンシー関さんの出身地として、一度はライヴで観てみたい『青森ねぶた(弘前ねぷた、五所川原立佞武多含む)』、テレ東で観た大間のマグロ釣り、イエスキリストのお墓!?などなど。


そして忘れてはいけない…

#恐山


この国が誇る三大霊場の一つ。残る二つとされる高野山や比叡山は地元から比較的近いから行ったことはあるが、ここはさすがに遠い。よほどの気持ちが無いとたどり着けない?

横浜に行きました(笑)
山門から地蔵殿を見やる。
荒野の果てに。必殺のテーマを歌いたい。端々に様々な仏像や碑が建ちます。来場者皆、思い思いにその境内の地獄をめぐり続けます…
手前の石塚の途中から今なお硫黄分が噴き出し黄色く染みてます。ここだけでもこの地の強さを大きく感じます。
地獄の向こうにたどり着けば #八葉地蔵菩薩 様が微笑みかけます。
一方、極楽浜では静かに風車が回って、その静かなる気を生きる私たちに伝えていました…
その生きる私たちは様々な気を感じ背負いながら、平穏を願う行脚を続けます…



ナゴヤから深夜バスで半日近くかけて仙台へ。明朝に新幹線で2時間近くかけて新青森駅まで。そしてレンタカーで2時間余り。ハイウェイに海沿いのストレート、そしてワインディングに強い雨の中を走り抜け、のべ15時間ほどかけてようやくその入り口へ。最後は運転中ゆえ、写真はありません(苦笑)

つづら折りの角々には先客の残されたお地蔵さんの数々にビビり、いきなり飛び出すお猿さんにもビビり、道が開けたと思ったら何とか雨も止み雲が晴れ、そここそがこの世とあの世の分水嶺。数え切れない位の気と気がぶつかる異空間でした…


山門でお金を払い、敬う先に本堂そして地蔵殿。背中には宇曽利湖。山に囲まれた風情は一万年前に火山運動で出来たカルデラ。そこへ今から1,200年前、慈覚大師円仁によって開かれたのがこの地になります。

本堂の左側は山すそに合わせ果てなく続く荒れた丘。更に一万年の眠りを覚ます硫黄の噴煙。山は生きている。

ゆえに"地獄めぐり"と喩えられるその荒野、そして"極楽浜"と喩えられる宇曽利湖のほとりには、有志によって作られた平和と安穏をとこしえに願う仏像あるいは石碑が残ります。

そして、その賽の河原に千年の思いを込め積み上げられる無数の石塚。その思いの丈の高さ深さは噴煙口をふさぎ黄色く魂の痕を残し、鬼の邪魔を振り切って小山と化してます。因みに、そんな石やら境内の何もかもを勝手に持ち帰ることは出来ません。それら一つ一つが大事な命の階段。道しるべ。

更にそのすき間にはこれまた無数の風車が。果たして風で回るのか噴煙でかそれとも気の流れでか。その音や回り方を通じ、見えない方と会話も出来ます。


この世とあの世の分水嶺、張り詰めたものは硫黄の香に乗り無数の見えない光となって、こんな私にも届きます…

思えば近頃は、無垢なものも無碍に扱う無慈悲なことがあまりに多過ぎます。生まれる前から決められるロウソクの長さもありますが、天災人災、かわすことも出来ずそのロウソクの折られてしまう、芯を抜かれてしまうことが限りなく続きます。

石塚を壊さぬよう風車を倒さぬよう、一体この起伏を何時間歩いたことでしょうか。刹那刹那その相手はご先祖様だったり顔の見えない命だったり、あるいは慈覚大師、ひたすら手を合わせこうべを垂れ、念仏は唱えれないから気持ちで祈らせていただきました…

これがおなじみ #イタコの口寄せ 今週末は秋祭りとして大集合されるみたいですが、通常もささやかに開かれています。イタコさんによるが一回何千円。決して高くない。真摯に誰かに教えを乞いたい、うしなった誰かのことが忘れられない、最後の言葉を聞いておきたかった、そんな方々は訪れる価値があると思います。ネタで良くあるけど、外国人は呼んでいただけるのかな?ペットは境内に入れられないから難しいのかな?詳しくは現地にお問い合わせ下され。
こちらが湯治場。女湯もあります。
こちらは男湯。引き戸の建て付けが悪いので気を付けて下さい(笑)
食堂『 #蓮華庵 』にておしるこなぞ。
行脚をいたわるお供え用のわらぞうり、そしてお子たちに捧ぐお供え用の風車。
#身代わり念珠 』私の手首の一番先の紫の玉のヤツ。果たしていつピシッと弾けるか?それともアース的に悪い気が抜けたハズだから、しばらく弾けずにいるか?乞うご期待。



写真の通り、境内には湯治場があります。道中見かけましたがハイキングやトレッキング、山登りしながら行脚される方も多くいらっしゃいました。

ただ硫黄分があまりに強いから、入浴は10分まで!顔は洗えない!湯船の周りにはそれを守らず「目が…目がぁ〜っ…」と叫びながらひっくり返る方ばかりでした(ウソ)

そして昔ながらの食堂。あちこちに『CASH ONLY』と注意書きがあるのがウケましたが、今やこんな遠くまで外国の方々は観光にいらっしゃる訳ですね。ならばどこぞの誰かで無いですが、山門をくぐる前に一同座らせてここの意義を書いた紙をまぶたに貼り付け注意しないといけません!?


