キャボット一族はイタリア名はカボート一族です。
別名はウォーバーグでしょう。
ブッシュ一族の親分、あのウォーバーグです。
(参照:ブログ「黄金の金玉を知らないか?」さまの記事より)
まえがき
私が知りたいのはただ一つ。
誰が誰と繋がって、この日本は悪魔が跋扈するような国になっていったのかということ。
本記事でお伝えしたい内容は独自ではとても書けるものではないため、ネットで検索してこれはと思えた記事のご紹介となります。
貞明皇后(ていめいこうごう)の旧名は九条 節子(くじょう さだこ)
貞明皇后(ていめいこうごう)の旧名は九条 節子(くじょう さだこ)というそうです。昭和天皇の生みの母親(ということになっている方)ですね。「節子」は「せつこ」ではなく「さだこ」と読ませるのは一体何故かというのが第一の疑問でしたね。
そういえば皇族の紀子さんも「のりこ」ではなく「きこ」というのも、普通とは変わった読み方だということを思い出しました。皇族という特殊な方々というのは、何かわざとそのような名前の呼び方にするのが習わしなのでしょうか?
貞明皇后 - Wikipedia
この女性はやはりイルミナティ側に嫁ぐ人なので普通の女性ではありませんね。ご参考記事はこちらです。↓↓↓
本記事は九条 節子(くじょう さだこ)について主として書き、彼女に関連する人物や出来事を分かりやすく書ければいいかと思って臨んでいますが、やはり自分だけの力では無理というのは最初から分かっていますので、ネットで検索していたら、よさそうな記事を見つけました。
ご紹介させていただく記事には、麻生太郎とその祖父である吉田茂、吉田茂の養父である吉田 健三をはじめ、明治維新の裏側について、そして昭和天皇・裕仁の母親である貞明皇后つまり九条節子に課せられた目的についても、その他ロスチャイルドや私の知らないことが多数書かれていました。
九条節子とペリーの末裔アリスが出てくる記事は「新地球へようこそ」様の記事では2つのブログが紹介されていました。
そのうちの1つはImagine&Think!様の記事でしたが、同じ名称が入っているブログがもう一つありました。私が閲覧していたブログと「新地球へようこそ」様の記事で紹介されていたブログは別のブログでした。両者の記事は多少違うと思われますので、本記事ではそれぞれご紹介させていただこうと思います。
私が閲覧していたブログの記事では「るいネット」からの引用もされているようです。そのルイネットからの引用記事はこちらですね。
↓ ↓ ↓
日本の政界をコントロールするスコットランド貴族達②~黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いたキャボット一族 - るいネット (rui.jp)
まず先に、ルイネットからの記事を引用させていただきます。
注目すべき文言を太字とさせていただきます。
次に、「さてはてメモ帳 Imagine&Think! 重要情報をゴミに埋もれさせないよう絵本化 避難所」さまの記事のご紹介です。
私は自分で理解しやすくしたいため、引用元記事を抜粋させていただき、それに見出しを付けさせていただきます。なお、カッコ書きで自分としての注釈も付けさせていただきます。
では、さっそくご紹介してまいります。
(人様の記事)さてはてメモ帳 Imagine&Think! 重要情報をゴミに埋もれさせないよう絵本化 避難所
暗号名 ヨハンセン 投稿者:Legacy of Ashesの管理人 - さてはてメモ帳 Imagine & Think! (goo.ne.jp)
こちらの記事↑を引用させていただきます。
※画像を拝借いたします。
自分のために見出しを付けたいために、抜粋させていただき、見出しを付けさせていただきます。
1.日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」は吉田茂で麻生太郎の祖父でした
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。
また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。
(※吉田茂のCIAコードがポチと書かれた記事あり↓)
(※ 吉田茂総理のCIAコードネームがポチ。 (daiwaryu1121.com) )
吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。
幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。
大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。
天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。
吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。
2.吉田茂は養父である吉田 健三から11歳で健三の急死後に莫大な遺産を受け継いだ
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。
3.吉田茂の妻となった牧野雪子、「黒船ペリー」での侵略者ペリーの末裔である在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー、そしてクリスチャン・鍋島信子と九条節子の女性たちは「情報操作教育=洗脳教育」を受けていた!
そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。
アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。
4.九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの母の旧姓はキャボットで、黒人奴隷売買と麻薬売買で富を築いたキャボット一族!
九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。
黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。
5.吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇!
吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。
雪子は麻生太郎首相の祖母である。
6.麻生家の史実の1つ~明治天皇による日本人女性の人身売買との関わり、健三の生活様式や趣味および茂が養子となった経緯、茂が健三からの遺産の使徒不明の件などについても
麻生の正体
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。
その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。
(※日本の黒い霧さんのブログで、トルーマンは日本人を猿扱いした発言をしていたことがわかる記事あり↓)
(※日本にとって最悪だったアメリカ大統領まとめ。 (daiwaryu1121.com))
麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。
それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89
吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は日本の武士(福井藩士)、実業家。、
昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は孫に当たる。
1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。
のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。
1864年に脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ。
1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時は新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。
日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
さらに3年後に退社して独立し、慰労金(1万円)を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画。
さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールやトタン、フランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。
自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助や後藤象二郎、竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。
特に竹内とは昵懇で、1878年の保安条例公布によって東京を追放された際、横浜の吉田邸に身を寄せている。
1881年8月には、竹内の5男茂を養嗣子とする。
生来心身頑強だったが、1888年の父謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。家族 [編集]妻は、儒学者佐藤一斎の孫・士子(ことこ)である。
茂が養嗣子となった理由について、実子に恵まれなかった健三が竹内に対し、当時懐妊していた竹内の妾が生んだ子が男ならば自分の養嗣子として貰い受ける約束をしていたから、といわれる。
備考 [編集]
富豪であった健三の死後、わずか11歳の茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。
茂はこれを「吉田財閥」と自嘲気味に称してはいるが、やがて遺産の大半を蕩尽してしまう。
莫大な遺産を一体何に蕩尽したのか、今もって不明である。
横浜太田町に構えた本邸の表門は、小男であった健三の背丈にあわせて造られていた。
政府高官や実業家などの訪問客が出入りしたが、低い門構えであるため、門内で待ち構えている健三に対して自ずとお辞儀をする羽目になったという。
茂の幼年期の回想によれば、健三は日の出前に起床するや、家族や女中らをたたき起こして毎朝大掃除をするなど、エネルギッシュな一面をもっていたという。
狩猟が趣味で、自ら狩猟協会を立ち上げて副会長に就任している。
(※「狩猟が趣味で自ら狩猟協会を立ち上げる」でふと思ったことは、これがきっかけで統一教会が銃の元締めみたいなことになったのかな?でした。間違っているかもしれませんが。)
因みに、会長には公爵近衛篤麿を擁立している。
大磯における初期の別荘族として知られる。
国府本郷村(現在の大磯町内)の海浜沿いの広大な地所を徐々に買い増し、1万坪もの別荘を営んでいる。
戦後「大磯」は、首相となった茂の代名詞となった。
信心深かった健三は、後年菩提寺として光明寺(神奈川県横浜市南区所在)を建立している。同寺の山号(吉上山)は健三と盟友であった上郎幸八の一字ずつと取って命名されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%82%BD%E3%83%B3
ジャーディン・マセソン
ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。
ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」では世界437位。
前身は東インド会社で、元は貿易商社。
1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディン[William Jardine, 1784-1843]とジェームス・マセソン[James Matheson, 1796-1878]により、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。
中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し怡和洋行大楼と呼ばれた。
この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。
(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)
1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。
170年たった今でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。
アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9 票という僅差で軍の派遣を決定した。
陳舜臣の『阿片戦争』にも、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが登場人物として登場する。
香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。
7.「グラバー商会」を設立したトーマス・ブレーク・グラバーは明治維新の黒幕としても知られる!「ジャーディン・マセソン商会」は日本での「グラバー商会」の支店第一号で、吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた
日本での歴史 [編集]日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバー[Thomas Blake Glover, 1838-1911]が長崎代理店として「グラバー商会」を設立。
現在はグラバー園として公開されている。
幕末・明治の日本において、五代友厚(薩摩)、伊藤博文(長州)、坂本竜馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し、フランスに支援された徳川幕府打倒にも密接に絡んだたことで倒幕運動(明治維新)の黒幕としても知られる。
横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック[William Keswick, 1834-1912]
(ウィリアム・ジャーディン[William Jardine]の姉の子)が支店である「ジャーディン・マセソン商会」を設立。
日本に進出した外資第1号としても知られる。 麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。
(※ここでは唐突ですが「支店」での連想で思い出されてきた「あること」↓)
思い出した事とは、でれでれ草さんのブログで書かれていたことです。
↓ ↓ ↓
美智子皇后の真実①謎の出自 | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
(※なお、こちらの記事↑では、「正田冨美」と書かれていましたが、正しい名前は「冨美子」で、それを「冨美」と簡略化して書かれたのだろうと思っています。そして「正田冨美子」とは現在の上皇后である美智子さんの母親のことです。)
(※ 実は「正田冨美子」の家系図がおかしいことが書かれてもいました。↓↓↓)
美智子皇后の真実⑧同和地区だった(上) | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
正田美智子の母、富美子の生母が不明です。
こちらは正田美智子の母、富美子の生母の中国版ウィキペディアのようです。「『正田富美の中国版Wikiを下記にコピペしました。」と書かれていました。↓↓↓
8.天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である
19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガン[John Pierpont Morgan, 1837-1913]は、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモント[Thomas Lamont, 1870-1948]を使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。
モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。
ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。
1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。
その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルー[Joseph Clark Grew,1880-1965]も、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。
ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルー[Jane Norton Grew]は初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガン[John Pierpont "Jack" Morgan, Jr., 1867-1943]の妻であった。
この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルー[Alice Perry Grew]は、
名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。
アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島(松平)信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母(貞明皇后)であり、アリスの親友・鍋島信子の娘(勢津子)は秩父宮妃である。
このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。
九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。
天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。
アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。
一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。
モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。
牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。
雪子は麻生太郎首相の祖母である。
このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。
麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」。
9.グリーンスパンそしてキャボット一族の謀略について
なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。
また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。
グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。
グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。
また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。
日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html
10.戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見
吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見
吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。
日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。
有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。
「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。
CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。
辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。
世界の金融王の経歴 2008年07月17日http://alternativereport1.seesaa.net/article/103047840.html
11.グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った
長い間、世界経済・金融の帝王として、米国中央銀行FRBの議長であった、アラン・グリーンスパン。グリーンスパンは学生時代、スパイ養成大学として名高いコロンビア大学で博士号を取った。
第二次世界大戦中、対日の暗号解読部隊の中心地であった大学である。
(※ここでコロンビア大学について書かれている記事を見つけました。↓)
アメリカの「対日スパイ養成大学」コロンビア大学 - るいネット (rui.jp)
こちらの記事↑によりますと、コロンビア大学は、麻薬密輸業者アビール・ロウ一族によって、麻薬の売り上げ利益・資金で創立、運営されているのだそうです。
コロンビア大学 - 浮世風呂 (goo.ne.jp)
(※こちらの記事↑によりますと、第二次世界大戦中から、日本への「スパイ組織」は、このコロンビア大学に置かれ、この大学が、米軍の「対日・諜報スパイ組織」の中心となって来たそうです。)
学生時代のグリーンスパンの経済学の指導教授はジェーコブ・ウォルフォウィッツ[Jacob Wolfowitz, 1910-81]。
後に父ブッシュ政権で、国防副長官としてイラクとの戦争を強く主張するイスラエル直系の軍事産業の代理人ポール・ウォルフォウィッツの父である。学生時代からグリーンスパンは、この「組織」に「リクルート」されていた。
1977年、ロスチャイルドの銀行J・P・モルガンの、「社員」としてグリーンスパンは頭角を現わす。
このモルガン時代のグリーンスパンの同僚に、サウジアラビアの富豪スレイマン・オラヤンが居た。
オラヤンはモルガンの国際諮問委員会のメンバー、グリーンスパンは社外取締役であった。
当初は、アラムコ=アラビアン・アメリカ・オイルのトラックの運転手から出発したオラヤンは、後に、サウジの石油マネーをグリーンスパンと協力し、米国銀行に投資する「仲」となる。
グリーンスパンをFRB議長に指名した、前任者のFRB議長ポール・ヴォルカー[Paul Volcker, 1927-]は、財務省の次官であったロバート・ローザ[Robert Roosa, 1918-93]の指導下で教育を受け、その右腕として出世の階段を登って行った人物であった。
グリーンスパンのボスはヴォルカーであり、ヴォルカーのボスは、ローザであった。ローザは、ロックフェラー=ブッシュのハリマン銀行[Brown Brothers Harriman]の取締役であり、ローザのボスはロックフェラーであった。
(人様の記事)私は吉田茂のスパイだった/2.26事件を語ろう
「私は吉田茂のスパイだった」 | 2.26事件を語ろう (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部引用させていただきます。
(人様の記事)昭和天皇は広島原爆3日前から13万人を集めて焼き殺した!吉田茂・白洲次郎も朝鮮人のクエーカー教徒「明治天皇は箕作圭吾」
昭和天皇は広島原爆3日前から13万人を集めて焼き殺した!吉田茂・白洲次郎も朝鮮人のクエーカー教徒 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)
こちらの記事↑はいつの間にか削除されていましたので、私が書いた別の記事で引用させていただいた箇所から引用させていただきます。
※こちらの記事↑で気になった箇所は①貞明皇后についての記述と②白洲次郎についての記述です
①貞明皇后についての記述
「貞明皇后 公家の出身で「クエーカー教徒」なんて有りえない!」
②白洲次郎についての記述
「白洲次郎は英国で突然貧乏になっている
父の経営する白州商店が倒産したからだ。
白州はウォーバーグ財閥の援助で大学生活を送り
(卒業の記録も専門学部も明らかでない)
その間陸軍と三菱が闇貿易のために作った昭和通称の1社員として生活していたのだ。吉田茂は駐英大使時代、大使館に白州を寄宿させている。
白洲次郎はユダヤ財閥ウォーバーグの配下の情報員であり陸軍と三菱の隠れエージェントでもあった。」
上記の①で「クエーカー教徒」が出てきますがこれは何でしょう。
※クエーカー教徒とは?
