真の自由とは何か それは、「あらゆるものが私という「装置」を通してあらゆるものに「成れる」ことを感覚にまで落とし込めていること」 このとき、「装置」という機械的な枠組みに自身を当てはめていることすら、「自由」への表現に変換できている 真の自由とは、縛るものを破壊することではない
真の自由とは。 他人から干渉されない。 自分も他人を干渉しない。 そんな関係が保たれていること。 いまの社会はどうか。 真の自由からほど遠い。
職場では新年度(2021年度)から制服の着用が自由になった。4月1日、事務局長が私服の着用状況を確認するために巡回。私が着ているのは制服。目を合わさないよう、PCに集中。去り際に立ち止まって「自由化、よかよ」と直視で再アピール。圧、圧がすごい。自由の強要から生まれる「不自由さ」。
武〔矛には足が付いていてひとりでに飛んだり跳ねたりするらしい〕 真の武人は存在するだけで場を制し、世を治めると言うが、 死んだように生きる武士的な「滅私奉公」が真の自由の形ならば、 なるほど【武・生・世・自】は「互いに素」なのだろう 何事も世論や私論では片手落ちなわけだ