私見なので。 人は、何か終わるときになって初めて、そのことの大切さに気づき、手遅れを知る。命ならば、尚のこと、だ。
天秤だけでは停止したまま、エネルギーの交換が起こらない。生きているのか死んでいるのかもわからない。個々の闇と光の意識によって交流する中継地点であり、そのバランスをみるための指針とすれば完全なる中立は成立せず、むしろ集団に作用されやすい。が、反作用(反動)で同じ質量のものがくるかも
自信とは何かを手に入れることではなく、ありのままの自分を認めることだ。 だからマウントや当たり前を持ち出し、あなたは無能であるというような、人の価値を下げようとする“見かけだけの言葉”を聞き入れてはならない。 終わりのない競争意識は精神をすり減らし、自らが隷属に下るに等しい。
SNSは夢と現の間という認識は変わらないんだけど、だからこそ現実への影響を疎かにはできない。夢は無防備だから。
スピリチュアルが海王星として、冥王星(カルマ的)に近いのでその影響力もダイレクトになるんだろう、という想像があるんだが、 そんな海王の見えない次元に関してデリケートな扱いを忘れれば、冥王星の破壊力がノアの箱舟並みになるかもしれずというので想像中。
少子化、少子化ってさっきテレビで言ってたけど、”ベビーブーム(陽)“から”少子化(陰)“の流れにも見えるし、 ”増加する自殺率“も考えた時に「教育の開放」も大事だとは思うんだよな。 教室で動画配信しながら学校でも家でも、どちらでも受けられるようにするとか…。
ヨネと轟がやっていた事 それは自由に来るものは拒まずという自然体 一方役所は衣食住さえ整えば犯罪が未然に防げるという考え それはそうだが 道男は世の中(戦争も含めて)を信じていない 「どうせレッテルを貼る連中は見捨てる」という心まで救えるのか1日や2日では うまくいかないですよ
暴言の世界は祈りとは程遠い。 調和(圧力ではない)からあぶれたものが静観し、内観する力を失い動観で外観による表現のみをとる、のかも。インプットからアウトプットがしにくくなる、というか…。
左翼の活動家は「言ってること」と「やってること」が一致しない場合が多い。 自由→規制 反戦→暴力 平和→テロ 女性→蔑視 環境→破壊 個性→同調 仲間→内ゲバ 良い国→悪口 社会のため→自分のため だから信用を得られない。 何で火炎瓶を投げるのか、私には理解できない。
外部と内部の流れを把握するには意識的に呼吸を整えることが大事なのでは・・・(📝)。
まだ続きました… 「走れメロス」の王様が闇金業ウシジマくんだったら 「お前の弁償金のために妹の結婚の御祝儀を全部持って期間内に帰ってくるなら無罪にしても良い」 という約束をしているのなら メロスが無罪になっても無理は無い 話しの理屈は通る 戻れば感動して無罪っておかしいので
のめり込む、という事態にどのくらいの客観性があるだろうか。すべての感情は真実であり、表現の如何によっては他者との境界線を侵すことにもなる。 それが黒、かもしれず。 心だけが現実ではない。心は現実をみる夢。
自分の知ってるセリフで、「誰にだって、人に言えない秘密のひとつくらい、あるよな~」というセリフがある。 そういうことを慮れるのが大人だと思う。 「他人のプライバシーに土足で入る」とか、「何でもオープンに」、とか、 子供だと思ってますね(私見)。 #大人の定義
全くの私見です。 愛知県刈谷市にある山岡家へ妻や娘と行った。 オーダーしたのは醤油チャーシュ麺(油少なめ) スープの味が薄くてコクがなく、油少なめなのに油ギッシュ、麺が太くてスープが絡まず、短くて食べづらく、赤身のチャーシューは、味は良いがスジだらけだった。 私には合わなかった。