小学生でもわかる無師直感流哲学入門
note上では不可解な現象が起こっています。人生を豊かにするかもしれない深い内容を投稿しても、誰も振り向いてくれないのです。しかし、『 #小学生でもわかる 』や『 #サルでもわかる 』といったタイトルにすると、閲覧数が急上昇します。驚くべきことに、『中学生でも解る』や『猿でも解る』と漢字のタイトルにしてしまうと、同じ内容でも閲覧数が落ち込んでしまいます。そこで今回、哲学を小学生にも理解できるように噛み砕いてみました。
小中学生のみんな、 #無師直感流哲学 って聞いたことある? 最近ボクが思いついた #哲学 だから、知らなくても全然オッケーだよ。でもね、この哲学は #謎解き ゲームみたいに面白いから、知っておくといいよ。
マジで面白いかって? 謎解きが面白いと思えば、それだけで面白くなるんだよ。面白さを感じるのは、ボクじゃなくて、みんななんだから。
ところで、夏休みや冬休みの #自由研究 ってあるよね?
ここで、ちょっと変わった自由研究のアイデアを出してみよう。みんなが自由に研究できるかどうか、ちょっと考えてみるテーマだよ。
研究テーマ『自由研究の自由に関する研究』
このテーマに数行で完璧な答えが出せたら、きっと歴史上最高の天才になれるよ。
ボクには数行で説明する才能がないから、いつものカール・セーガン風に、この問題について考えてみた例と、そこで見つかるかもしれない問題点を、ここに書いてみるね。
“The cosmos is within us. We are made of star-stuff. We are a way for the universe to know itself.” --- Carl Sagan
#カール・セーガン 風に言えば、ボクたちは宇宙の子どもたち。宇宙を探求することで自分たちが何者かを知る。真の自由を求める旅は、自らを縛る #パラドックス を含むけれど、それはボクたちが宇宙の一部であり、その法則に従うことでより大きな理解と自由に進むことを示しているんだ。この探求は、目的地に到達するだけではなく、自己の本質と #宇宙の神秘 を理解する旅なんだよ。
想像してみて。広大な宇宙を航海する宇宙船の船長だと。この無限に広がる宇宙で、自由に目的地を選んで、星々を越え、惑星間を旅できる。でもね、宇宙の海を航海するには、宇宙の法則という海図を理解し尊重しなきゃ。この海図は、直面する制約を示しているんだ。重力の法則、光速の限界、宇宙の広大さが、旅の進路を決める要因。これらの法則に従うことで、安全に、効率的に目的地に到達できるんだよ。
この航海で #真の自由 を追求するってことは、宇宙の海図を読み解き、制約の中で最適なコースを選ぶこと。自由って、どの星に向かうかを選ぶことだけど、目的地を選んだら、その航路に従わなきゃいけない。そして、その航路はボクたちを束縛する。自らを制約することで、より遠く、より速く、より安全に旅できるんだ。
でもね、カール・セーガン風の説明にも、いくつか反論があるんだ。いつものように、ちょっと捻くれた意見を持つ人からこんな文句が聞こえてくるよ。
【反論1】セーガン風の比喩や物語って、結構主観的じゃない? 宇宙がどんなに素晴らしいかは、人によって全然違う話だよね。
【反論2】宇宙の美しさばかり語って、宇宙の怖さや厳しさを忘れがち。宇宙へのロマンチックな視点を押し付けて、現実の厳しい部分を見ないようにしてるって、ちょっと現実逃避してると思わない?
【反論3】宇宙の法則に従うことが自由って、ちょっと違う気がする。自由ってもっと心の中のことだと思うんだけど。
【反論4】科学と哲学をごちゃ混ぜにするのって、どうなの? 科学で解明できないことを哲学で語るのはいいけど、それぞれの分野には役割があると思うんだよね。
【反論5】セーガンさんの話、宇宙探究ばかりで、地球で起きてる問題を忘れがちになるよね。今私たちが生きてるこの地球のことも大事にしなきゃだよ。
【反論6】宇宙に対する楽観的な見方って、本当にそれでいいの? 宇宙の脅威や探究のリスクにも目を向けることが大事だと思うんだけど。
これらの反論は、まるで中学校の廊下で聞こえてくるような屁理屈で、専門用語で言うと『 #中二病 』ってやつかな? でも、こんな疑問を持つことも、考えを深める一歩なんだよね。みんなはどう思う?
自己解説
【反論1】解釈主義と主観主義
この反論は、解釈主義や主観主義の視点を反映しています。解釈主義は、現実の理解が個人の解釈に依存すると考え、主観主義は真実や現実が個人の認識や感情によって異なると主張します。この反論は、宇宙についての理解が個々人の主観に基づくという考えに立脚しています。
【反論2】現実主義と批判的現実主義
現実主義や批判的現実主義の視点から出ています。現実主義は、現実が存在し、それを正確に理解することが可能であると考えます。批判的現実主義は、現実を客観的に観察することの重要性を強調しつつも、その観察には常に批判的であるべきだと主張します。
【反論3】自由主義と存在主義
この反論は、自由主義と存在主義の概念を組み合わせています。自由主義は個人の自由を重視し、存在主義は個人の内面的な選択と自己決定を強調します。この考え方は外部の制約ではなく、個人の内面的な意識や選択が自由を定義するという考えに基づいています。
【反論4】科学哲学
科学哲学の問題に触れています。科学と哲学の境界、それぞれの役割と方法論についての議論を含みます。科学が現実を解明するための一つの方法である一方で、哲学的な問いは科学の範囲を超えることがあるという視点です。
【反論5】環境倫理学
環境倫理学の視点を反映しています。環境倫理学は、人間の活動が環境に与える影響と、人間と自然との適切な関係について考える学問です。この反論は、宇宙探究の重要性を認めつつも、地球上の環境問題に対する責任を無視してはならないという考えに立っています。
【反論6】リスク社会論
リスク社会論の視点からの反論です。リスク社会論は、現代社会が直面するリスクや不確実性に焦点を当て、それらをどのように理解し、対処していくかを考察します。この反論は、宇宙探究がもたらす可能性のあるリスクに対する現実的な考慮の必要性を指摘しています。
これらの反論は、異なる哲学的視点からの考察を提供し、宇宙と人間の関係、科学と哲学の関連性、自由の本質などについて深い思索を促しているようでも、傍から聞いているとどれも中二病の屁理屈と大差ありません。
上記の議論では、宇宙や自由についてのカール・セーガン風の考察を紹介していますが、ここで触れられていない重要な側面があります。それは、 #精神世界 に関する深い考察です。 #ルドルフ・シュタイナー が提唱する精神的な視点は、セーガンの科学的な宇宙観とは異なるアプローチを提供します。
シュタイナーによれば、宇宙や自由に関するセーガン風の主張には、人間の内面的な成長や精神的な進化を促す精神世界の重要性が欠けている可能性があります。
セーガンが科学と宇宙の探求を通じて人間と宇宙の関係を解明しようとしたのに対し、シュタイナーは内面的な精神的な発展と宇宙との深いつながりに焦点を当てることで、人間の存在の全体像を捉えようとしました。
この観点からすると、カール・セーガン風の議論には、人間の精神的な側面や内面的な経験の深さを探究することが不足していると言えるでしょう。