その位に崇高で尊く恐れ多い場所でした。別にイタコさんを動かした訳で無いですし物見遊山と言われたら何も言えませんが、それでも大いに伝わるものはありました。気と気の触れ合いを体感して、私自身何か護られるものを得たかもしれません。

有難うございました、と述べるのも変ですが、訪れて本当に良かったです。また節々に訪れてみたいものです…今度はイタコさんに猪木さんとか破壊王とかお呼びいただきますか!?

入口。壁の模様で地層を表現。
当時のムラのジオラマ。
建物の中からシンボルの #大型掘立柱建物 を眺むる。単純にデカイ!大木をおっ立ててつるで縛って支えるってトンでもないです。
復元の竪穴建物からムラを眺むる。
比較が難しいですが、こんなです。低いし狭い。縄文人は私より小さいのかなと勝手に想像してしまいます。
いつだかXでも話題になった遺跡発掘の様子。周囲の土が崩れないようこうやって土嚢を積み上げるのが本来。土嚢で固めない上部からノーヘルで見学する自体ナンセンス。
キャラクターの #さんまる と共に♪



レンタカーは19時までに返却。その前に大して時間が取れないけど訪れたいところがありました。

#三内丸山遺跡



北海道から北東北にかけて世界遺産として認定されたエリアの中心。北国での縄文ブームの火付け役。今度は今から五千年位前の空気を感じに。

同じ青森でも100キロ近く動くと全く違う土壌?硫黄っ気は無いから草木も広がり生活感にあふれた感じ。その中には、発掘された柱や生活痕をベースに丸太やわらを組み合わせ、墨を塗り防腐性を高める当時の手法で数々の建物が復元され、当時の集落(ムラ)の独特の世界がありました。

建物によっては実際にその中に入ることも出来ました。それにしても間口が狭い!同行者がいたらそれを分かりやすく撮りたかったですが。カラダをどんなに小さくしても頭が引っかかる!

そしてくぐった中にも柱とかあるから、建物によっては大の字になれない?でもそれは逆に作業場とか用途によって形が変わるので、居間とか寝室とか大の字になれる建物もあります。

因みに同じタイミングで発掘した土器はじめ出土品を並べた展示もありましたが、屋内展示まで見る余裕は無かったぁ残念…翌日の予定が無ければ行けたハズ。#譽田亜紀子 さんの世界に触れたかった。

この辺りは私の時間計算ミス。あと三内丸山はもっと市街地から遠いと勝手に思ってた時点でペケ。まさか翌日訪ねる場所の隣だったとは!いうて翌日はガッチリで他を回る時間が組めず残念。そんなモヤモヤも残しながらレンタカーを返して来ました…

バス停間違えちゃったからしゃあない。雨ん中を歩く。
ある意味人生初、ウィルチェアさんと。
『物語るテーブルランナー』こんなの。他の会場で見たものも低い目線で見るとあらためて色々見えて来る。
海外の方の描くそれは、奥の足首みたいなファンタジーだったり手前の橋脚みたいなリアルだったり。表現のし方はこの手の刺しゅうパッチワークに慣れた感じです。
『小さな目は見た』手前の未完のものが切ない。今回の豪雨でますます作りづらく。何より気持ちが入らないととてもこんなの出来ません。因みに現場の山は奥のジオラマみたいな感じ。地元では『おにぎり山』と言われていたそう。作品の一つ、夜なべしてせっせと親のお手伝いで警察自衛隊消防団、地元の方々を応援するために作ったおにぎりの山は、そのメタファーともいえます。
『おにぎり山』手で触ることが出来るのは優しい。能登はやさしや。先生の作品はそれを常に体感出来ます。
これが本来かな?何ともメルヘンな一枚。
七年前に珠洲市の崖っぷちで見た先生の作品『 #陸にあがる
『陸にあがる』(海)
良く見ると岩場の先に白い何かが見えます…
『陸にあがる』(崖)
良く見るとのり面に白い何かが見えます…