クェーカー教徒(クェーカーきょうと)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
クエーカー教徒の「聖なる実験」 (jw.org)
こちら↑のサイトは「エホバの証人」でした。。
とても分かりやすく説明されていますね。
でれでれ草さんのブログでは ↓↓↓
秩父宮雍仁親王⑥クエーカー派のクーデター | 皇室ブログ・でれでれ草 (sakura.ne.jp)
こちらの記事↑から一部引用させていただきます。
クエーカー教徒については、これもよくわかりませんが、結局、原始キリスト教が根源にあるならば、それはイルミナティの悪なる宗教のように思えてきます。「エホバの証人」で詳しくわかりやすく説明されていましたが。。つまりは、バハイ教と同じようなもので、世界統一政府、世界統一宗教に繋がるようなモノなんだと思います。
フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事に「エホバの証人」について触れられている箇所がありました。↓↓↓
※大正天皇は別の方の記事では頭が弱いという印象を抱かせる記事を見つけた一方で、でれでれ草さんのブログでは次のことが書かれていました。
一部引用させていただきます。
こちらの記事で出てくる「牧野伸顕」は別の方の記事、本記事ですでに上記でご紹介している記事では、「陸軍にとって、吉田茂の天敵だったのは、周知のとおり。なんといっても、2.26事件の標的だった牧野信顕の娘婿です。」とありました。
2.26事件も私はよく知りません。
※2.26事件の被害者の遺族である渡辺和子さんが語ったことが書かれているサイトを見つけました。
↓↓↓
(人様の記事)奴隷貿易商人の末裔=麻生太郎首相の系譜 by オルタ 他
こちらも「Imagine&Think!」です。九条節子とペリーの末裔のアリスについての記述があります。また、アメリカ大陸発見についても書かれていました。アメリカ大陸発見については公式とされていることと実際は違うのではないかという思いが湧いてきました。隠されている何かがあるような印象です。
キャボット家は奴隷売買で巨万の富を築いてきた一族らしいです。これは日本で天皇と三菱と日本郵船が結託し、日本人女性を騙して売春婦として輸出し巨額の蓄財を成していった話と共通すると思いました。
引用させていただきます。
※画像を拝借いたします。
こちらの記事↑に入っていた関連記事
ウォーバーグ一族
引用させていただきます。
※こちらの記事↑より画像を拝借いたします。
※ここで余談ですが、「アンネの日記」を思い出しましたので、
上記の記事に「オットー」という名前が出てきました。「オットー」はユダヤ人でよく見られる名前ですね。アンネ・フランクの父親のお名前もたしか「オットー・フランク」だったかと思います。
その娘であるアンネが書いていたという「アンネの日記」について、あれは父親がお金を払って別人に書かせたものだと書かれている記事があるかと思えば、そういう説もあるが鑑定した結果からは、やはり本人が書いたものであると書かれている記事がありましたので、ここに両説の記事を参考としてご紹介させていただこうと思いました。
まずは別人が書いたという説です。
こちらの記事↑に、私にとってはとんでもないという印象を持った記述がありました。
「1954年の写真。アンが2年間、家族や他の4人と共有した隠れ場所の入り口をカバーする本棚。但し、これらの階段や本棚は、戦後、アンネの日記の記述内容に沿って改造したものであることをポーランド政府が認めている。」とありました。
なぜ、そんなことをしたのか?というのが素朴な疑問です。
また、アンネの日記のこと以外にも
「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」、
「ガス室自体が無かった。~ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。」という記述もありました。
ここで私は思い出したことがありますので書きます。
それを見たのは、たぶんかなり前のことだったかと思いますが、強制収容所に連れて来られた、おそらくユダヤ人(?)の人たちと思われる人達が皆、全裸状態もしくは半裸状態とも言える状態にされていて、写真のほぼ中央に写っていたのは大人の女性で、その方は裸とも言える状態にされていて、月経中のためだったのか、股の間から経血が流れているのだろうと思える状態の姿で写っていました。直視することが憚られるあまりにも生々しいその写真の画像に、言い知れぬ拒絶感と恐怖感が起こったことを鮮明に覚えております。女性はそのようなあらぬ姿であっても、無理に歩かされているという姿でした。女性の顔は恐怖でひきつっいるように私には見えました。
この写真の画像を私は今でもはっきりと覚えていますので、
「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」、
「ガス室自体が無かった。~ガス室は戦後に新築されたものであるとポーランド政府が認めている。」という記述は、にわかには信じられないという思いです。。
もし、「強制収容所にかき集められたユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」が事実であるなら、私が見たあの写真に写っていた人たちはユダヤ人の人たちではなかったということなのでしょうか?
