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[教育]この国は何を目指すのか?

先日、下記のwebニュースを見かけた。

前回の学習指導要領改訂から約10年。
学習指導要領はおおよそ10年を目処に改訂され現場に下ろされる。
現場では学習指導要領に基づき教育課程が作成され実践される。

元教員として、今でも教育関連の情報には目を通すようにしている。
中でも学習指導要領については、今後の教育、将来のこの国を描く未来予想図だ。
この国はどんな未来を目指すのか…
国としての指針が問われる未来予想図を通して、現場にいた頃からの思いを、あくまでも「私見」として綴りたい。



「ん?」と疑問に思うこと

私が教職に就いた頃。
ちょうど「ゆとり教育」の移行期だった。
初任だった私はあまりの学習内容の薄さに「これで大丈夫なのか?」と疑問を抱かざるを得なかった。
それまでの詰め込み教育の「是正」とは言え、学習内容の3割削減。
将来「ゆとり教育」で育った子ども達はどんな道を歩んで行くのか不安でしかなかった。
数年後…
その反省(?)反動(?)から当然「学力低下」が「世間」と呼ばれるメディア等で声高に叫ばれるようにった。
私は「当然だろ」という感覚しかない。3割削減した内容で教育を終えるのだから、「ゆとり教育」以前の「詰め込み教育」を受けてきた「大人」から見れば学力低下だろう…ただし当時の「ゆとり教育」の内容は網羅している。当然の結果でしかない。
次に登場したのが「問題解決学習」「基礎基本の徹底」「教育のグローバル化」「インクルーシブ教育」といった文言だけは立派な学習指導要領だった。
ただ…現場で実践していた私にとっては
「いい迷惑だ」といった感覚しかない。
これまで削減してきた学習内容を一気に増やし、尚且つ、教科も増やす。土日を完全休業としている中、授業時数も大幅に増えた。当然、1日の授業時数も学習内容も増やすしか手立てがない。小学校低学年でも6時間授業が当たり前になった。子ども達が疲弊していく様子、学習内容に追い付かない様子を間近で見てきた。
苦肉の策として、自治体判断で土曜登校を設定する自治体も見られるようになった。
教員にも子どもにも「余裕のなさ」が顕著に見られるようになったのは、この頃からだった…と、私自身は捉えている。
そして急速に増えたのが「不登校を選択する子ども」と「発達障害の診断がつく子ども」である。※あくまでも私見です

それでも追加される「キャリア教育」「ICT教育」といったキャッチーで今の時代を反映しているように映える文言で踊らされる学習内容…いくら文言を着飾っても、実態が伴わなければ絵に描いた餅でしかない。

これまでの学習指導要領改訂を経る度に
私は「ん?」という疑問しか浮かばない。
誰のための、何のための
学習指導要領なのだろうか…と。


未来を作るのは子ども達

私は
「学習指導要領はこの国の未来予想図」
今でも変わらずそう思っている。
義務教育がここまで制度化され浸透している国は案外多くはない。

紛争、内戦、貧困…生きることで精一杯な生活を強いられている国では「教育」に時間もお金もかける余裕はない。生活を豊かにする知識も知恵も学ぶ機会がないことで、いつまでもこの負の連鎖を絶てない現実がある。
「教育」が未来予想図であることを証明しているのではないか。

せっかく整っている義務教育の制度を活かして、未来への投資として、しっかりと土台から組み立てていくこと…
それが可能な恵まれた環境でありながら
この国の未来が見えてこない。

文科省を批判するつもりはないが
大切な未来予想図である学習指導要領はじめ
現場に下ろされる「通達」「通知」といった指令書の内容が
あまりにも場当たり的で、「世間」で話題になり問題視されていることへの対症療法でしかなく、そこに将来像や連続性といった視野の広い青写真が見えてこないのだ。
例えば
「いじめ問題への学校の対応について」
話題になればなるほど
「教職員の研修を増やす」
「速やかな情報開示」
「いじめ問題対策委員会の設置」
といった内容が現場に下りてくる。
個々の事案の背景や対応である「各論」と
社会情勢や家庭環境といった全体を見渡す「総論」とが同列に語られる。
教育分野に限らず、この国は
「過去の取り組みを検証して新しい取り組みを検討する姿勢」
この視点が大きく欠けている。
これではいつまで経っても「場当たり的」対応しかできないと私は考えている。

現場で直面している現実と
文科省から下ろされる学習指導要領とが
あまりに解離している。
ボトムアップとトップダウンのバランスが取れていないと感じる。

極論になるかもしれないが
集団で画一的な学習を進めるスタイルそのものが既に時代に合っていない。
不登校の子ども達が増えていることも
その証ではないか…。

子ども達も家庭も多様化し
格差も広がるこの時代
教育の多様性は最重要課題と考えている。
この要求に応えるには

  • 学習スタイルの柔軟化

  • 教員の業務内容の見直し

  • 内容を増やすなら減らす勇気を持つ

  • 学校は何を目指すのかの提示

  • 学校のみの対応にこだわらない

  • 民間の知恵や手を借りる勇気を持つ

  • 子どもの習熟度に合わせて飛び級や学び直しも可能にする

私はこれくらい大胆なプランを持ってもよいのではないかと思う。

それには

この国は教育に何を求めるのか
どのような未来予想図を描いているのか

何より
未来を作るのは子ども達
その子ども達にどのように育ってほしいのか

原点回帰で「希望」を示してほしい。
もちろん「強制」であってはならない。


まとまらない~まとめ~

私自身は現場にいた頃から変わらない子ども達への思いがある。

ひとりひとりが自分の幸せを見つけてほしい
その手伝いをする役目が自分自身

勝手な思いだが
この1つの思いを胸に教員として
子ども達と向き合ってきた。
どの子にも幸せであってほしい…


長文になり申し訳ありません。
また、かなり乱暴で偏った私見です。
教員であろうとなかろうと
「今」の大人である私たちが
「未来」の大人になる子ども達に
できることはたくさんあります。
子ども達の作る未来を想像してみませんか?

お付き合いいただいて
ありがとうございます。


※何度も書いては消し…を繰り返した内容です。踏み込んだ内容だからです。
また、教育に関する専門用語については説明を省いています。調べていただければすぐに見つかります。あくまでも「私見」を綴ることに重きを置きました。
下の教育新聞の記事は私が考えていることに近いなぁ…と思うので載せました。
余力があれば一読してみて下さい。


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