音楽を知らない者の音楽への私見
街頭インタビューにて「『音楽を聴く』のが好きですか」と問われれば、私は恐らく、長い間悩み思考を巡らした末に「はい」と答えるでしょう…。
以前私が見ていた、日本人の国民性をクローズアップしたテレビ番組では、「日本人は英語を喋れないことを英語を用いて主張するから面白い」という話が外国人の口によって語られていました。なんでも、英語圏における「できる」という範囲が広いことや、日本人の"謙虚"な気性がこのような意識齟齬を生んでいるそうです。また、「好き」という概念においても、なにか日本人はそれを好きでいるための資格や思想などの下地が要ると考える節があるそうです。そうであれば、音楽の知識やそれを純粋に好きと言いきれない私の「音楽が好き」という思いは、日本人の性質を複数併せた人間になりたいという私の姿勢は、私によって非難されるべき態度なのでしょう。まぁ私の話は傍に置いておいて、私がこの場で語りたいのはより一般的な話です。
「音楽を聴くのが好きか」という質問をうける人は、はいと答えるのが相場だと思います。しかし私が思うに現代における「音楽を聴く」という行為は大きく変容していると思うのです。特に、私が注目しているのは現代で音楽が無料に限りなく近くなったということです。高級フレンチを提供する店での皆さんの振る舞いと、ファミリーレストランでの皆さんの振る舞いというものは大きく違うでしょう。勝手ながら予想させていただくと、大抵の人は金銭負担が少なければ少ないほど、それに対してぞんざいな態度を取るでしょう。これは0円になると特に発現します。音楽が嗜好品ではなくなったのです。昔はアルバムを数千円で買い、たった十数曲を聴き回すのです。不遜な態度ではあるかもしれませんが、もとを取るために価値を見出そうと耳を澄まし、意識を尖らせ、音の奥の音を聴き、後に歌詞を知り、その全容が入る。繰り返し再生して、そこで初めに得た感慨を反芻し、価値を得る。蓋し2000年代初頭まではそれこそが「音楽を聴く」ということだったのですよ。しかし現代ではサブスクとかいう、既存物を傲岸無礼にも搾取するサービスが喝采されながら堂々と台頭し、賢者の遺産を貪り尽くし、聴者が真の意味で音楽を聴くという行為を奪い去りました。その表れを現代のYouTubeやTikTokに見ることができると思います。
2010年代後半あたりから、奇を衒った音楽が持て囃されるようになりました。時代背景から察するに、情報が飽和し、時間を割けなくなったからです。奇を衒った、というのは音楽を追求する方向へと進めば進化と捉えることができますが、「百聞は一見に如かず」というように、一般的に思考において聴覚は視覚に劣位するものですから、それを理解しているクリエイター各位は特に映像に凝るようになっていきました。最近見られるのは、真ん中でかわいいキャラクターをちょこちょこ動かせる、といったものです。そして歌詞においては覚えやすい簡単なワードを繰り返すといったものが主に注目されています。現代のアーティストの音楽とは、完全にマーケティングでしかないのです。一方聴者において、現代では「広く浅い知識を持つもの」が賢いと持て囃され、会話の話題になることに詳しい=全ての知識に精通しているという誤謬がなくなることなく価値観が形成されることなりました。奇を衒った作品は当然注目を浴びることとなるため、それについて知っていれば世間から良い評価を貰えるのですから、当然「賢者」を目指すものたちはそれに飛びつくでしょう。また、YouTubeやTikTokにおいて、自身が音楽にあわせて踊り、身体的魅力を主張するといったコンテンツが脚光を浴びることとなりましたから、音楽というものはただ自身の価値を高いように見せるための一動機であり、音楽は「見せる」道具となったのです。
聴者と作者、伴に視覚に寄っていき、今の音楽を観れば分かるでしょう、音楽的内容のないものが国民的ソングとして嗜まれているのです。これは個人的な感想ですが、あの「動画見た?」などのような会話は全く癪に障らないのです。何故ならそれを音楽として認識していないから。動画という媒体において、もともと音楽は補助剤のようなものであり、主となるのは映像です(勿論、物によって音楽と映像の配分は異なります)。ですから逆に、YouTubeの投稿物を指して「あの曲知ってる?」といったようなフレーズは好きではありません。話を戻して、このまま視覚に寄っていったらこれから何が起こるのかというのを考えてみたいと思います。
言ってしまうとこれ以上大して変わる可能性は少ないと思われます。というのも、YouTubeやTikTokにて持て囃されている音楽はもう完全に視覚の極致に至ってしまったからです。しかし、「音楽」が視覚を取り込んだように、今度はまた何かの感覚を取り込むのかもしれません。そうだとしたら、触覚、嗅覚、味覚、次はどれでしょうか。これらの感覚の再現は、現在の技術ではとても難しいことです。しかし現代技術は果てしない進化を遂げています。VR技術やAR技術を用いて、より音から離れた音楽が作成されるようなこともあるかも知れません。そのようなことがこれより先にあるのだとして、私が街頭インタビューにて「『音楽を聴く』のが好きですか」と尋ねられようものなら、私は「興味がありません」と、悩むことなく即答するでしょう。
ただのつまらない人間の一意見です。
ご読了ありがとうございました。