さらに疑問が湧いてきました。
メンゲレ博士は、駅でユダヤ人たちを乗せた列車が到着するのを待ち受けていて、降りてきたユダヤ人(?)の1人1人を吟味し、選別していったということがネット記事で書かれているのを閲覧しました。
メンゲレ博士は特に双子に興味を抱いていたらしく、双子を見つけては残酷な実験をしていったそうです。ウィキペディアにもそのようなことが書かれていました。これのどこが「ユダヤ人は寧ろ大切に扱われた。」になるのでしょうか? それとも残酷な実験をされた双子の子供たちはユダヤ人ではなく、別の人種だったのでしょうか?
こうした疑問と似ているのが、今のウクライナ戦争だと思います。ウクライナ人の方で、家族をウクライナに残している女性が日本語で語っておられました。
「ウクライナ人がウクライナ人を殺している。ウクライナ人がウクライナ人をレイプしている。」と。
ウクライナ人の中にナチス組織の人たちがいるらしいのです。そのことについても書いた記事を、関連記事として本記事の下の方に載せています。
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「アンネの日記」について、次のようなツイートもありました。
次にご紹介させていただくのは、やはり本人が書いたという説です。
こちらの記事↑では、ウマズラさんという方の動画が紹介されていました。
「本人が書いた説」につきましては、こちらの記事↑をお読みいただきたいと思います。
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ここでは、その動画のウマズラさんについて記述したいと思います。
ブログ「日本の黒い霧」で「ウマヅラ」で検索してみました。
こちら↑からピックアップさせていただきます。
一部引用させていただきます。
そもそもYouTube動画についてですが、いわゆる陰謀系や、これぞ真実系の動画は、その動画作成者さんの主観が強く入ると思っています。
なぜ彼ら彼女らは、そうした動画を毎日のように、あるいは毎週のようにアップしているのでしょうか? 単なる趣味や小遣い稼ぎなのでしょうか?
理由は他人様のことですからどうでもいいことではありますが、なぜそうなのかをちょっと考えてみることは、動画に傾倒して騙されることから遠去かることにも繋がると思います。逆に言いますと、そうすることで、ある意味での「真実」も見つけてしまうことにもなるかもしれません。
なお、アンネの日記は本当は誰が書いたのかにつきましては、私はその話を精査する能力もヒマもありませんので、そういう説(両説)が出ているという認識だけにとどめておこうと思います。この案件もイルミナティが絡んでいるのであれば、イルミナティ事案ということになり、一般人が真相を探り当てるのは困難であろうと思われます。ネットから拾った情報で想像することにとどまるだけですね。
※話を元に戻します。再び、記事より画像を拝借いたします。
「サスーン」で思い出すのは理美容関係の「ヴィダルサスーン」です。関係あるのだろうか。
こちらのウィキペディア↑によりますと、ヴィダル・サスーンやユダヤ人とありました。
アルバート・パイクの世界操作計画
引用させていただきます。
※こちらの記事↑より画像を拝借いたします。
こちらの画像の白装束の人たちが「KKK」つまり、「クー・クラックス・クラン」で秘密結社と言われている組織の1つなわけですね。
このような、ヒットラーの群衆に向けての演説に対しても、ロスチャイルドなどがサクラ群衆を動員するための資金援助をしたのでしょうね。
それにしても、このヒットラーさんの演技(?)は迫真に迫っているようですね。人々の人身掌握も深く研究されていたことがうかがえそうです。
人様の記事によりますと、ヒットラーは登場するときにも光の効果や音(※音楽のことか?)をうまく使ったりなど、演出にも趣向を凝らして群衆が自分に陶酔するように仕向けていったというようなことが書かれていました。舞台で演じるダンサーみたいですね。言い方が悪いですが、群衆の衆目を一身に浴びて騙していくような手法です。
私は真実を訴えるのに趣向を凝らした光(※これはサブリミナルとも言うのかな?)とか音楽は必要ないと考えます。
むしろこうした演出をすること自体が群衆に対するマインドコントロールであるように思います。
そういうのはYouTube動画でも、拝聴しているとよく見受けられます。
一つの動画を長く拝聴していますと、だんだんそういうことがわかるようになってきました。
「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線」の点と線とは・・・
皆さま、こちらのすぐ上の画像↑に貼らせていただいた記事本文からの文章をしっかりとお読みいただきたいと思います。ここに奴らがこれから起こそうとしている混乱の根底にある思想が出ています。ナチスの思想だと思います。つまり悪魔崇拝主義者の思想です。本記事のタイトル「「キャボット家」と黒船ペリーの末裔「アリス」と「九条節子」(貞明皇后)と「昭和天皇ヒロヒト」を結ぶ点と線」の点と線も、この思想が大元の点であると思われます。
最初から、明治維新というクーデターも、日本で起きた未解決事件、三浦春馬さんその他の有名人の暗殺事件、中村哲医師や、新聞記者などなどの暗殺事件、政治家の謀殺事件のすべては、ナチス思想が根底にあるのではないでしょうか。そして勿論ですが、コロナキャンペーンやコオロギ食などの昆虫食、毒まみれの食品開発製造も、すべてナチス思想の悪意からきていると考えます。
すべては「New World Order」のためだったということです。
黄金の千年王国樹立のためということです。
千年王国については私が書いた別記事、本記事の下に貼った「世界は八百長」で詳しく書いたつもりです。その記事では下の方で書いています。
フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事も一部引用させていただきました。
フリッツ・スプリングマイヤー氏のインタビュー記事では、まさに上記の画像の本分説明で書かれていたことと内容が一致しているように思える記述もありました。その記述箇所とともに、その他関連すると思える記述箇所も、ここでご紹介させていただきます。
注目すべき箇所を太字とさせていただきます。
一部引用させていただきます。
こちらの記事↑に「イルミナィのレベルというのは、一般人が見ることを許されているレベルをはるかに越えたところにあります。彼らはコトの背後で手を結んでいる連中です。」とありました。
ですから、一般大衆は、昭和天皇その他の皇族については、表面的な面しか見せられていないものですから、テレビやラジオ、新聞、週刊誌などから発せられる情報によって、敬愛の念や尊敬の念を抱かされてしまってきたわけですね。
日本の天皇と三菱と日本郵船が結託して日本人女性を騙して売春婦として輸出した事実について
日本でのその人身売買の話は、日本の黒い霧さんのブログおよびるいネットで書かれていました。
(ご参考記事)
明治天皇、大正天皇、昭和天皇、福沢諭吉、三菱財閥、三井財閥、日本郵船などにより50万人以上の少女が海外に「からゆきさん」として人身売買されていた。
日本の黒い霧さんの記事です。
こちらの記事↑に参考記事として入っていたるいネットからの記事です。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280559&g=132207
引用させていただきます。
こちらのるいネットの記事に書かれているのと同じ内容と思える情報がTwitterにもありました。
369不動さんのツイートに動画が入っていました。
追記:今見ましたら動画が出ないように設定されてしまったようです。言論封殺でしょうか?
