江戸時代の女性天皇のこと
11月に発売になった拙作「家康を愛した女たち」の中でも、6章の「徳川和子(まさこ)」は特にこだわりのある章です。というのは彼女は徳川家康の孫娘として天皇家に嫁いで、そこで生まれた娘が859年ぶりの女性天皇、明正天皇になったので。
はるか飛鳥時代の推古天皇から奈良時代の称徳天皇までは、15人の天皇のうち8人までもが女帝でした。そこから859年を経た江戸時代に、ひょっこり女帝が現れたわけです。その明正天皇が退位して以来、今日までで379年になりますが、また女帝は出なくなりました。前後合わせて1200年以上もの間に、たったひとり存在した女性天皇って、不思議ではないですか。
おそらく天皇家と将軍家の両方の思惑が、複雑にからみ合った結果、女性天皇が擁立されたのでしょう。女帝となった本人よりも、その母親の徳川和子の方が、いろいろ苦労があったはずで、それを小説に書いてみました。家康の孫だけあって、とても頭のいい人だったようで、だからこそ朝廷と幕府の板挟みになりつつも、ひとつの答えを出したのだと思います。
和子が使う言葉は、本当は御所言葉なのですが、厳密にすると意味が通じなくなるので、今の京言葉に近い雰囲気にしてあります。幕府の京都所司代である板倉勝重に対しても、本来なら命令口調だったはずなのですが、そうすると妙に偉そうになってしまうので・・・。京言葉としても正確ではないかもしれませんが。
いろいろ過不足はあろうとは思いますが、現代の女性天皇問題を考える上でも、ご注目いただければ幸いです。天皇家をテーマにしたものとしては、2018年に文庫版が出た「大正の后」も好評ですので、合わせて読んでいただければと思います。
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