で翌日。例えば恐山やらはまた訪れることが出来る。ただこちらはそうはいかない。だから今日ここに来た!と言い切れる。

#鴻池朋子
#メディシンインフラ
#青森県立美術館



今から七年前フラッと訪れた石川県珠洲市での#奥能登国際芸術祭様々な作品の中で一番感動したのがこの方の作品。いや正確には"作品群"というべきか。

自ら崖を降り荒波を被りながら設置したという大きなオブジェを、この足でそこまでたどり着いて汗をかきながら観賞したこと、そして地元の女性たちの体験談をもとに下絵を描き、それを女性たちにフィードバックして刺しゅうで仕上げられた#物語るテーブルランナーマクロからミクロまで!果たして作品を見て涙したことなんてあったろうか?色んな感情が渦巻きながら、いつの間にかこの方の世界観にどんどん飲み込まれて行きました。

秋田や東京までその個人展を観賞しに行ったり、去年は実際に先生ご本人ともお話出来たのは感無量でした。大自然と共に生き、色んな表現でその森羅万象を表現される、良い気のあふれる作品ばかりです。


会期終了まで残り1週間ということで、開場時点で結構混み合ってました。チケット購入しエントランスへ。迎えるはシャガールの何十畳もの常設展示。そして無数の車イス???

思わず学芸員さんに尋ねると、先生の発想で一般の方も車イスに乗って観覧したら、そういう方々への感じ方も変わるだろうし、何より新しい何かが見えて来るのでは無いかとのこと!目前の車イスには"水戸芸術館"のタグ。つまりそのためにわざわざ全国の美術館から車イスを集めて並べているのだと!

先生がそんな手間をかけられてるなら、乗らない訳にいかないでしょうよ!と、人生初(確かケガで入院したりで乗ったことはあるが)車イスでの移動を敢行。操作方法なんか知らない。ただ以前映画やドラマなんかで見た何かを見よう見まねで。早速見上げるシャガールの力強いこと!


今回は最初のステージから『物語るテーブルランナー』先生のライフワークがワンコーナー全体に散りばめられていました。比較的低いところに並べられているから、確かに車イスだと見やすい。より近くで見れるから、感じるものも強くなる。

きっかけの秋田県の方々とのそれ、そして私が七年前に感動を覚えた珠洲市のそれも並べられ、更に先生の訪れた国内外の各地で作られたそれらが揃うと壮観。特に海外の方々のそれは比較的リアルかつファンタジー?現地の人間は普通に妖精を飼ってるみたい♪

その最後には『 #小さな目は見た 』いわゆる1985年8月12日に起きたアノ大事故について、当時のお子たちの思いを残した文集を目にし感銘を受けた先生が何とかそれを形に残せないかと、七年前お世話になった珠洲市の女性たちと協力して今回のために用意しようと動いた矢先の元日…

命あっての物種。そんなのは放っておいて我が身を大切に。でも女性たちはガレキの中から製作途中のそれらを引っ張り出し"生きるために"縫い続けた。そのイントロだけで沁みる。いまや先生の作品は命の灯火。千人針の思い。

そんなことを知ったら泣かぬ訳にいかない。ましてこの裏ではあらたな水害が起きている訳で、本当にそれどころでは無くなってしまう。能登はやさしや…なんて言ってられない!先生と生み出す友情パワーの行方、より感情的になりながらそれらと向き合いました。

作品に溶け込む学芸員さん。
手前の穴にあるのは何でしょう?
答=何かの動物のふん(笑)
年表より。先生の作品はとにかく細かくそして壮大。マクロとミクロを攻める。
『戦争と詩と眠り』パッチワークの一つ。良く見るとクマさん、そして謎の生物。
『戦争と詩と眠り』クマさんのシーツは寝そべったりして触れられます。因みにこちらは猟友会の狩られたものなど活かしてます。アートもサステナブルの世界。
『竜巻』その原理の説明。お子たちもビックリ!?
『新しい先生は毎回生まれる』より、小学生の力作は動物のふん!
『新しい先生は毎回生まれる』より、先生オマージュのウェディングケーキ。因みに手前は先生の出世作でもある絵本『 #みみお 』。



次は、天井から吊るされたキツネの毛皮がクルクル回ったりする不思議な空間。車イスからだと天井が開けて気持ち良く。更に足元にも思わぬ展示が!てかここの学芸員さん、先生の作られた人形を動かしながらモチーフの狼イスに座り、完全に一つの作品となっていたのが面白かったです。

途中、スロープに沿って先生の年表が。ただ危険防止でここだけは手押しで動きました。一回スロープはチャレンジしてみたかったですが、介助がいる訳で無いから何かの時に怖いのでやめました(笑)

次は『 #戦争と詩と眠り 』開けた空間にベッド。そのカバーを使ったアートワークは『物語るテーブルランナー』の要領で。更に一面クマやキツネ、猟友会さんの狩られたものの毛皮が敷き詰められたそれも。