こちらのツイート↑に入っている動画は本当はまだ続きがあったはずですが、今はなぜか途中で切れて終了してしまいますね。なぜなのでしょうか?
私が載せた人様の別のツイートも、完全に閲覧できなくなったものもありました。何か意図的な操作でもされているのでしょうか。
どういうわけか、一般庶民に知られてはまずそうな内容のものにつき、そのような傾向があるように感じられます。
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(参考・毎日新聞・「思想家の福沢諭吉も1896年、自身の新聞の社説で「海外の移植地に娼婦の必要なるは明白にして、むしろ公然許可するこそ得策なれ」と主張している。」)
「1日で49人の相手を…」 過酷な労働、波乱の人生赤裸々に 「からゆきさん」肉声テープ発見
こちらのサイトも日本の黒い霧さんの記事に参考として入っていました。
https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/337000c
福沢諭吉の提言に従って、明治天皇の名の元に行われた事業(実質売春婦輸出事業)について、山田盟子の「ウサギたちが渡った断魂橋」(新日本出版社)からの引用をされている記事を見つけました。その記事に、特徴的な着物の着方をしている若き日本人女性たちが写し出されている写真の画像も貼られていました。
その記事は次のDr.朝比奈Blogさんの記事です。
明治から昭和にかけての人身売買
こちらの記事で、山田盟子の「ウサギたちが渡った断魂橋」(新日本出版社)からの引用の箇所を引用させていただきます。
そもそも、黒船ペリー来航について
ブログ「タマちゃんの暇つぶし」で見つけた記事です。その記事によりますと、1853( 嘉永6 )年のペリー来航は、日本征服の目的をもっての下見であり、ペリーの報告を元に日本完全支配の『 オレンジ計画 』が策定されたのだそうです。『 オレンジ計画 』とは、これまた私にとっては初耳の言葉です。一体どういう計画だというのでしょう。
大正天皇について
るいネットからの記事と別のサイトからの記事をご紹介させていただきます。それぞれ自分にとって重要と思えた箇所を太字とさせていただきます。
「大正天皇から昭和天皇への「御代替わり」。これがアジア全域を戦争の惨
るいネットから引用させていただきます。
こちらもるいネットからの記事です。
https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=258855&pgh=1
こちらの記事↑によりますと、大正天皇は、1367にも及ぶ漢詩と456首の和歌を残すなどしていたそうです。もしそれらが間違いなく本人が作ったということであれば、噂にあるような知的障害は該当しなさそうに思います。
昭和天皇は大正天皇の子供ではないという記事あり
引用させていただきます。
※画像を拝借「『うちのお爺ちゃんが大室寅之佑(おおむろとらのすけ)といって明治天皇になったんだ』というわけです。」
※画像を拝借「ということは、私たちは田布施という町の、これははっきり申しますと朝鮮です。なぜ朝鮮かと申しますと、そうですね、これはちょっと語りにくい話なんですけど、歴史的にいいますと山口県は長州藩になる前に大内藩だったんです。守護大名・大内家がずっと支配してました。大内家は完全な、本人たちも言ってますが朝鮮人です。大内家の家臣が毛利が侵入して負けたために散っていくわけです。彼らが散り散りになって、ほとんどが民にされるわけです。この過程は上智大学の神学部の教授が『遥かなる高句麗』という本の中にはっきりと書いています。」
※画像を拝借「私はみなさんにお願いしたいのは、やはり日本を知るためには日本の暗い部分に目を向けるべきではないか。それを直視しないから日本人はいつまでたっても、今もそうですけど、アメリカ人に利用されてるじゃないかと。僕たちはそういうことを全部知ろうじゃないかと。知った上で堂々と外国の勢力に立ち向って行くべき時が来たんじゃないでしょうか。」
※画像を拝借「日露戦争もぜんぶ同じパターンで仕掛けられたと思うんです。日露戦争を始めるとき、伊藤博文は反対します。「負ける」って、「するな」と。伊藤博文も孝明天皇や睦仁殺しに一番かんでいる男なんですが、彼でさえ「やったらイケン」と言います。でも戦争をするように仕掛けられて、高橋是清が「金がないのにやるのか?」「じゃ、お前金策に行ってこい」というので彼が金策に行って、いちばん最初にイギリスのロスチャイルドに会います。」
※画像を拝借「イギリスのロスチャイルド家は自分では直接関与したくないので、クーン・ローヴ商会、イギリスのロスチャイルド家が金を出して全額投資したクーン・ローヴ商会に紹介します。高橋はイギリスからアメリカに渡ってクーン・ローヴ商会に「国債を買ってくれ」と言います。ちゃんと話が出来てたんでしょう、クーン・ローヴ商会が買います。シフという男ですけど買います。」
※画像を拝借「『貞明皇后のお相手八郎のこと』とは西園寺八郎のことです。その西園寺八郎は隠れた重要な人物で、ちょっと余分なことを喋ります。
長州藩に徳山藩というのがあるんですけど、長州は萩が本家で(徳山藩はその)分家なんです。そこに毛利元徳(もうりもとのり)という分家なんだけれども一応城を構えた殿さまがおりまして、その殿さまの八番目に生まれたから毛利八郎といいます。その毛利八郎が本家の毛利頼近の養子になります。ま、形でしょう。で、頼近の息子として、形式なんでしょうけど、西園寺公望の養子として西園寺八郎となる。」
※画像を拝借「ゾルゲ・尾崎秀実の仲間であった西園寺公一も、晩年は中共の党員であった。昭和49年後半と記憶するが、NHKテレビで西園寺が 「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていたことは、今も脳裏から離れない。腹立たしい事実である。」
※画像を拝借「『白洲次郎の英国人脈にはジャーディン・マセソン商会の創業一族のウィリアム・ケズィック(兄)、ジョン・ケズィック(弟)がいる。」
※画像を拝借「『吉田茂の妻となった牧野雪子はアリス(グルー駐日大使の妻)を通じて、モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。』」
※画像を拝借「例えば2・26事件というのがあるんですが、昭和の闇というのは平成の闇もそうですが、ますます深まるのは、明治の時に話がさかのぼる訳ですよ。幕末に。その闇を私たちが直視してかからないから、今この福島の原発にも全部つながっていると僕は思うんです。福島の原発も真実を見るためには、そこから見ようじゃありませんか。そしてあえて言うなら日本人は、どこかでその巨大な闇に立ち向かうべき時に来ていると思います。」
※画像を拝借「いやはや大変な時代である。福沢諭吉の「学問のすすめ」の冒頭を飾る「天は人の上に人を創らず、人の下に人を創らず、といえり」の紹介文から、もうずいぶんと時間が経っている。慶応義塾は彼が創設した大学だが、そこで学んだものらも「人の上に人を創り、人の下に人を創る」ことに専念しているような日本だ。日本国憲法を無視して、悪法を次々と強行しているだけではない。首相権限を悪用して、国有地をタダで払い下げる、利害関係人を官邸に投入して、政商に公有地・血税を流し込んでいる。まさに悪党が官邸を支配する日本ということになろうか。」
明治天皇すり替え説について
上記で引用させていただいたこちらの記事↑で出てくる「鬼塚さん」は昭和天皇とその母である貞明皇后とは血は繋がっていないとお考えなのでしょうか。
それでいながら、「西園寺八郎は命令されるがまま貞明とチョメチョメしまして、まチョメチョメという言葉はどうでしょうか、チョメチョメしまして子どもが生まれます。それが昭和天皇です。」とも書いておられるようです。
私の読解力が未熟だからなのか、鬼塚さんは、昭和天皇と貞明皇后は実の親子で血が繋がっているとお考えなのか、あるいはそうお考えではないのかがよくわかりませんでした。
しかし鬼塚さんは、昭和天皇は大正天皇の実の子ではないとははっきりと認識されているように感じました。では昭和天皇の生みの母親は一体誰なのでしょうか。このパターンは上皇后の美智子さんの母親ということになっている正田冨美子さんの生母が不明ということがブログ「でれでれ草」さまの記事で書かれていたことと似ているように思いました。
また、「鬼塚さん」は明治天皇にすり替わった者は大室寅之助とお考えのようです。
以前は私も人様の記事を閲覧していて、そのように思っていました。しかし、この天皇すり替え説については多くの方が書いていて、それを閲覧しますと、「大室寅之助」と思わせておいて、実はさらに別の人物がすり替わったのではないかと思える記事が複数ありました。
以下、御参考としてそのような記事をご紹介させていただきます。
明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」大室寅之助説はフェイクか? | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
「維新の悪人たち」伊藤博文の孝明天皇暗殺と、明治天皇すり替え!!【明治天皇は箕作圭吾!】 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
14才の本者の明治天皇(睦仁親王)即位式の写真! すり替わった箕作圭吾15才の写真 | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)
本物の明治天皇!? 右:ニセ明治天皇の箕作圭吾(みつくりけいご) | 「明治天皇は箕作圭吾(みつくりけいご)」 (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
明治天皇は誰か | なりはんブログ (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
こちらの記事↑で出てくる岡山県の人形峠についてですが、仁科原爆を作った仁科さんは岡山県出身だったことを思い出します。
本物の明治天皇(睦仁親王)暗殺写真!!エリザベス女王がオークション出品で東大が落札!【拡散願う】 | 伊藤博文は日本の天皇2人と朝鮮の閔妃を暗殺した朝鮮人テロリスト (ameblo.jp)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
この写真↑は小松宮彰人親王より国外へ持ち出され、英国のヴィクトリア女王に手渡されたそうです。なぜ、このような写真(決して慶事とは言えない写真)をわざわざ日本の親王が英国の女王に手渡したのか疑問に思う。このような写真をもらう方ももらう方だと思う。しかも、相手は他国の女王だ。(もらう方にとっては慶事だったということか?)
当時の日本と英国との関係はどのようなものであったのか。
そしてその関係は今もなお続いているのか否か。
写真の中央の白い衣装の方は「睦人親王」で、その周りを取り囲んでいる3人は伊藤博文、西郷隆盛、小松宮彰人親王(睦人親王の背後に位置しているとのこと)だそうです。この小松宮彰人親王がぶっそうなモノを持っているのですね。白い鉢巻の人は、篠原国幹(しのはらくにもと)だそうです。この方は、ウィキペディアで見ますと、元々薩摩藩士で、陸軍軍人となった方のようです。
元記事によりますと、この現場写真に写っている人としては他に、
大久保利通、東郷平八郎、乃木希典(のぎまれすけ:ウィキペディアによりますと、元長府藩士で大日本帝国陸軍の軍人であり、昭和天皇の教育係を務めたとあります。)、別府晋作、長州イボ侍と書き込まれた大室寅之祐(※元記事では「祐」ではなく「助」となっていますね。)です。
ウィキペディアで見ますと、ほとんどの方が薩摩藩士や長府藩士(※薩摩藩士の方が多い印象)で、軍人となっているようですね。
エリザベス女王が保管していた本物の明治天皇の写真 | まず問うや言う民☆Mとしお捕物帖 (ameblo.jp)
明治維新で皇室はすでに乗っ取られていましたが、さらにもう一度乗っ取られようとしている。あるいは、2度目、それとも3度目と言った方が正しいのだろうか? 。。乗っ取りは明治維新よりもずっと前にもありました。
↓ ↓ ↓
「書き換えられた歴史・藤原氏の正体 その1 」 - るいネット (rui.jp)
こちらの記事↑は、るいネットが閉鎖されたため閲覧できません。
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明治天皇のすり替えについては、私は「箕作圭吾(みつくり けいご)」説が最も信憑性があるように思っていますが、るいネットでは孝明天皇も睦人親王も実は殺害されてはいなく、京都に移られて裏天皇(?)をしていたというようなことも書かれている記事がありました。それらの記事もご紹介したいところですが、記事は閲覧しただけですので、るいネットが閉鎖されてしまった以上、載せることもできません。
明治天皇すり替え説について、一般庶民が、あるいは歴史家と名乗る人も、真実を知るのは不可能ではないだろうかと思います。ただ、煙のない所に火は立たないのですから、すり替えがなかったと考える方が無理ではないかと考えます。
私は今のところ、「箕作圭吾(みつくり けいご)」説は案外真実である可能性は大と見ています。
一方で、孝明天皇や睦人親王は、実は殺害されていないという説の可能性を完全に否定することもできません。
当事者以外は真実は知り得ない、真実を探り当てるのは困難であるというのは、この明治天皇すり替え説に限らないですね。それらはすべてイルミナティ事案だからです。
なお、私が「明治天皇すり替え説」で「箕作圭吾(みつくり けいご)」説は信憑性が高いかもしれないと考えている根拠となる記事をご紹介させていただきます。
しかし、その記事も、闇側にとっては大変都合が悪かったと見え、削除されてしまっていました。
もっともその記事に限らず、なぜか明治天皇すり替え説や、明治天皇や伊藤博文夫妻の墓が朝鮮式と書かれていた記事で私が引用させていただいた記事のほとんど全てといっていいほど全ての記事が、後から確認してみますと悉く削除されていました。
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根拠となる記事はこちらです。注目すべき箇所を太字とさせていただきます。
明治天皇は「箕作圭吾(みつくりけいご)」という岡山県津山市の山窩(サンカ)という朝鮮部落出身! | 離婚ジャンルの女性達をサギ師から守りたいブログ! (ameblo.jp)
こちらの記事↑に
「「維新の悪人たち」 クリックして読んで下さい!!