要は平和の思いや祈りを込めたそれを手近に残し、常に触れるようにして心に響かせる。そんなニュアンス?心地良く眠ることすらままならぬ方々の何と多いことよ。キャプションを読んでより思いが伝わりました…

先生の得意なテーマ"輪廻転生"生命のルーツたる二重らせんとか地球と空気の動きから生まれる台風とかスパイラルの動きを、今回は"竜巻"になぞらえた作品群。奥に太陽(顔があるヤツ)手前に風の源(扇風機)で竜巻が起きると。

"回転し鞭打ち"その力で黒い塊がおもむろに回転し出すと、私はヒャー巻き込まれてしまう〜!と思わず立ち尽くしてしまいました(笑)

#新しい先生は毎回生まれる 』『物語るテーブルランナー』の進化系というか。要はその活動に感化された小学生から学者、プロデューサーにキュレーター、色んな方々がその作品を使いあるいは作風を真似てあらたな作品を作り上げようという、先生らしい試み。

動物のふんを粘土でこねたものから実際に作ってそうなウェディングケーキ、あるいは川の流れまで、公式インスパイアの連続。その愛は永遠。意外に見応えありました。ここには私も参加してみたい(笑)

これが『皮トンビ』だ!
恐らくダムの出来た村を離れる若者のオブジェ。何とも複雑な表情が切ない。
正面入口にて。
サテライト会場入口。ある意味人生初の体験。
周りを気にしながら撮った狼イス。
こちらは美術館の外にいたイス兄弟。家の庭にも欲しい(笑)



結局スロープ以外は全部車イスで回った!これはこれで気持ちええ。いつもと違う目線でいっぱい楽しめました。他の美術館あるいはアートイベントでも出来そうですが、結局は利用者が事故したらいけないですし、通路が狭くて展示物が全て見れなかったら本末転倒ですし、何より作り手側の思いから始まるものだと思いました。

車イスを返して、フリースペースに設けられた全国各地をさすらいながらその風合いの変化を楽しむ『 #皮トンビ 』を見届けて、今回の展示物はここまで…

では無い!先生なりに思いを込められたものが実はもう一ヶ所に!昆虫や小動物から人間の営み、そして自然の先達として生きる全て、更に地球そのものそして大宇宙…その源たる愛。その取りこぼしが決して無いように向けられた先生の理想郷。

#松丘保養園



今回サテライト会場として、その社会交流会館に続きの展示がありました。美術館からどの位のところにあるか分からなかったので思わずタクシーに乗りましたが、千円あまり?三内霊園の向こうにありました。

こちらは文明開花以前からこの国の栄華を支える裏側の歴史を担ったといえる、私たち誰もがこうべを垂れるべき場所です。リンクを貼りましたのでそちらをご覧下さい。

本当なら誰もが主役に立てるハズの光。確かに陰を望まれるかもしれぬが、そんな中でも光に当たりたい時もある。そんな人もいる。先生はこの機にそれらを伝えたかったのかもしれません。

ゆえにこちらは"撮影禁止"です。職員さんへお願いして、外に飾られたモチーフの狼イスだけ撮影出来ましたが、そこまで。あとは私の心の中に残されました。


壁に貼られたその年表を追うと、本当にこの国を見えないところで支えて来られたのだなと。見えないというか見ようとしてなかっただけというか。ここをうかがい知れただけでもここまでたどり着いた甲斐がありました。

歴代の入園者さんの作品は、本格的な油絵なんかあれば、マイペースに仕上げられたスクラップブックや創作落語の台本(なぜか巻き物調に)が印象的でした。そしてその光の部分を知れる文献の一つ#甲田の裾が活字として読めたのも勉強になりました。

更にその中で光り輝く#貞明皇后 から寄贈された白磁の花瓶。これは後生大事に、この地で護られて欲しい誇りです。

そして、そのすき間すき間に先生の作品も展示されてましたが、こちらではとても分かりやすい穏やかなデザインのものが多かったです。特に入園者さんと協力して仕上げた、近隣の地図になった『皮トンビ』は印象的でした。これから歴史を紡いで、独特の風合いのそれになって行くことでしょう。

今回は社会交流会館でしたが、もしかしたら私の地元の施設にもきっとそんなオープンスペースあるいはオープンな機会があるのだと思います。そんな時にこんな光と触れ合えるのも良いなと思いました。


本当に今回も深層へ届く様々な展示そして体験を有難うございました。次にそれらを楽しめるのはいつのことでしょうか。果てなき先に思いを馳せながら、次の目的地へ向かいます…

ということで今回はここまで。長くて長くてごめんなさい。続きはきっと近いうちに(笑)

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