この本ではすり替わった明治天皇は「大村寅之助」となっていますが、大室はフェイクで、2020年に「箕作圭吾(みつくりけいご)」だった!という本が出版されました。
1868年の明治維新と言う名のテロは、英国のユダヤ人・グラバーが、徳川幕府を倒すために、豊人秀吉の【朝鮮出兵】で来日した伊藤博文・坂本龍馬たち朝鮮人に足軽の武士の位を買わせてやったテロ!!
伊藤博文は孝明天皇と本物の明治天皇(睦人親王)を暗殺して、箕作圭吾(みつくりけいご)という朝鮮人にすり替えた!!
◎ 箕作奎吾(みつくりけいご)(満15歳)の頭蓋骨の特徴が明治天皇(満19歳)の写真の頭蓋骨の特徴と一致。
二人は生まれ年も同じ1852年!!
箕作圭吾(みつくりけいご)は、1871年に墨田川で心臓発作で溺死
→すり替わった明治天皇は翌年の1972年に東京にて御真影の写真を撮影!!」
と書かれています。
突然の「心臓発作」や「心不全」は平成でお亡くなりになった成人男性皇族にもおありではなかったでしょうか。よく使われる手なのかもしれません。
平成で次々とお亡くなりになった成人男性皇族の死亡についても、何かが見えてきそうな気がする!
(以下、ご参考として)
桂宮宜仁親王の死亡について
ウィキペディア↑によりますと、2014年6月8日、急性心不全により66歳で崩御とありました。
寛仁親王の死亡について
ウィキペディア↑によりますと、2012年6月6日、66歳で崩御とのことで、同日の宮内庁の会見で、死因は多臓器不全であると発表されたそうです。
高円宮憲仁親王の死亡について
ウィキペディア↑によりますと、2002年11月21日、カナダ大使館にてスカッシュの練習をしていた最中に心室細動による心不全で倒れ、直ちに搬送されるも既に心肺停止の状態であり、蘇生措置がとられ一時は心拍が確認されるも、夜半になって容態が悪化したが、妃久子の同意を得て人工心肺装置を取り外したところ、生命反応がなく、崩御が確認されたとのことです。47歳で没され、享年48歳とのことです。
成年の男性皇族が次々と亡くなっていったことについて誰も疑問に思う人はいないのでしょうか? このような状況となりますと、皇室を乗っ取りやすくなるのではないでしょうか?
※ここで余談ですが、66歳で死亡というのは・・・
亡くなった成年男性皇族の中には、6月6日で66歳で死亡した方もいらっしゃいました。芸能人でも66歳で謎の死亡をされた方がいたように記憶しています。某宗教の教祖の方も66歳で亡くなられましたよね。イルミナティは数字遊びの好きな連中です。何かおかしいと感じるのは私だけでしょうか?
(ご参考記事:ブログ「日本の黒い霧」より)
その他の皇族についても死亡説が浮かび上がってくるような記事がありました。
(ご参考記事:人様の記事です。)
マコさん関係(本物および演じている人も含め)の人物か?!
こちらの記事↑によりますと、発見された遺体の女性は、皇族や海外の賓客などが使う貴賓室に隣接する車寄せの屋根の上に倒れていたということです。頭部にすり傷はあるものの、目立った外傷はないともあります。目立った外傷はないとあることから、CIAの電磁波攻撃か薬を飲まされたのでしょうか? なお、おにぎりまとめさんの記事に転載されている元記事ですが、ほとんどの記事が削除されています。こうしたことからも余程都合の悪い内容だったということなのでしょう。イルミナテイがヘマをするはずはないので、彼らからすれば、この死亡事件は成功したということなのかもしれません。
唯一削除されないで残っていた記事がこちらです。↓
こちらの記事↑から引用させていただきます。
発見された女性がいわゆる本物のマコさんなのか、演じている人なのかは不明ですが、まるで事件を隠蔽するが如く、「原因を調べるとともに身元確認を急いでいる。」とされた割にはその後の報道であまり明らかにされていないようですから、そのことが全てを物語っているように思います。
画像の分析力の鋭さで定評のある、でれでれ草さんの記事を拝読いたしますと、この成田空港での女性の不審死発見の事件については、一連の流れがあるとみておられるようにお見受けいたしました。
その記事によりますと、マコさんがブータンを訪問する際に出発した折、マコさんは2人いることが確認できたらしいです。
2人いることが確認できたのは、出発時だけでなく、ブータンでのお出迎えの際もそうだったとのことだそうです。
そしてさらに驚くのは、帰国したマコさんは別人だったらしいのです。この「別人だった」というのは当初から2人いることが確認されているマコさん御2人のうち、演じている人が別人だったという意味にとれますが、どうなのでしょう。そこが私にはよくわからないところではありますが、とにかく、一般人が報道による映像で見る限りはおかしなことだらけだったようです。
おかしなことその1:
マコさんが帰国したとき、ゲートは帰国用ゲートのはずなのに、なぜか出発用の110番ゲートが写っていたらしい。また、早朝の帰国なのに、映像ではお店が開いていたそうです。
おかしなことその2:
「世界ふしぎ発見」という番組があるそうですが、マコさんのブータン訪問より数か月前、その番組がブータンで番組を作っていた、つまりブータン特集を組んでいたということでしょうか。それはつまり成田空港での女性不審死事件も、予め予定されていた(かもしれない)ことと関係がありそう?
極めつけにおかしなこと:
上記の成田空港不審死ニュースが投稿されたあと、皇室掲示板が閲覧不能になったそうです。
(※「皇室掲示板」とは宮内庁HPでのことなのでしょうか。私にはよくわかりません。)
さらに気になるのは、コメント欄にリンクが貼られていた皇室掲示板に投稿された画像が消えていたことだそうです。
(※今わかりました。どなかたのブログでの「皇室掲示板」なのでしょうね。)
極めつけのさらに上をいくおかしなこと:
この成田空港での女性不審死事件は、海外ではライトグリーンのドレスを着た女性として報道されたそうです。これが決定打ではないでしょうか。
ライトグリーンというよりは、私には明るい水色に見える御色のドレス(? スーツに見えたり、ドレスに見えたり。。)を着た二人の女性の画像も貼られていました。画像を拝借いたします。
こちらの画像↑で右側はゲートNO.が完全ではありませんが、出発時ですから110番ゲートのはずですね。ところが、その上の画像の右側では帰国時なのになぜか110ゲートとなっているというおかしなことが起きているわけですね。
また、このすぐ上の画像では口元がはっきりと写っていて、左側の人も右側の人も、同じような所謂「アヒル口」であるように私には見えます。でれでれ草さんの記事によりますと、本物のマコさんはアヒル口ではないそうです。となりますと、すぐ上の出発時での画像のマコさん御2人は、御2人とも本物ではなさそうというのが私の感想です。
本物のマコさんはアヒル口ではないということは、マコさんが子供のときの御写真からもわかるでしょうか。その画像も拝借いたします。
たしかに、「恐らくは本物(左)」の子の口元を見ますと、アヒル口とは言えなさそうですね。
※ところで海外で報道されたという「ライトグリーンのドレス」の色ってこんな色では?
でれでれ草さんの記事から画像を拝借いたします。
こちらの画像↑では、紀子さんが着用されているお色味のような色がシノワズリと言われる色ではないでしょうか。
こちらの上下の画像で、マコさんが着用されている服は同じ服であるように思えますが、映り具合によって色味が変わって見えるだけのようにも思います。上の画像は明らかにシノワズリ、つまりライトグリーン(※私は「シノワズリ」は「ライトグリーン」と言い換え可能と理解しております。)の色に見えますが、下の画像では明るい水色であるように私には見えます。このように考えますと、ブータンへの出発時、帰国時でマコさんが着用されていた服、私には明るい水色に見える色も、海外の報道者から見れば明るいライトグリーンの色に見えた可能性もあるように思います。
※「シノワズリ」として列挙された色の画像も拝借いたします。
安倍元総理はわかりますが、何度もお亡くなりと噂の中曽根康弘の他に、上皇夫妻および令和の天皇陛下も?!!(※本当なのか?)
伊藤博文とその妻の墓、そして明治天皇以降の墓はすべて朝鮮式である
伊藤博文とその妻のお墓が朝鮮式とあります。
シャンティ日記 明治以降の天皇のお墓は朝鮮式「「上円下方墳」」 (fc2.com)
こちらの記事↑から一部を引用させていただきます。
「頭山満(とうやま みつる)」でヒットした記事
ところで、るいネットで「大正天皇」について書かれた記事を見つけていましたが、まだ記事には貼っていませんでした。るいネットは6月で閉鎖ということは知っていましたが、まだ6月は終わっていないのでまだ大丈夫と思っていたので、6月某日に貼ろうとしていたら、すでにるいネットは閲覧できなくなっていました。その記事だったかと思うのですが、そこに昭和天皇や頭山満という人物についても書かれていたという記憶です。記憶としか言えないのは、その記事がすでに閲覧不可の状況だから確認ができないということです。
頭山満という人物について、人様が書かれた記事をここでご紹介させていただきます。
夕遊さんという方の記事です。
日本の黒い霧さんのブログで「頭山満」でヒットした記事です。
こちら↑からピックアップさせていただきます。
頭山満さん、頭山一族もイルミナティ。
引用させていただきます。
※ここで余談ですが、「板垣李光人(いたがき りひと)」さんという芸能人について
こちらの記事↑で「板垣退助」も出てきました。
「板垣」でふと思い出したのが、若手の俳優で「板垣李光人(いたがき りひと)」さんという芸能人がいることでした。普段芸能人なんて興味がないのになぜ知っているかというと、以前宿泊した施設でニュースを見るためTVをつけましたが、その関係で、別の番組を視聴してしまうハメになり、そこでたまたまやっていたのがNHKの番組で、そこに「板垣李光人(いたがき りひと)」さんが出演されていました。
ウィキペディア↑では、「李光人」という名前の由来はドイツ語で「光」を意味するとありました。この記述を見て、何かピンとくるものがありそうな感じという印象を受けました。たしかあの組織も「光」を意味するものがあったかと。。。
「光」だけでなく、李家の「李」の字も名前に入っておられます。
視聴したその番組での板垣李光人(いたがき りひと)さんの印象は、まるで三浦春馬さんを思い起こさせるような雰囲気でした。
(※三浦春馬さんについても私はテレビを視聴していないのであまりよく知ってはいません。記事を書く上で人様の記事を拝読し、三浦春馬さんの印象を深めていったということです。)
板垣李光人(いたがき りひと)さんは用意されるべくそこに「在る」人物のように思えました。きっとこの方は今後も大事にされ重用されていくに違いないという印象を持ちました。
後藤組の後藤忠政組長のおじいさんは満州人脈。頭山満さんと親交。
引用させていただきます。
天皇家→創価学会・頭山満・笹川良一・児玉誉士夫・朝堂院大覚。
引用させていただきます。
創価学会と統一教会は天皇家に連なる宗教法人。
引用させていただきます。
合人社東京永田町ビルも松浦グループビル。
引用させていただきます。
※こちらの記事↑にストリートビューが貼られていました。
若草プロジェクトの後ろ盾は朝堂院さん、統一教会。
こちらの記事↑に「日本赤軍の重信房子さんの長女の後見人を朝堂院さんと親しい頭山満さんの孫の頭山興助さんがになっています。」とありました。
警察と反体制派組織
こちらの記事↑に
「山口組直参の国粋会も原敬内閣の内務大臣床次竹次郎が世話役となり右翼の頭山満を顧問に結成されています。戦後の治安維持を担ったのも今の山口組や住吉会などのヤクザで、それを政府も支援していました。一揆が起きたときはそれを抑えるため地元の任侠組織を使うなど。山谷闘争や西成闘争では労働者の紛争を抑える目的で暴力団側を対峙させていました。」とありました。
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